宣伝
宴の終焉は未だ遠い。 時計の針が頂点を指し、合わせて戦車の空砲が夕刻を示す数だけ連射される。同時に会場の人だかりは飽きもせず、何度目になるかもわからない爆発的な盛り上がりを見せていた。偶然隣合わせになった男と肩を組んだり、酒を飲ませあったりしている光景はたちの悪い花見のようだった。 群集が集結している会場は今日だけのために作られた特設ステージが併設されたものであり、野戦訓練に使用されていた敷地にセットされている。野外であるため夕刻の日差しを直に受けているはずなのに、人々はまったく気に介した様子もない。 特設ステージ自体は中学校の体育館舞台をそっくりそのまま抜き出してきたようなものだ。しかしそれを取り巻く28連ライトであったり、巨大なスクリーンが舞台上空に3面、ステージを取り巻くように取り付けられており、ステージの状況を据置カメラで4時の方向からと8時の方向から実況し、舞台上に上がっているカメラマンが残りの様々な角度から撮影してスクリーンに映し出している。どう考えても園原市の無駄金の用途となっているのは誰の目にも明らかだった。 閉じられた幕の最上部には悪趣味な金文字でこの会場で開かれる大会の題目が掲げられている。 曰く、 「宣伝するから金をくれ」 ネーミングは誰が考えたのかもわからないが、色々とだいじょうぶかと不安になるタイトルであったが、この企画自体はそう変わったものではない。要は自己アピールの団体版である。主に園原基地内でオープンしたばかりの店がうちではこんなことやってますよとアピールし、少しでも店の名前を広めようと集まって立案された小規模な企画だった。しかしその話を基地側に報告したとき、電話で応対した担当の人間が妙に盛り上がり、それならいっそ盛大にやっちまおう、景品もつけちまおうと言い出してその波に飲み込まれるように企画内容が派手に膨らんだ。 以下は会場案内に添付されたチラシに記載されている今大会のルールである。 参加団体には1組10分の時間が用意され、各々が用意するなにかを観客が採点することで優勝者を決める。 進行形式は各々の団体が取り決めてかまわない。 10分の枠を超えてしまえば失格となる。 観客による採点は入場の際に配られた採点スイッチが用いられる。 採点スイッチには3つのボタン、「甲」「乙」「丙」が取り付けられている。 それぞれ10点、5点、1点の役割を担っており、合計点が高い団体が優勝となる。 優勝者には優勝賞金100万円と、豪華記念品が贈呈される。 非常にシンプルな内容だが、なにせ観客が高得点を出せば優勝なのである。 観客の印象に残りさえすれば何をしてもいいのだ。いや、むしろ奇抜なことしないと駄目なんじゃあ。 そう考える団体は少なくなかった。 アナウンス代わりの防空サイレンがこだまする。それは小休止時間の終了を意味していた。 ステージ上ではテレビカメラを肩に担いだ自衛軍兵士と、バッファローのように興奮して動き回る米兵の姿があり、小休止時間であるに関わらず叫びまわっている。サイレンの音が聞こえると、 「いい加減リスタートしますよエブリワーーーーーーンっ!! 退屈な時間を提供してしまいこのアントニオまことに土下座デース! しかし、ここからがデッドヒート! 現在までの最高得点は1287点という高いのかどうかもよくワカラナイ点を叩き出したチーム龍牙山の空手道場デース! あまりのヴァイオレンスな内容に肝っ玉を冷やしたピープルも多かったのではナイデショーカ!? でわ、後半戦最初のチームの登場です、チーム断髪式! 浅羽理容店のメンバーデスッ!」 アントニオは腕を大袈裟に3回転させながら自身の左方に向けた。 袖幕から順に浅羽家一同がぞろぞろと姿を現した。 父と母はそろって仕事着を身につけ、共に笑みを浮かべている。母は自然な笑顔であるのに対し、父は引きつったようなこれからアンタに詐欺ってもんを教えてあげますよ、とでも言わんばかりに胡散臭い愛想笑いを浮かべている。 浅羽はどこか気分が悪そうにお腹を押さえながら歩き、伊里野は心配そうに浅羽を見つめながら頑としてそこには誰もいないかのように客を見ようとしない。夕子も伊里野と同じように客を見ない。