カウンター

生贄


「とぅっ」

監視塔の手すりに立つ男は両手を頭上に上げた格好で飛び降りたようにしか見えなかった。
観客の一部が悲鳴のような声をあげるが、それは一瞬のことだった。
男は虚空に飛び出したように見えて、その両手にはしっかりと何かが握られており、しかもそれは激しい摩擦音を吐き出しながら回転していた。監視塔から伸びた幾十の映像用ケーブルを束ねたラインを握りつきの滑車のようなものを使い滑るように男は舞台に接近する。
観客の悲鳴は次第に歓声に変わり、それはまるでヒーローの登場を目の当たりにする子供のような声だった。
だが舞台が近づくにつれその顔は疑問に変貌する。
映像用ケーブルは当然ながら舞台の壇上にまでは伸びていない。
舞台をとり囲うように作られた骨組みの上や裏を通して各カメラや機器に取り付けられていて、舞台が近づくにつれ、ケーブルラインは枝分かれするし、強度も落ちる。例え運よく切れなかったとしてもケーブルラインがあるのは上空6m以上の高さだ。
観客の顔が疑問から不安に変わる。
しかし男は笑みを崩さなかった。
舞台の端に差し掛かると同時に滑車を手放した男は今度こそ空中に投げ出される。しかし男はその野生に満ちた双眸で確かに目標を見極めており、腰の部分から取り出したナイフを左手に握り締めながら右手で袖幕をむんずと掴み取る。即座にありえない力で引っ張られる袖幕は悲鳴をあげるが男は容赦なくナイフで袖幕の一端に切りつけた。悲鳴は布地が徐々に引き裂かれる断末魔となって男を地表に下ろしていく。
そこで男の姿は観客からは見えなくなった。
袖幕を切り裂いて落下スピードを緩めるところまでは男の計算どおりだったのだろう。しかし、右腕で引っ張る袖幕が落下に合わせて回転し、男の体をぐるぐる巻きにしながら男を包んでいく。最後には袖幕は舞台上部からちぎれ、どすん、という腹のそこに響く音と、舞台上の微かな埃をまきあげて、顔も見えないミイラが完成した。
足だけが見える簀巻き状態のまま約7秒、男は静まりかえっていた。ぴくりとも身動きしない。
会場が唖然とするなか、1人の少女がミイラに近づいていく。
体が小さいにも関わらず、その歩き方は歴戦の兵士のような力強さでミイラに近づいていく。
ずしずし。
少女はミイラの腹の辺りに立ち、ミイラを見下ろす。
ミイラは少女にだけ聞こえる声でどうしよう、とうめいた。
少女が話しかける。
「あんた何してんの」
ミイラは突然水を得た魚のようにうごめく。
「おお、その声は夕子くん! すまんがどうにかしてくれ、布がナイフにからまって引き裂こうにもおぐ!」
ミイラの懇願は夕子の見事なローキックで即応的に解決されていく。
「こらっ、なにをぐふっ! おちつけ夕子くんっふ! 穏便にころがしぐぇ!」
夕子はその後も何度もローキックをかまし、ミイラを舞台裏へ蹴り飛ばしていく。
その度にミイラはさっきとは逆周りに回転しながら転がっていく。
仕舞いには観客からはまったく見えなくなった。
数秒後、舞台を揺るがすほどの怒号が響き渡り、その47秒後、2人がガンを飛ばしあいながら舞台に現れた。
先ほどあれほど蹴られていたにも関わらず、男は足音すら響かない軽やかな足取りで舞台中央に立つ。
呆然とそれを見ていた名目上司会進行役のアントニオ柴木は自分の仕事を思い出し、
「参加者デすっ! 参加者が現れましタ! なんとクレイジーな登場でショウ! ヘイ、ミスター!? 口上をプリーズ!」
アントニオがさっとマイク代わりの手榴弾を男に渡す。
男は手榴弾を受け取り、その腹に世界中の酸素を取り込むかのように息を吸い、
「さっきも言ったけど、部活のこととか言ったらあのことバラすからね」
隣でうつむいていた夕子が男にだけ聞こえる声でぼそっと呟いた。
