対顔


「ありがとーございましたー」

コンビニ店員の気のない挨拶を背中に受けながら水前寺は夜の園原市に足を踏み入れる。
必要なものは色々とあったが、なんとか用意できた。
「あとひとつが……、難題だな」
何年も乗り回してナンバープレートが取れかけになってしまっているスーパーカブに火を入れる。
ぼへぼへぼへぼへと気の抜けた音を鳴らしながら水前寺は大通りをかけぬけた。
背後に流れていく景色の中で見慣れたものもあれば初めて見るものも少しばかり増えている。
園原市は戦争が謡われる昨今でも常に変化が進む町として有名である。
寂れゆく商店街、反して拡大を続ける公共施設。
それらは時代の流れにしてみれば些細なことでもそこに住む一人ひとりにしてみれば大きな事柄になりうる。
水前寺は目的の場所を明確に理解していながらも、カブは順路を外れて小道を抜け、人気のない暗い交差点にたどり着いた。
視界は相変わらず悪い。
寂れて人気がないとはいえ、そこは元は住宅街であり、プライバシーを守るために高い塀に囲われた十字路だ。
折れ曲がったカーブミラーは修復されてきれいになっていて、ミラーとしての役割を果たしてはくれているがなにぶん角度が悪い。注意しなければ突然塀の影から人が飛び出してきそうだった。
カブを止めて十字路の一角にある電柱を見つめる。
電柱の足元には小石が散らばっていて、犬か猫の糞がどんと鎮座していた。
水前寺はコンビニで買った中身をカブの座席下の収納スペースに叩き込み、ナイロン袋を逆さに右手に装着して糞の始末をする。糞入りのコンビニ袋は近くのごみ収集スペースに投げ込んでおいた。
足で小石を蹴りのけ、少しだけその一角がきれいになる。
水前寺は再び電柱を見上げる。
電柱にはライトが括り付けられてはいたが、光は既に灯っておらず、光源すらとうに切り離されていた。
金の余りある園原市にとってすら、ここは不必要な場所として切り捨てられた場所なのだ。
光らない電柱を見つめていると、浅羽の声が蘇ってきた。
シェルターを離れて既に30分と時間は過ぎているはずなのに、その声は耳から離れようとしなかった。
今の浅羽には光は見えているだろうか。
あのシェルターの薄暗い光の中、見つけたあの機械は浅羽にとって最後の光だったように思う。
恐らく、浅羽もその光を求めて多くの時間を歩きとおしていたのだろう。
しかしたどり着いた答えは光ではなかった。
過去の記録を見て、それで満足することしかできないのだ。
現状を打破する材料は、浅羽には見つからなかったように思う。
あの映像が終了した後の声。
僅かな希望が潰えた浅羽は、明日を生きる糧があるのだろうか。その有無が水前寺には想像するだけで恐ろしい。
なんとかするしかない。
手がかりはもう手に入れた。
あの映像の中で感じた違和感の正体を確かめる必要がある。
だがそのために必要なものを手に入れる方法は――。
直接浅羽に借りることなど今の自分にはできない。
――。
電柱の、水前寺の腰ぐらいの高さにある小さな傷を見つめて決意する。
方法はやはりひとつしかないように思う。
水前寺は無理やり笑顔を作ってみた。一笑い声に出してみた。声に出して挨拶の練習もしてみた。
恐らくなんとかなるだろう。仮面を被るのは初めてのことではない。
余計な気遣いをさせるのは忍びない。普段どおりの自分を演じるのは難しいとは思うが、やるしかない。
電柱を見て、ほんの僅かに頭を下げて水前寺は再びカブにまたがった。
夜の闇に気の抜けた音が疾走する。

およそ10分後。
水前寺のカブはシャッターの下りた店の前に止められ、鍵を7個かけられた状態で放置された。
持ち主は軽快な足取りでアスファルトの上を走り、目的の家にたどり着いた。
すぐに裏手に回り、そう高くはないコンクリートブロックの積み上げられた塀によじ登る。
最上段のブロックが外れかけているのに気づいて、それを避けて塀の上に仁王立ちになる。
さっき道すがら広い集めてきた小石を右手でもてあそびつつ、狙いを再確認する。
部屋の電気は点いている。
何度も通った家ではあるが、その部屋が目的の部屋であるかは明確な保障はない。
しかし位置関係から恐らく間違いはないだろう。
自転車もあったし、友人も泊まったりはしていないはずだ。
振りかぶる。
一番小さな石を窓に当てた。
小さな音が響いて、小石は屋根の上に落ちていく。
反応を待つが、変化はなかった。
もう一つ小石を投げてみる。
変化はあった。
少しだけカーテンが揺れたように思う。
しかし反応はそれだけで、カーテンが開くことはなかった。
まだるっこしい。
恐らく部屋の人物は今のでこっちに気づいたはずだ。
しかし窓を開けようとはしない。
水前寺は小石を全部捨てた。
足元の外れかけたコンクリートブロックに手をかける。
いとも簡単にそれは外れ、水前寺はそれを砲丸投げの選手よろしく掌に載せて構えを取った。
何度か上下運動をして、十分にあの窓に届くことを計算する。
そして息を整えて、腰を深く落とし――。
がらっ。
窓が開き、
「ちょっと、やめなさいよ!」
あまり大きな声ではなかったが、制止の声が入ったため水前寺は一度だけ声の主の方を見てにかっと笑った。
塀にブロックを戻して、塀の上を移動して今度は自分が滑空する。
簡単に隣の家の車庫の上に飛び乗り、3歩で目標の屋根の上に立つ。
そのまま進んでようやく部屋の主と対面する。
「こんばんわ、浅羽夕子くん」
「…………」
沈黙の中に秘められた敵意がひしひしと伝わってくるような表情だった。
とにもかくにも、目的の人物との対顔は果たすことができた。

問題はここからだった。


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