カウンター

侵入者


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あらすじ
10月26日に伊里野が空に帰った後、新聞部に戻った水前寺を待っていたのは崩壊寸前の新聞部だった。記憶を失った水前寺の物語が今始まる。

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時刻は午前0時を後5分で迎える。
そんな時刻であるにも関わらず、市川大門駅の女子トイレでは僅かな明かりの中、1人の男が隠しきれない笑顔を満面に浮かべていた。
もし目撃者がいたなら確実に通報された上に市中引き回しの刑に処されても文句は言えない状況だった。
男は、園原中学ゲリラ新聞部部長水前寺邦博は暗闇の中に手元だけを照らすペンライトを口にくわえて、女子トイレの鏡の前で確かな手ごたえを感じた。静かな空間にスイッチが入るような小気味いい音が響く。
ペンライトの照らし出す光の中に、隠された――。
水前寺は近づいてくる何かを鏡越しに見つけた。反射的にその物体を掴み、十分に引き寄せて体をひねる。 地面に物体が激しくぶつかる音が深夜の市川大門駅の女子トイレに響く。口元を離れたペンライトが宙を舞い、物体を照らし出す。

その物体は見覚えのないの男だった。


時間を数時間戻す。

水前寺は部室で愛用の腕時計で時刻を確認する。
午後6時52分17秒。
鼻からあふれんばかりの息を吹きだす。
新聞部の編集長用デスクにたまりにたまったほこりが根こそぎ吹き飛んでいく。
顔を上げ、自分の他には誰もいない新聞部の部室を眺める。普段ならキーボードが叩かれる音や、須藤晶穂の怒声や、浅羽直之の寝言や、伊里野加奈の……、いや、彼女は部室にいる時はいつも静かだった。
ともかく誰の気配もしないこの空間は以前とは比べ物にならないほど広く感じる。肉体的に感じ取る視覚情報に変化が及んだのではなく、間違いなく精神的なものが作用しているはずだ。最後に部員達が一同に会したのがもう何年も前のことのように感じる。
自分の机以外は「申し訳」程度ではあるが掃除が行き届いているように見えた。それは須藤が毎日のように部室に顔を出して掃除を行った証拠だ。その行為が少しだけ水前寺を感傷的な気分にする。
水前寺にはこの1ヶ月の記憶がない。
殿山での爆発事件後、その調査に赴いてからの一切の記憶がなくなっていたのだ。
最悪それはいい。失われた記憶がどれほど重要なものかは今の自分では判断のしようがなかったし、それを含めて取材に向かうことは活力にもなる。だが、その足がかりとなるこの新聞部は一ヶ月足らずの短い時間で壊滅寸前まで陥っていた。「園原電波新聞」は無期限の休刊状態に陥ってしまっている。
元々ゲリラ部であったが故に、外面的には何も変わっていないのだが、それでも内部事情は最悪だった。

浅羽は呼び出しでもしない限り部室には一切顔を出すことがなくなった。「調査」を色々と行ってわかったことだが、浅羽はあの殿山で起きた謎の爆発事件以降、怒涛の日々を送っていたらしい。そして軍に連行までされて、帰ったと思えば即入院生活。退院したのがつい10日前だ。新聞部で記憶を呼び戻すための催眠実験を行った日付と重なる。
帰ってきた浅羽は深く心を閉ざしてしまったようだった。会話は普通に成り立つ。その自信なさげな表情は以前と大差ないように見えもする。だがそれは何かと付き合いの長い水前寺から見れば無理や我慢の末に辿り着いた表情である。自責、後悔、憤怒、怨嗟。その全てを内側で抑え付けているようにも見えたのだ。浅羽のあんな表情はこれまで一度も見たことがない。
須藤は浅羽の様子を見て、酷く落ち込んでいるようだった。催眠実験の際には元気そうに見えたが、それは浅羽と同様に無理をしていたのだと今ならわかる。在りし日の新聞部を取り戻そうと必死だったのかもしれない。
教室で毎日浅羽と顔を合わせる生活を送っているのだ。その表情は日毎に暗くなっていった。
彼女は親の疎開についていったらしく、それが深い後悔の原因となっているようだ。彼女は毎日部室には来ている。一度部室に須藤が入っていくのを目撃し、声をかけようと思ったが中止し、1時間程辺りをぶらつき改めて部室に訪れ扉の前に立ったとき水前寺は驚愕した。嗚咽を必死にこらえる声が扉の外にまで漏れていたからだ。水前寺は何もすることができなかった。何も覚えていない自分にできることなど何もなかった。
伊里野は浅羽と同様に姿を消し、そしてそれは今も続いている。学校側には転校したとの連絡があったが、それが事実かどうかは水前寺にはわからない。しかし、浅羽の落ち込みから見て「最悪の事態」も想定してしまう。伊里野は軍と関係があった。学校には自衛軍士官の兄がいるという情報しか伝えられていないが。その情報は真実の1%未満のものでしかないはずだ。水前寺の推測では伊里野は。伊里野加奈はもう――。

