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回収


園原市に深夜の静寂は未だ訪れない。

水前寺が後方を振り返ると既にバンの姿はない。
バンの代わりに2台のパトカーが轟音を鳴らしながら追走を続けている。
水前寺は脳内のマップを常に更新しながら狭い路地などを使い、巧みに追っ手を撒く。
白バイが出てきていないのが幸いだった。
水前寺は幾度も無茶なカーブを断行し、薄暗い路地にたどり着く。
カブのスピードを緩め、耳をすませるが、カブのエンジン音以外は聞こえてはこなかった。
「しのいだな」
「ちょっと休憩しようぜ」
何もしていないはずの町田は力が抜けたようにカブから尻をあげて地面にへたり込む。
こうやって町田はことあるごとに休憩を申し出る。
水前寺はため息をつきながらカブに跨ったまま町田に頷く。

既にカーチェイスは30分以上続いていた。
パトカーの数も問題だが、やはり問題はあのバンだった。
今いるような狭い路地には当然バンも追いかけてこず、その瞬間は撒いたように思う。しかし、路地を抜けた途端に遠くからまたバンのタイヤが激しく擦れる音が響き、パトカーよりも早く水前寺たちを捕捉する。
そういったことがもう3度繰り返されている。
「ここに居る時間が長ければ長いほどまた追い詰められるぞ?」
舌打ちが町田から発せられる。
「くっそ! なんであいつらこっちの位置がわかるんだ!」
町田の悲鳴はもっともである。
しかしその理由を水前寺はとうに知っている。
知っていてなお水前寺はこの逃走劇を繰り返していた。
時計を確認し、水前寺は予想を確信に変えた。カブのガソリン残量を計算してから水前寺は町田に向けてつぶやいた。
「カブに発信機が取り付けられている」
よほど驚いたのだろう。町田は水前寺の言葉を耳にして息を呑んだ。
「やつらならそれぐらいやるさ」
カードを使えば軍に捕捉される。
これは潜入前からわかっていたことだ。
そして実際に水前寺は市川大門駅でカードを使用した。しかし待ち伏せはトイレではなくカブの方に為されていた。
警官に、市川大門駅のトイレに近づいてほしくなかったのだろう。
あれほど現場に急行してきたバンが、しばらくの間なりを潜めていたのはトイレに残された水前寺の活動の跡を消すためだ。今頃居女子トイレは数時間前と同じ静けさに包まれているだろう。
ここにある種の仮説が生まれた。

――警察と軍は繋がっていても、それは信頼とは程遠い関係なのではないか。

軍は自分と町田を追い詰めようと躍起になっている。
目的は当然、例のカードだろう。
しかし奴らとて一介の秘密組織なのだ。軍の秘密を露呈されたままほっといておくわけにはいかない。
そこで警察の出番だ。
テロリストだかなんだかを称せば奴らはエサにたかるハイエナのように水前寺を追い、その間は水前寺も警察も軍の秘密になど注視しない。その間に秘匿するべき情報を秘匿するのだ。
現に例の白いバンは警察を撒いてからでなければ姿を現さない。
連携を取ろうとしていなのがこの30分弱のカーチェイスでよくわかった。
一瞬――警察の中に信頼できる人間を見つけてカードを預けようかとも思った。
だが、それは一瞬の笑みにかき消される。
馬鹿げている。
このカードは軍の機密を暴くために使えるんです、とのたまった所で軍の裁くべき悪事が露呈するわけでもない。いかな警察といえども犯罪には繋げられないものを手渡されても結局は闇に葬られる末路しかない。
やはり自分でどうにかするしかないが、軍と警察が密接な関係であるかどうかは今後のためにも絶対に抑えておかなければならない懸念だった。その懸念が消え去ったのを感じて、水前寺は久しぶりに安堵の息を吐いた。

「これからどうするんだよ」
町田が苦い表情で水前寺をにらみつける。
カブは今も位置情報を発信している。
しかしバンを降りてまで奴らがここに踏み入らないのはなぜだ。
思えば夕子と公園で合流しようとしていたときもそうだ。
明らかに水前寺を狙ったかのようなタイミングでバンは飛び出してきた。あれは水前寺が曲がり角に差し掛かる瞬間を発信機で把握していたからだが、本当に危害を加えようと目論んでいるのなら車など使わないほうが確実だ。
その理由は恐らく――。
「ふむ」
水前寺は今後の動きを再検討する。
町田には説明をしていないが、水前寺がカブに発信機を取り付けられていると確証を得たのは天じいから預かっている電波感知器を先ほど使用したからだ。
水前寺は自宅で感知器を使用したが、外にあるカブにまでは感知器を向けていなかった。恐らく、やつらはかなり前から自分の部屋にではなく、カブの方に発信機を取り付けていたのだ。水前寺が何か行動を起こすときには大体カブを使うし、恐らく軽トラの方にも取り付けられているだろう。考えてみれば衣服に発信機を取り付けても脱いだり洗濯したら大体はアウトになる。移動手段であるカブや軽トラのぬれない部分に忍ばせるのが常套手段だ。
さらに言えば、感知器は予想外の事実も露呈してくれた。
水前寺はその情報から予想される事態を洗い直し、決断を下す。
「よし、ここからは別行動だ」
水前寺の発言に町田はがなりたてる。
「もしかして俺を置いてけぼりにするつもりか! 俺やだぞ!」
眉間に水前寺は幾重にもしわを寄せる。
――これもそうなのだろうか。
「安心しろ。あいつらはカブを追いかけてるんだ。俺が街中を駆け回ってる限りお前に追っ手はこんさ」
「いや、それでもさ」
町田はなんのかんのと別行動を拒否する。しまいには心細いだのそれでも追いかけられたらどうすりゃいいだの情けないことまで言い出した。水前寺は内心を表に出さないように注意しながら、呆れ顔を浮かべて、
「絶対に大丈夫だ。それと、見捨てるつもりがない証拠に、これを預ける」
そう言いつつ水前寺はデニムのポケットに仕舞い込んでいたカードを町田に渡す。
「――、これって」
「さっきトイレでロック解除するのに使った敵の重要なカードだ。やつらにとってこれを回収するのも任務のひとつだろう。それをお前に預ける」
町田はおずおずとカードを受け取る。
「頼むぞ。おれにとってもそれは生命線なんだ。明日の朝10時にさっき指定した場所に来てくれ。友人の預かり物だから必ず返さなければならんから、必ずそれを持参してくれ」
「わかった」
先ほどまでとは打って変わった凛とした表情を町田は浮かべる。水前寺を一度正面から見つめ、ポケットをズボンにしまいこんだ。
「よし、うまく逃げてくれよ――、ではまた明日!」
水前寺はグリップを回し、狭い路地からカブを発進させる。

1人残された町田は水前寺のカブが放つ気の抜けるようなエンジン音が遠ざかるのをしっかりと確認した。先ほどまでと違って、水前寺が路地を飛び出してもパトカーの音も、バンが急に現れるような音もしない。
町田はポケットに手を入れ、家の鍵がついたキーホルダーを取り出す。
周囲には誰もいない。
今しがた水前寺にうまく逃げろと言われたにも関わらず、町田の歩みには焦りがない。
人気を避けるように進むその姿が路地の闇に消え去る。

徐々に浮上がる町田の表情は、誰も見ることができなかった。


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