撮影


シェルターにこだまする浅羽の声が次第に弱まってくる。

薄闇の中で水前寺は内面に意識を集中し、苦悩の末に答えを出した。
観察を続けよう。
今の自分には浅羽に対してできることはなにもない。
声をかけることも、この場から立ち去ることも、結局は現状を打破することには繋がらない。
記憶を消したのは軍の連中だ。その軍が浅羽にだけは特別な行動を起こしている。
それは接触に値するものが浅羽にあるからで、恐らくそれは伊里野加奈と「親しくなってしまったため」に起きていることだ。そして軍の奴ら浅羽に対して行動を起こし、隠しながらもいくつかほころびを残している。その尻尾を掴んでやるのだ。それが明日に繋がる最後の希望だった。脳内で在りし日の新聞部の光景が駆け巡る。

水前寺は目を開いた。
再びうつぶせになりながらコンテナの端から浅羽のいる方角に這う。
顔だけを出して浅羽の観察を再度開始した。
浅羽は世界中の悲哀を一身に受け止めているかのような表情を浮かべながらも手だけは動いていた。時折鼻をすすり、目元に手を添える。そんな仕草が直視することに躊躇を覚える。水前寺は自分の胸に酷く鋭い痛みが走るのを感じた。
どこかでひねったか、ぶつけたかしただろうか。
水前寺は軍に何かされたのかと失われたはずの記憶の断片を辿ろうとした。
しかしその思考を実行に移すよりも前に自分の顔に異変が起きていることに気がついた。
なにか途方もない違和感が水前寺の顔面を襲っている。
うつぶせになったままポーチから折りたたみ式の鏡を取り出して自分の顔を写し出した。
水前寺は驚愕した。
そこには今まで見たことがない、浅羽と同じ表情をしている自分がいた。 自分にこんな表情ができるとは思ってもみなかった。というよりも、確認した今ですらその理由がわからない。なぜこんなにも辛そうな表情をしているのか理解できない。先ほどの胸の痛みは過ぎ去ったにも関わらず、表情を普段どおりにすることができない。
困惑する水前寺を置いて、浅羽が行動を起こすのを横目で確認した水前寺は顔面を襲う妙な違和感を伴ったまま、双眼鏡を目元に当てた。
浅羽の手元にあるのは用途のわからない機械だった。
無機質な鉄の色で縁取られた機械はルービックキューブを縦横共に1.5倍大きくしたような大きさの物だ。
模様はなく、目立った凹凸もない。
浅羽は機械を回転させて何かないか調べている。
今まで底面になっていた部分が弱いライトに照らし出されると、中央部分に円状のくぼみが見えるのがわかった。
水前寺は即座に先ほど浅羽が取り出した水晶球がくぼみに合致するのではないかと疑問を抱いた。
浅羽もそのくぼみに気づいたようで、くぼみに10秒、床に敷いたハンカチの上に大事そうに置いた水晶球をたっぷり60秒見つめた。

明らかに浅羽は迷っているように水前寺には見えた。その水晶球があさばにとってどういう意味を持つのかはわからない。しかしそれは今の浅羽にとって何よりも重要なのだ。そう思う根拠が1つだけある。
浅羽が水晶球を置いているハンカチは浅羽にとって大事なものだ。
夏休みを終えた辺りから浅羽は常にハンカチを常備するようになった。しかし自分で使っているのを水前寺は見たことがない。どれだけ汗をかいても、便所で手を洗ってもそのハンカチは使わなかった。ただ時折そのハンカチを見ては何か思い出したかのように笑顔になる浅羽を見て、こいつついに暑さに脳がやられたかと思ったことが何度かある。
今でもなぜそのハンカチが大事なのかは水前寺にはわからない。しかしあれほど大事にしていたハンカチが今は冷たいシェルターの床に置かれている。
上に置いた水晶球を守るように。

逡巡の果てに、浅羽は決意したようだった。
弓手に機械、馬手に水晶球を持って浅羽は身じろぎしながら座りなおした。
慎重に機械に水晶球をあてがった。機械が一度だけ電子音を発する。高音の電子音はシェルターの闇を見渡すソナーのように響き渡り、虚空へと消えていった。
浅羽が見つめる先で機械に変化があった。今まで何もなかった上面の一部が左右に開くようにスライドし、ディスプレイが現れた。水前寺は双眼鏡の倍率を上げたが浅羽の手が邪魔でディスプレイに表示されているだろう何かを読み取ることはできない。 浅羽の食い入るような瞳を見て水前寺は移動しようかと思った。
水前寺が片膝を地面に立てると同時に浅羽も立ち上がった。機械を傍に置き、黒い箱の中に戻していたゲームを取り出した。迷うことなく浅羽はゲームの一部に手を伸ばし、通信用のケーブルを中から引っ張り出す。伸びたケーブルの端子を先ほどディスプレイと共に現れた外部端子に接続する。
恐らくなんらかの指示が機械のディスプレイに表示されたのだろう。
浅羽はどっかとあぐらを書いて座りなおした。
埃がライトに浮かび上がり浅羽の周囲を舞った。
何も起こらない。
水前寺の時計が5分という時間が経過したことを告げた。水前寺が唾液を飲み込むと同時にゲームが起動する音を聞いた。同時に液晶画面が明るくなり、3つのレーザーフィールドが空中に投影された。
薄緑色のフィールドには3つともにどこかで見たような風景が広がっていた。
水前寺は写し出されたものをよく見るために気づかれるのを覚悟で立ち上がる。
双眼鏡を倍率を調整して浅羽の背中を超えてフィールドを覗き込む。