先ほど空中に巻き上がったほこりが鼻腔をくすぐり盛大なくしゃみが出る。 編集長デスクだけ手付かずなのは須藤の悪意というよりは機密保持を謡った自分の言いつけを守っているのだろう。机の下を覗き込む。机の引き出し下部に取り付けた厚さ3mm程のセンサーをチェックする。問題なく作動していた。バッグに入れていたラップトップの電源を入れる。その間にセンサーにケーブルを取り付け外部端子をラップトップと結合する。
編集長専用チェアに座りデータを素早く移す。センサーは元の位置に戻しておいた。
水前寺が机の下部に取り付けていたのは動作する物体を感知するための赤外線センサーだ。
大掛かりなものではなく、机の下部から座席方向に向けられている赤外線に動くものが引っかかればその時刻をログに残す程度のものだ。実際にそれが役立つとは水前寺自身もあまり期待はしていない。
ログを確認してそれは水前寺の予想を裏切るものではなかった。
おおよそ午後4時から6時までの間に編集長デスク付近で感知したものが全てだ。
この犯人は須藤だ。放課後に部室に掃除に来た際にデスク付近を歩いた程度のものだろう。
ラップトップを閉じる。
落胆は自然と体を椅子からずり落とさせ、同時に視線はカレンダーに向けられた。
記憶を呼び戻すために催眠実験に手を出したのが10日前。そのときにはなかった今日の日付に丸が大きくつけられているのは誰がやったのだろう。

「園原第四防空壕」その名の通り有事の際に備えての核シェルターだが、それも今日で歴史を閉ざした。
部室のコルクボードには「園原中学行事予定」の紙がピンで留められており、11月12日は「園原第四防空壕の解体のため休校」とある。
解体と銘打ってはいるものの、中に備蓄していた食糧や物資を軍が押収するというだけで対爆用の装甲が解体されるわけではない。軍は最近やたらと食料や装備の召集に躍起になっているようで、つい先日も園原円周部に位置する穀倉地帯の一部を買収と各地に点在した軍事施設の解体のニュースが流れた。戦争も終わり、平和な日々への第一歩だとアホなニュースキャスターは報じていたがそれはないと水前寺は睨んでいる。
軍の行動の矛盾になぜ気づかないのか。軍はこれから大幅な軍縮を余儀なくされる。まだ市外には広く伝わっていないとはいえ、米兵の大半の帰国は決定事項になっているし、軍縮をうたう最中に大した規模でもないシェルターの装備が必要となる理由は考えられない。食料も米兵が帰国するのならばむしろ余るはずである。
穀倉地帯を買い取ると言うことは、むしろ長期的な食料計画が計画されているに他ならない。食料が必要になる事態がこれから起こるのだ。その理由までは水前寺にはわからない。
窓が夜風に吹かれてガタガタと音を立てる。
傍まで寄ると、鍵を閉め忘れていることに気づいた。
機密性の保持はあれほど重要だと普段から言い聞かせているのに。
鍵を閉めながら水前寺は苦笑する。
と言っても、窓の鍵くらいで守れる機密性など青少年が自室でアレする時に邪魔されないという程度のものでしかないのだが。 機密性といえば、シェルターの解体はもう既に大半が終了しているはずだった。装備などの情報を保護するためという名目で園原中学は今日一日休校扱いになったのだ。
水前寺は朝から学内に潜伏し軍の動向を調べていたが、めぼしい収穫はなかった。
「さて、そろそろ移動するか」
解体されたシェルターの様子を伺っても、特に何かが得られるわけはないと思ったが、それでも調べるのがジャーナリストの心得でもあるし、なにより手がかりが欲しかった。
部員の全員のありし日の顔を思い出す。
なんとしても記憶を取り戻す。
どんなことがあっても、どんな手を使っても。取り戻さねばならない。

部室の鍵を閉め、目的地に足を向ける。特に意味もないかとは思ったが、砂利道を避けてコンクリートと芝が露呈する通路を通って足音を立てないように注意する。普段通りの中学だとはいえ、特別な日には特別なことが必ずどこかで起きるし、なにかしら人の意思が働くものだ。それを阻害せず取材しなければ対象は闇に隠れてしまう。
用心は常にするからこそ用心なのだ。

遠くでカラスのなく声が聞こえる。校外にあるスピーカーが起動する「ぶつっ」というノイズが走り、「遠き山に日は落ちて」の音楽が流れて録音された女の声がもう7時を過ぎたから飛んでくる対爆ミサイルに気をつけてラリッた変質者の追跡を逃れて北のスパイの背後からの狙撃に注意して装備の点検をして夜襲に備えて早く寝ろ。
――大きなお世話だ。
音楽が鳴り終わるまで少しだけ歩調を速め、音楽が終わると同時に水前寺は立ち止まった。
スピーカーが切れる音に紛れて、近くで砂が擦れる音がした。
無人のはずの校庭で。
あれほど長かった夏を終えると同時に迎えた秋は既に過ぎ去ろうとしている。肌寒い風が吹く最近は五時を境に一気に暗くなる。現に校内の外灯の光が届かない場所にいる水前寺の視界には完全な闇が訪れており、敵が忍んでいたとしたら3メートルの距離まで近づかなければその存在に気づくことはできないだろう。
音がする方向へ足を進める。
3メートルほど闇の中を進み、角を曲がり、視界が少しだけ開け、
「―――っ」
ぎくりとした。
誰かに見られている感覚が背筋を走る。
音は立てない。極力小さい動きで首を巡らせ、見られている方向に視線を向ける。
満月だ。
妖しいほどの光を放っている満月がじっとこちらを見つめている。
嫌な予感と同時に、今日は何かが起こると水前寺は直感した。頬が自然と緩んでくるのを感じる。この感覚を待っていたのだ。しかし心はいつものように高揚はしない。部員達のことを思い出せば、高揚などすることはできなかった。
また音が聞こえた。
意識を自分の周囲に向ける。そう遠くはなかった。
音の聞こえた方角と、校庭のマップを頭の中で照合しおおよその位置を把握する。
先ほどまでの40%ほどの速度で水前寺は追跡を開始する。
満月の妖しい光に水前寺の表情が映し出される。 獲物を追い詰める狼のような鋭い目つきで獲物が潜む闇を睨み付けていた。


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