斜め右方に親の仇がいるかのような鋭い目つきでにらみつけ、この状況を直視しないように決め込んでいるようだった。 登場と同時にせーの、という声が観客席から発せられる。直後に、 「あさばーーーーーーーーーーっ!!」 「いりやーーーーーーーーーーっ!!」 「ゆーこちゃーーーーーーーんっ!!」 という3人を呼ぶ声が会場に広がる。 ステージ上の3人が驚いたように声のした方向を見ると、観客席のちょうど中心に当たる場所に須藤晶穂や島村清美、西久保正則や花村祐二といった仲良しグループの面々や、中込真紀子を筆頭とするクラスメートや夕子の部活仲間のぎーやその他大勢の園原中学の生徒が身を乗り出すように口々に声援を送っている。 ステージの3人は各々恥ずかしそうに手を振ったりするが、それに反応して野次や口笛がピーピー浴びせられる。 「これこそフレンドシップというものデスねー、さて! ハリーアップで進めないといけないのでー、ミスター浅羽? 内容をテルミー」 アントニオはマイク代わりの手榴弾を父に向ける。 「…………………」 マイクを向けられた父は何も反応しない。愛想笑いを浮かべたまま停止する。周囲が少しだけ混乱のまなざしを父に向ける。 父は視線だけを手榴弾に向ける。思考が渦巻く。 なんでこいつは手榴弾をこっちに差し出してるんだ、む。これは確かM26じゃなかったか、そうだそうだ。確かボウソン地上戦の時に発注ミスで大量に余ったこのレモンが基地に押収されたとかなんとか言ってたな。しかしなぜこれが今ここでこっちに向けられてるんだ? こいつまさかウチの家族を狙った爆弾魔か? もしくはテロのために人質を探して……、確かに母さんは美人だし、直之は人質にしやすそうだし……、いや夕子を狙ったロリコンかも、いやいやそれこそ伊里野君を狙った北のアザラシかもしれん、と目の前のアントニオに疑惑を浮かべたところで、 「サー? あのー、ご説明を……」 アントニオの不安そうな表情を見て、さらに手榴弾を見て、ああ! と父はようやく気づいたように手榴弾を受け取る。慌てて視線を会場に向けて、 「えー、今日は、そのー、お日柄もよく…………」 自分を見つめるおびただしい好奇の視線を一身に受け、父はもう駄目になっていた。 沈黙が続く。 会場の全員が「セリフ忘れたな」と思った。だが父は突如自分のポケットをひっくり返しだした。 会場の全員が「カンペあるんだ」と思った。しかし父はものの数秒でがっくりと肩を落とした。 会場の全員が「無くしたのかよ」と思った。それでも父は顔を上げた。辺りをゆっくりと見回し鼻息を一発、隣にいる母に向き直り若き母を口説いたときと同じくとても爽やかな笑顔で、 「後は頼んだ」 母は口説かれた時と同じく胸をきゅんとさせる。 横ではらはらしながら様子を見ていた浅羽と夕子の目が飛び出さんばかりに見開かれる。伊里野は浅羽と父と母を交互に見て、とりあえず浅羽の後ろに隠れる。母は紅潮した頬を浮かべたまま手榴弾を受け取り、一歩前に出て完璧な挨拶をした。こういうときに母は強い。 母が挨拶を済ませると、アントニオに進行内容を書き写した紙と手榴弾を返す。 「エー、あ、この通りに進行すればいいんデスネ? わかりましたっ、それでは、ステ~~ジ、オープン!!」 同時にプシュッ、という空気が抜けるような音と共にスモークが立ちこめ、多彩なライトが辺りをさまよい、ファンファーレが鳴り響く。幕が上がる。 観客がおお、とどよめく。 数秒後、舞台の上には浅羽理容店があった。 まるで演劇を見ているような光景だった。 浅羽理容店を壁から内側を分断して、全部持ってきたかのような有様だ。作業椅子もあれば散髪に欠かせない道具一式、髭用のシェービングクリーム入れや各種揃えられたシャンプーやリンス、パーマ用のキャスター付き機材、週間誌ですら小さい書棚に今日発売の最新のものからバックナンバーが7週前のものまで用意されている。演劇と違うのは背景がハリボテではなく実在するものを再現して配置されていることだ。最近まで浅羽理容店を利用していた者が見れば、その再現率が異様に高いことがわかる。唯一異なっているのは鏡がなく、2脚の作業椅子が観客に向けて座るように配置されていることだ。 