もじもじ君
破れんばかりに握っていた手紙と封筒が零れ落ちた。 浅羽の目から大粒の涙が流れ、浅羽の背に降り注ぐ雪が浅羽の熱を奪っていく。 希望が絶望に変わった瞬間に、手紙の中での椎名真由美の言葉を思い出した。 「私を恨みますか」 よく、そんなことが書けたと思う。 この手紙を読んで、こんなものを読んで喜ぶと本気で思って―― 感情が停止する。変わりに思考がうねりだす。 この手紙に書かれていること。伊里野は「最後の最後」まで幸せだった。浅羽直之という人間のおかげで。だから自分を責めなくていい。責めるなら、恨むなら、わたしや榎本を恨め。 それが椎名の伝えたいことか? 違う。 確かに椎名との付き合いは長くない。自分がこの手紙を読んでどう感じるかなんて気がつかないとしてもおかしくはない。 だが、相手が椎名であるという点を考慮すると、言いたいことはそれだけということはありえないと感じた。 椎名と殴り合いの言い争いになったとき、伊里野を想う言葉と、石のような拳と、体温よりも熱い涙を浅羽は忘れない。 椎名真由美とは、伊里野の側に立ち、伊里野に敵対する人間には生徒だろうが中坊だろうが殴りかかる人間だ。 そして何より、伊里野のことを想い泣ける人だという点においては信頼すらしている。 賭けてもいい。この手紙には何かある。文面だけでは伝わらないこと。それも自分にしか伝わらない隠されたメッセージが。 そう考えてみるとこの手紙は不審な点がある。 椎名は軍人だ。黒服の対応を思い出し、この手紙が軍事機密のオンパレードであることに気づく。 固有名詞や作戦内容、その他暴露していいのかと思える情報だらけだ。 戦争が終わり、次第に解除されつつある軍による通信手段の全事項閲覧をこれはかいくぐっているのか。 そしてこの手紙はいつ書かれたのだろう。椎名がこの手紙を書き、即届けてきたのではないと思う。 これを書いた時点、「今の私」とは戦争が終わって間もない頃のはず。だがその時期は軍閲も厳しかったはずだ。 さらに、封筒だ。 封筒の裏には「GROBK」と小さく書かれていた。 何語かもわからなかった。 さらによくよく見ると、その文字は小さく印刷されたものを貼り付けたものであることに気づく。 文字の意味はわからなかったが、その他のことはわかったような気がする。 浅羽の仮説はこうだ。 椎名は浅羽に本当のことを伝えたかった。しかしそのまま郵便に出せば軍閲にひっかかる。よって間接的には渡す方法を持ち得なかった。 残されたのは自分、あるいは誰かが直接浅羽に渡すほかはない。だが椎名は戦後自分からはいけない事情があった。あるいは誰かに頼むために時間がかかった。 そして椎名あるいは誰かが封筒を用意し、手紙とシルバースターを同封し、「GROBK」のプリントを貼り付けて浅羽に届けた。 しかし、浅羽が知りたいのはここではない。そして、知りたいことはいつも一人のことだった。 ヒントは、このわざわざ添付された英語の羅列にあるのではないか。何かの暗号とか――。 暗号。それは浅羽にとって珍しいものではない。 水前寺が考え出した暗号は2種類しかなかったが、連絡事項があるときはいつも暗号を解いていたのだ。 そう、もじもじ君。水前寺との暗号は数字で構成されていたが、これは英語で構成されているのではないか? その時気づいた。この英語はまったく意味を成していない。ただのアルファベットの羅列だ。 この文字には必ず意味がある。 立ち上がる。降り積もった雪が全身から落ちていく。 何か、書くものは。スーパーカブまで戻ったが、残念ながら書くものは何もなかった。 傍に落ちていた木の枝を拾う。浅羽は文面を雪のキャンバスに書き写した。 もじもじ君の解読方法を知っているのは自分と水前寺だけだ。 しかしあの軍の連中ならば今までのもじもじ君暗号を入手し、解読したかもれしない。 日本語は、五十音で成り立っている。 並べてみると非常にわかりやすい。 あ行からわ行までの十行と、五音から成り立っている。 これを数字に当てはめて暗号化したのがもじもじ君だ。 例えば暗号文、つまり受け取り手に伝えたい言葉を「夏」とする。 これは五行目の一音目の「な」と四行目の三音目の「つ」で構成されている。 これを数字に置き換えれば5-1、4-3。