男は今にも叫びだしそうな状態であったが、そのまま目線だけを少女に向け、2秒ほどその俯いた少女のつむじ辺りを見つめ、
「楽しそうだったので参加する」
さっきの酸素はどこへ行ったのかと思うほど普通の声で、普通の口上を男は述べた。
アント二オは酷くがっかりしたような表情で手榴弾を受け取り、
「エー、参加者の1人が決まりまーシター、ハイ、デンジャラスボーイは水前寺クンらしいですねー、ハハハ、いやー、あんまりデンジャラスなコトしちゃダメデスヨー。あ、水前寺クンは浅羽ボーイ達と同じジュニアハイスクールのスチューデントらしいですヨー、そんな見た目でナニいってるんですかって感じデスねー、はいハクシュー。ワー、イエェー。ハイ、もういいデスよー」
それだけ期待が大きかったのだということだろう。あれほどど派手な登場をしたのだから無理もない。
しかしその程度で戦場のエンターテイナーと呼ばれたアントニオはくじけなかった。
「サ! テンションチェンジしていきまショーっ! さぁ参加枠はあと1人デスよー、目立ちますヨー! どなたかいらっしゃいませんカー? ハイ! ではこれだけスチューデントがステージにギャザリングしてるんデスからあと1人もそちらのフレンドシップたっぷりなボーイ&ガールの中から決めてイタダキマショー!!」
アントニオは両手を胸の前でぐるぐる猿の人形のように回し、晶穂たちが集まる園原中学の応援団を指した。
どよめきが観客席で上がる。
晶穂が一際大きな声で反感の声を上げ、周囲もそれに呼応するかのようにブーイングを飛ばすが進行役の決定は絶対である。会場内の雰囲気に押され、次第に反抗勢力も鎮圧の方向に向かう。そうなれば後は誰をこの羞恥の場に晒すかという懐疑と裏切りとステルス性が事の要であった。
その中で花村祐二は場の雰囲気に先駆けて行動した。
こういう場合、名前が上げられ易いのはお調子者であると相場は決まっている。お調子者はこういう場が大好きだというような世間の了解があり、しかも後腐れがない分名指ししやすい。それがどんな羞恥の場といっても芸人気質である人間にとってそれは「えー、おれかよー、しゃーねぇーなー、おれこういうのは本当嫌いなんだってー、でもま、他にやる奴がいないってんならしょうがねえーしー」とかそういうおいしい場面なのだ。しかし、花村祐二はそういうお調子者を装って普段を過ごしながらも内面はそういうタイプではないと自覚している。
そういう人間を演じた方が友達ができやすいというたび重なる転校で学び取った知恵なのだ。
というわけで今、もっとも名前が挙がりそうな「お調子者」花村祐二は姿勢を低くし、責任を押し付けあう醜い同胞達の隙間から緊急離脱を図る。
しかしその離脱計画が開始されて3秒、首に2方向から衝撃を感じた。
血の気が引く。
恐る恐る振り返ってみると、親友――西久保正則と、その相方島村清美の2人がそれはそれはいい笑顔で花村の首根っこをふん掴まえていた。
花村は反射的に満面の笑みを浮かべた。死出の旅に出かける際には、笑顔でいければいい、といういつか聞いた言葉が脳内を駆け巡った。

――犠牲者が決まった。
うおーっ、ちくしょー、離せばかやろー、てめーらこんなことしていいと思ってんのかー、強制的にあんな場所につれてったらなー、いじめになんだかんなー、PTAにいいつけてやっかんなー、このめおとどもめー、こんなときだけ仲良くしやがってー、はやく結婚しやがれちくしょー、島村、てめぇこの前西久保の誕生びっ、この辺りで清美の手刀が花村の首筋に決まり花村はがっくりとうなだれた。
がつんがつんと舞台の階段で色々な場所をぶつけられながら花村が壇上に上げられる。
面子はそろった。

公開断髪の時間である。


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