突入
いよいよだ、と水前寺は思う。 道路を挟んで向かい側に位置する清水仏壇店の入り口に双眼鏡を向けながら、水前寺は芳香剤が立ち込める一室で深く息をする。 作戦開始時刻まで後5分。 夕日は既に沈み、街灯が灯る町外れの閑散とした風景の中で清水仏壇店が放つ煌びやかな明かり。しかしそれは水前寺にはどこか毒気を含んだ人工的すぎるものに見えた。屋上から伸びる広告塔には赤々と「仏」一文字の禍々しい灯りが周囲に向けられ、車通りは予想通りまったくない。 遠くでサイレンの音がする。 またどこかの悪漢が痴漢だの銀行強盗だのテロだのを起こしているのだろう。 だが今の水前寺にはそんなことは関係ない。 最後に機材のチェックをしようかと思ったが、それは出撃前に十分やった。あえて確認する必要はないだろう。それよりも眼前で不測の事態が発生しないかどうかの確認の方が優先すべきであると順位付けを行い、再度清水仏壇店のチェック箇所に双眼鏡を向ける。 綿密な調査を行った結果、やはり清水仏壇店は異様な警戒態勢を敷かれた店舗であることを知った。 目に付く限りでは、店舗への入り口は2つしかない。正面入り口と仏壇などを搬入するためのトラックがそのまま入り込めるようになっている裏口の2つだ。 まず正面入り口の警備システムは監視カメラはもちろん、赤外線センサーやら衝撃感知式のアラームや指紋認証タイプの電磁ロックなど一介の仏壇店にしては厳重なものが取り揃えてあった。 だが裏口である搬入口はなお酷い。 道路に面している正面入り口と比較すれば、周囲を商業ビルに囲まれている裏口をより厳重に警護するのは当然である。しかし、感知器を使わないと目視すらできない機会反応が30もあるのはどう考えても異常だ。 調査では地下の下水管を通ったりしたが、不審な点はいくつも見つけることはできたが侵入路になりそうな箇所はどこにもなかった。 結局全部を調べきるのに4日もかかってしまった。 だがその甲斐あって侵入計画は固まったし、懸念事項であった町田との連携も連中には気づかれていないことがわかった。 「――お」 双眼鏡の2つの望遠レンズが店内から出てくる老夫婦2人を捕らえた。 店内にまだ残っていた最後の客だ。 作戦をアルファからベータへ変更。 「ありがとーござーましたー」 軽快な動きで一度しまった自動ドアが再び開き、そう声を上げつつ大仏が姿を現した。 といっても、当然奈良にあるあんな馬鹿でかい大仏が出てきたのではなく、首から上を模したマスクを被った従業員だ。なんでも仏像キャンペーンをやってるだかなんだかで、客に話のきっかけを作るためにああやってマスクを被ったまま接客しているらしい。 頭がトチ狂っているとしか水前寺には思えなかったが、連中の店員の数を調べる際に予想外にこれが不都合であることに気づいた。 何せ顔全部を覆っているのだから、あとは身長と名札ぐらいしか個人を特定する術はない。しかし、身長はおそらくわざと似通った人間を編成しているようだったし、名札などあってもマスクを外さなければ誰が被っているかわからない。これを狙ってのマスクなのかどうかは推測の域を出ないが、事実水前寺は店員の正確な人数を今日に至るまで把握できなかった。 これは侵入計画において重大なリスクでもある。 店員の数が絞りきれないのは痛手だが、要は攻め方である。ここまでは想定している状況を覆すような事態は起こっていない。 唯一危惧していた件はなんとか作戦実行前に解決できた。今日の午後、実家を襲った兵士3人への対処は既に済んでいる。 清水仏壇店を嗅ぎまわっていたのだから連中も自分を止めるのに必死だったのだろうが、たった3人でウチに来たのが運のツキだ。 事態を想定していた水前寺は天じいにも手を回し、父親と口論しながらも罠をはっておいた。 それにまんまと引っかかった3人は今頃は糞と戯れているだろう。 あの惨状を思い出すと一瞬憐憫の情が浮かぶのだが、うちの家族を狙うなどという卑怯な手段に出たのだから当然の報いである。 