「オオーーっ、これはスゴイ! 私も何度かジャパニーズヘアーカットを利用したことがあるのでわかりマスが、まるで店の一部がエスケープしてきたようデス! これはスタンバイするのが大変だったのではないデスカ?」 アントニオは腰のベルトにぶら下げられた手榴弾の1つを取り、母に渡す。母は落ち着いた表情で、 「いえいえ、知り合いの方がご好意で準備の一切を手伝ってくれると言うので前のうちの店舗の写真を送っただけなんです。まさかここまで再現してくれるとは思ってくれなかったのでこちらも驚きました」 「す、すごいフレンドデスね、ではこれよりルールの説明デス、主に内容はヘアーカットデスね?」 「はいそうです。髪を切って欲しい方を観客の皆さんから募集したいんですけど」 「ナルホド、ヘアーカットはミスター浅羽とミセス浅羽でそれぞれ行うと!」 母は冷静に観客に目を向けた。ざわめきの中の観客の声を拾う。 なんだ、普通の散髪かよ。あんますごくねぇな。多分今日オープンらしいからとりあえず宣伝目的だろ? それらの声に納得したような表情で母は首を振る。 「いえ、普通に散髪してもお祭りにはふさわしくないので、少し変わった方法を取ります」 アントニオの目がギラリと光る。 「オー、というと?」 「観客の方から2人ステージに上がってもらって、1人の髪を私と主人で切ります。そしてもう1人の方の髪はこの2人に切ってもらいます」 そこでくるりと母は後ろを向き、後方で控えていた浅羽と伊里野をずいずいと押し出すようにつれてくる。 「ワアッツ!? つまり1人の髪を2人ずつでカットするのですか?」 「はい、時間も多くはないので手分けして作業します。それで出来映えを見てもらってどちらがよかったかの点数をつけてもらいたいです。総合採点は私達の対決を見届けてもらってから結論を出してください」 「つまり親対子のバトルだと言うことデスね!? フーム、ヘヤーカットでバトルとはなんとシュール! ンン? 頂いた資料には息子さんの浅羽ボーイは学校で友人達のヘヤーカットをしてあげているとのことデス! ただの茶番にはならないということのようデス! では、早速始めまショー! 2人がかりでヘヤーをカットするという未知のワールドへ飛び込みたいデンジャラス野郎はイマセンカー!? ちなみに参加してくれた観客の方には浅羽理容店からすばらしいプレゼントがあるそうデス!」 会場内は再びどよめきが広がる。なにせ2人がかりで自分の髪の毛を切られるなど経験したことのある者はいない。不安と興味の間で迷う観客が、お前いけよ。やだよ。髪切るってこの間言ってたじゃん、2人に切られるとかどんなことになんのかわかんねーのやだよ。あれだよ、どうせ1人がばっさり切りまくった後もう1人が仕上げるとかそんなのだよ。じゃあお前いけよ、と論争を繰り広げていた。 「オー、やはり目前に迫ったアンノウンを目の前にすればそう簡単には動けまセンか、こちらから指名するべきでは…、ハイ? 」 母がボソボソとアントニオにだけ聞こえる声で何かを耳打ちする。 「これを読みあげればいいのデスか? えーコホン。『聞け! 混迷する会場内に真実をこの手に掴もうとする勇士が不在であることを私は真に残念に思っている! 未知を超えた先にこそ真実は存在し、真実を掴み取ることでしか理解には至らない! だが、情報の不足が事態に困窮を招いている! しかしそれでいいのか!? ここで誰も立ち上がらなければ皆が分かち合うはずの正義は消失してしまうのではないか!? 正義はもうどこにもないのか、否! 真実は、正義は常にそこに存在する! 闇のとばりに隠されているだけだ! 士よ! 聖戦の士よ! 今こそ立ちあがれ! この試練を乗り越えた光の先にこそ真実は存在するのだ!!」 あいつ普通に日本語しゃべれるんじゃ? と会場の全員が思ったそのとき、 「そこまで言われては黙っておれんな!!」 突然の叫び声に全員の視線が一点に集まる。舞台上の夕子が送る親の仇に向けそうな視線と重なる。 会場横の監視塔のてっぺんの手すりの上に身の丈豊かな男の姿があった。
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