保健室だった。

1面以外閉ざされたカーテン。その1面から見える薬品棚の場所。置かれた薬。窓から見える景色。
それら全てが見慣れた園原中学の保健室であることに水前寺は気づいた。
フィールドは3つあるが、それが3つで1つのパノラマを写し出している様につながっていた。
パノラマが不自然に左右に揺れ、上下に揺れ、景色が少しだけ高い所から写し出されるように移動した。 まるでビデオカメラで撮影しているかのような動きだった。
そのままパノラマは移動して、カーテンを開いた。
保健室の机があり、その上には無造作にワンカップが口を開いた状態で置かれており、その隣には椎名真由美が突っ伏した状態でこちらを見ていた。
「あ、起きた?」
パノラマの中の椎名がこちらに声をかけてきた。
パノラマが一度上下に揺れる。
「まだ休んでたら? 一応バイタルは正常値まで戻ったから今すぐにどうこうってことはないと思うけど」
今度は左右にパノラマが揺れた。
――なんだこれは。
水前寺は浮かんでくる疑問を解決する答えが見つからない。
ただひとつだけいえる事はこれはビデオ撮影などではない。ビデオ撮影ならあの画面の動き方は妙だ。だが撮影という一点においてはそう表現するしかない。問題は誰が、どうやって撮っているかだ。
椎名真由美が写りこんでいることからこれは最低でもひと月以上前に撮影されたものだ。既に椎名真由美は園原中学を去っているし、窓から見える景色には夏の匂いが感じ取られる。鮮明な画像ではないが、嫌でも耳に入ってくるセミの鳴き声がそれを象徴していた。
「ほら、まだふらふらしてるじゃない。座って座って」
椎名が立ち上がり、画面に近づく。椎名の首元から鎖骨にかけて画面が動き、反転した。傍に置かれた椅子に画面が向けられた後にさらに反転し、椎名を真正面に捉える。
水前寺はここに来て違和感が具体的な形となって浮かんでくるのを感じていた。
「ちょっといい? んー、熱とかは……、なしと」
椎名の手が伸びてきて、画面の上部に写らない位置に掌を当てる。
この椎名の動きを見て水前寺は確信した。

これは目だ。

何者かの目がレンズとなって撮影されたものだ。
最初に保健室が写された後の不自然な揺れはベッドから立ち上がる動作だ。そして椎名の質問に対して首を動かして返事をし、椎名が熱を調べるために画面の上に掌を当てたのは額に手を当てたのだ。
どうすればそんな撮影ができるのか。何かの小説で読んだことがある情景が浮かぶ。
殺し合いを行うために、誘拐されてきた13人の被害者。主人公と行動を共にするかよわい1人の女性であるというふりをして、その後のすべてを撮影する役目を持った工作員。その人間の目には義眼が仕組まれており、それは脳と繋がって一部始終を撮影する役目をもっていた。現実味はなくあくまでファンタジーとしてなら楽しめたその話を、今の水前寺は一笑に伏すことができなかった。
「ちょっと寝たほうがいいんじゃない? それとも今日はもう早退する?」
椎名は心配を顔面に貼り付けたまま、撮影者の名前を呼んだ。
「加奈ちゃん」
予想していたことだった。
恐らく浅羽も同様に予想していたに違いない。多少の驚きこそあれ、それはこれから何が映されるのかという不安の色が強い。
軍の連中が浅羽に見せようとする映像に伊里野加奈が関わっていないはずはない。しかし奴らは浅羽に何を見せようと言うのだろう。
いや。それ以前にその撮影者が伊里野だと決まったわけではないのだ。
しかしその予想は簡単に覆った。
「いい」
撮影者は伊里野加奈と同じ声でそう短く答えた。
伊里野の「目」が保健室の鏡を捉える。

髪が長く、新品同然の制服を着込んだ伊里野加奈が椎名真由美の隣で鏡越しにこっちを見ていた。


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