つまり5143が「夏」となる。 だがそれだけではもちろん簡単すぎる。 水前寺はこれに2つのルールを加えた。 暗号文の末尾に書き添えられた七桁の数字と、書かれた日の日付をキーとするルールだ。 まず日付。これを例として「6月24日」とする。 そして7桁の数字を「0837238」と書かれた暗号文だとする。 まず、6月24日。これを数字化すると0624となる。これを全て足し合わせる。 0+6+2+4=12 この「12」という数字の下一桁がキーだ。 つまりこの場合は「2」がキーとなる。 そしてこの2が七桁の数字の何行目にあるかを見る。 今回の場合なら五行目だ。つまりメインキーは「5」。 先程の夏=5143が簡単なのはあかさたなの順番が既に決まっているからだ。 これを並べ替える。 今回のメインキーの五行目のな行からあかさたなを始めるのだ。 ↓ こうなる。これで暗号文を作るのだ。つまり1-1の「な」10-3の「つ」で「なつ」 11103=夏となるのだ。 これが水前寺が考えたもじもじ君だ。 だが今回のアルファベットをもじもじ君とするにはキーが足りない。 今日の日付と、末尾の七桁の数字だ。 この二つがなければもじもじ君は完成しない。 日付は封筒のどこにも書いていない。 これでは日付や七桁の数字が読み取れない。 以前水前寺は七桁の数字と言いながら十桁の数字を書き並べ、それでも下七桁と決まっているからそれがキーだといってきたことがあった。 その案すら利用できない。 アルファベットをAからZまで書き並べる。合計で26文字だ。中途半端この上ない。 他にも隠された暗号がないか探してみて、浅羽はどうしても椎名が何を言いたいのかわからないことがあることに気づいた。 それは椎名の本名を示している「T・S」だ。椎名の本名をイニシャルで書かれても心当たりはないし、それがどう自分に影響するかがわからない。ここにこれを書く必要がなぜあったのか。 ふと、書き並べたA~Zのアルファベットを見て閃いた。 Tも、Sも数字にできる。 アルファベットをAから数えていくと、「T」が20で「S」が19だ。 4桁の数字ができた。「2019」は日付ではないが、これをもじもじ君に当てはめれば。 2+0+1+9=12 つまりこれもキーは2だ。 だがそれを当てはめる対象が見つからない。 手紙をいくら読み返しても、数字は出てこない。 同じように「GROBK」も数字化して計算してみたが意味のなす言葉にはなりそうもなかった。 シルバースターもなめまわすように見たが何も出てこなかった。 根本的に考えが違うのか。 もじもじ君だという確証なんて何もなかったのだから当然の結果ではある。 それでもあきらめられない。 浅羽はもう一度状況を遡って整理する。 自分は今、答えがあるかもわからない謎解きをしている。椎名の手紙を読んだ。他には封筒と、シルバースターが同封されていた。 それらは黒い箱に入っていたが、それには何もない。ここにあるヒントになりそうなものはそれだけだ。そして自分は明確な答えを 何も見つけられないままこの六番山の頂上で突っ立っている。そもそもここに来たのは…。 わかった。 浅羽はスーパーカブにまで全力で戻り、そのエンジンキーを抜き取った。 エンジンキーには一枚の紙がある。それは腕時計だ。浅羽の、止まってしまった腕時計だ。 時計には数字がある。 ヒントは始めから提示されていたのだ。 18時47分32秒。「184732」六桁だ。あと一桁足りない。 18時47分32秒。今度は雪にそう書いてみて、気づいた。なにも18時47分32秒はこれだけが表し方ではない。 十八時四十七分三十二秒。これも18時47分32秒だった。漢字を読むがまま数字化する。 108時4107分3102秒。「10841073102」という11桁の数字ができた。 下七桁。そしてキーである「2」は七桁目だ。 「7」これがメインキーだ。 アルファベッドの七桁目からがAのスタートだ。 封筒に書かれたアルファベットは「GROBK」 この対応しているアルファベットに並べ替えた。 「alive」
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