農家を敵に回せば糞と友達になるまで解放などされないのだ。 計画の最中に人質をとられると対処に困る。ここに憂慮する必要がなくなったのは純粋に助かったと表現せざるを得まい。 腕時計を見る。 時間だ。 胸ポケットに手を当ててポケベルで待機しているメンバーに連絡を送る。と、同時に自分が滞在している個室のドアがドンドンと鳴らされる。 「お客さん! 腹が大変なのには同情するのですがっ! 他のお客さんもいらっしゃいますし! その! ここのトイレはっ、我々従業員も使用しておりましてぇっ! なにとぞっ! なにと、あっ! ……実は私も! その! 限界でっ!!」 いかんいかん。糞と友達なのは水前寺一族の慣わしだとしても他人の尻が臨界点突破する音を聞きたいなどとは思わない。小窓にかけたままだったブースターマイクと膝の上のラップトップを鞄に収納する。 袖をまくり、腕の皮膚に直接口を当てて盛大に息を吹き込む。 とんでもない大音量で尻が臨界点突破したような音がトイレの個室の1つから放たれた。 ドンドンとうるさかった扉が急に静かになる。 水前寺は滑らかな動きで下げる必要のなかったデニムを腰に引き上げ、外す必要のなかったベルトを締めなおして便器のコックを下げた。 水が流れる音と共に外に出ると、タイル張りの床にへたり込むようにしていた雲屋書店の従業員とおぼしき男が、 「だ……大丈夫ですか?」 とドン引きしたような顔と上ずった声で見送ってくれた。 明朗快活に水前寺は返事を返す。 「気遣い痛み入るっ!」 店を出て、道路を一気に横断した。 視界のすべてを埋め尽くすように鎮座するのは清水仏壇店の難攻不落の正面入り口である。 もう既に連中のカメラには自分の姿がありありと映し出されているだろう。 シェルターに始まり、目の映像、グレーのカード、町田一輝、レンタルビデオのレシート。仏壇店への潜入。 認めなければならない。そのどれもが奴らの想定の上での行動になっていることを。自分は奴らにとって大慌てで園原市中を走り回るピエロに過ぎなかった。 連中の視野、行動力、そして何より予測力を認めなければならない。 改めて考えてみれば、それは当然のことだった。 自分は万能ではない。 生まれてからこの方、自分が本当に成し遂げたいことは、何1つ達成できたことなどなかった。 『知りたいこと』は、いつも自分の手のひらからするりと抜け落ちてしまう。 6つになったあの日から、既に9年が経った。 疑問は未だに自分の心の中で深く根付き、暗い穴を穿ち続けている。 だが、その穴は園原中学に入学して一年が経った頃から時々存在を忘れることがあった。 初めて自分を部長と呼んでくれる後輩ができた。 初めて自分に堂々と意見をぶつけてくる後輩ができた。 初めて自分と似通った不器用さを持つ後輩ができた。 全員の顔が1人1人浮かんでくる。 部長。 部長! ぶちょー。 言葉にすればたったそれだけのことなのに、自分にはどうもそう呼ばれることに特別な感情を抱いてしまうらしい。理由もなにもわかったものではないが、自分は今も考えている。 もう1度、全員の揃った光景が見たい。 その気持ちは『知りたいこと』を知ることよりも、今は優先したかった。 同時に、なぜか耳元で浅羽夕子の声が甦る。 ――無事に帰ってきて。 無茶を言う。と水前寺は思う。 なんとも難しい約束を交わしてしまったものだ。 だが約束は約束だ。 もう一度気合を入れなおし顔を上げた。と、同時に背後から声が掛けられる。 「お待たせ」 振り向くとそこには息を切らしながら笑顔を浮かべる町田がいた。 「遅いぞ」 「わり、出すもん出しとかないといけないと思ったからさ。ちょっと手間取った」 「――ふむ。それは確かに大事だな」 「だろ?」 2人は示し合わせたように一度だけ声に出して笑い声を上げる。 「――よし行くか」 そして水前寺と町田は何が潜むかわからない伏魔殿の門をくぐった。
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