カウンター

準備



どすん。

黒服の男達がいくつものダンボール箱をバンの中から運んできてぶちまけた。
その中身は小麦色の新品ロープであり、ドラキュラを殺すのに使えそうな杭であり、ブランコに使うような赤色で染められた板であり、ハンマー、ライト付きヘルメット、発光塗料の封入されたスプレー、赤外線スコープ、サイリュ―ムライト――。
つまりは水前寺が持ってくるはずだったミステリーサークル作成の準備である。その中にはミステリーサークルの図案が書かれた紙が何十種類もある。
もちろん、『よかったマーク』の図案はその中には含まれてはなかった。
「どういうことですか」
浅羽は振り返って榎本に尋ねる。
「見ての通り、ミステリーサークルを作るための準備だ」
 何を当然のことを――。と、言いたげな表情で肩をすくめる榎本に先程の弱々しさは感じない。その笑顔には涙の欠片など一片も残っていなかった。
「いや、そうじゃなくて、」
榎本は空を見上げ目を細めて仏像のように全てを悟ったような表情で浅羽の言葉をさえぎった。
「どうしてミステリーサークルの準備をおれ達がしたかって聞きたいのか? まぁおれ達の情報網を馬鹿にしちゃいけないってことだ」
「部長でしょ?」
仏像が停止する。口だけが動く。
「なんだって?」
「だから、部長がリークしたんでしょ。今日ミステリーサークル作るって」
榎本は仏像のまま、浅羽を見る。
「誰に聞いたそんな話」
「誰にも。ただぼくがそう思ってるだけ」
「なんで」
「だって、ミステリーサークルの準備は部長がすることになってたけど、部長はそんな準備一切してなかった。でも今こうやって目の前で完全に準備してますよ、って顔されたら繋がってるんだろうなって思うでしょ」
仏像はしゃべらない。
「軍が動いてただの偶然なんてあり得ないだろうし、何より最近部長の周りで変なことが起きすぎてたから。部長の留年だってそうだよ。調べたら法改正があってから留年した中学生なんて部長が始めてだった。しかも成績でいったら部長よりも成績悪くて学校さぼってる人なんていくらでもいるし」
仏像がぶつぶつと何かを言い出したが聞き取れない。
「それに決定的だったのはさっき部長が帰るときに、ぼくを手伝おうとした晶穂に野暮な真似はやめたまえって言ったことかな。ぼくがミステリーサークルをどういうつもりで作るのかなんて話したことなかったから、あなたたちと接触して伊里野とのこととか聞いたんだろうなぁって」
榎本の後方で待機していた黒服たちがおおと感心したような声を上げる。
榎本が突然目をかっと見開いて金剛力士のような形相になる。5年も履き続けたような汚いスニーカーを脱いでさっき歓声を上げた黒服の頭を正確にはたいていった。そして腰に手を回して無線のレシーバーを取り出してボソボソしゃべりだす。かすかに聞こえたのは「給料なしな」という言葉だけだった。無線の電源を切った榎本はさっきまでとは打って変わって笑顔で、
「まぁいいじゃないか、そういうことは。道具はある、人手もある、お前はミステリーサークルを作れる。それでみんな万々歳だ」
解答を期待していたわけではなかったが、榎本らしくもないばればれな演技だった。
「いいですけど。でも榎本さん、そのミステリーサークルですけど。あれはぼく一人で作りますよ?」
「はぁ?」
浅羽の発言を聞くと、榎本はまた表情を一変させて「何抜かしてやがんだ、このガキ」という顔でこちらを睨んできた。
榎本の豹変に浅羽は少し躊躇して、
「い、いや、道具は借りますよ? これからどうやって道具を調達しようか悩んでいた所でしたから」
「違う。そんなことじゃない。さっきお前、一人で作るって言ったか? いや、おれの聞き間違いだ。そうだよな浅羽? お前がおれに手伝わせないなんておかしいもんな」
怒りの形相で榎本の顔が近づいてくる。指の関節をゴキゴキ鳴らしている。目が血走っている。榎本の作業ズボンに位置を戻した「いつのまにか見なれてしまった物」が妙な存在感を発している。やっぱり返さないほうが良かったかもしれない。

――それでも。
榎本に決意の眼差しをぶつける。
「この仕事はぼくがやらなきゃ駄目なんです。ぼく一人でミステリーサークルを完成させなきゃ意味がないんです」
それが自分に対するけじめだ。
この手で幕を引く。
この足で舞台を下りる。
あの夏が過ぎ去ったことを認めて、新しい夏を始めるために必要なことなのだ。
水前寺と晶穂にも同じことを言うつもりだった。道具を借りて、図面を作って。
後は全て一人でやるつもりだったのだ。

――なのに。
「んなこと知るか。おれはこの日の為に生きてきたんだ。久しぶりに取れた休暇を羽目を外して集団作業。吹き出る汗にこの上ない高揚感。全てを成し遂げた後のあの達成感。それを楽しむために血を吐きながら頑張ってきたのにそれすらもお前は奪うのか。自分はミステリーサークル作るのを楽しんで、その上羨ましそうに見つめるおれを指差して笑おうって魂胆か?お前らはいつだってそうだ。自分達は楽しそうなこと年中してんのにおれはいつものけ者だ。そんなこと許されると思ってんのか? あ?」
――理不尽だ。
いつもっていつのことだ。
一緒にやりたいって本気で思ってるのか、この人は。
いい歳して。
榎本は言うまでもなく本気だった。
「――んだその目は。『うわっ、何だこのおっさん。いい歳してミステリーサークルを作りたいなんて考えてるのか、ダサッ』とか、考えてそうな目は」
「そこまで考えてませんよっ」
「までってなんだ。そこまでって。当たってる所があんのか。おっさんか、いい歳か、ダサッか。どれだ、十秒やる。答えろ」
この男は本気でミステリーサークルを作りたいのだ。いつものスーツ姿じゃなく、野良仕事でもやりそうな格好をしているのはそういうことか。さっきぼくに殺せなんて言ったのはどこのどいつだ。先程羨ましいなどと感じた自分を心から呪った。
「十秒たった。答えろ、浅羽。答えないと道具なんて貸さねぇぞ」

――理不尽だ。



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