夏の滑空男
軽トラがはね、尻が浮き上がる。 尻に敷いたレジャーシートの位置を浅羽は手だけで直す。 浅羽家の家財を満載に積んだ軽トラの荷台で、家財同士の隙間にまるでお前もその一つだ、と言わんばかりに伊里野共々おしこまれた。幌もかけていない荷台では真夏を迎えたかのような熱気が浅羽の頬を撫でて過ぎた景色に溶け込んでいく。それは見覚えのあるものから、最近できたものまで分け隔てなく太陽の下にあった。 軽トラはいつしか街外れにさしかかろうとしていた。 新しい夏をその身に感じて気分が高揚するのを感じた。しかし、ふと視界に入ってきたのは去年の夏にできた仏壇店の広告塔だ。仏一文字をこれでもかと主張し、「年中無休でフル稼働、墓石からお線香、果ては作法のレクチャー付きで万事取り揃えております!」の宣伝文句が書かれた横断幕。雰囲気が壊れるような気がして目をそらした。 隣に座る伊里野とまともに目があった。 少し心臓がはねる。 伊里野は膝に抱いた校長に視線をそらす。 浅羽は少しだけ焦りのようなものを感じて、荷台の前方に視線を向ける。 1メートルと離れていない場所で、軽トラの天板をバシバシと叩きながら夕子が幼児のようにはしゃいでいる。 走る車に乗ること自体が夕子には久方ぶりのことのはずだ。自家用車である軽のワゴンはとても手では持ちきれない買い物をする時か、父の実家の苑木沢に向かう時ぐらいしか稼働しない。自宅が勤務先である父はその年に数度しかない運転の度にエンストを何度も起こしながら悪態をついて運転する破目に陥るし、母に至っては免許すら持っていないのではないか。故に、夕子のあのはしゃぎぶりも浅羽には同意するものがある。荷台で立ち上がり、風が後方へ突き抜けていく感触がある種の高揚感を生む感覚を夕子は新鮮に感じているのだろう。 なあー。 風に流されそうなか細い声がすぐそばから聞こえた。伊里野と同じように校長に視線を向ける。校長が顔を上げ、眠たそうに大きく口を開けた。一筋の疑問が浮かんだ。 「そういえばさ。伊里野はどこで校長を見つけたの? 三日前くらいから家のどこにもいないって夕子が探し回ったりしてぼくも街中歩き回ってたんだけど」 「きち」 簡素な返事が返って来た。 「基地って園原基地?」 伊里野が頷き、 「校長は園原基地まで迎えに来てくれたの」 そう言って笑いながら指で校長の鼻の下をなでる。校長はくすぐったそうに伊里野の膝の上で身をよじる。 「基地に着いたのは朝だったんだけど、通された部屋に校長がいたの。用意されてたベッドの上で気持ちよさそうに寝てた」 苦笑する。去年の夏、園原基地は完全無欠の城壁のようであったと話に聞いたことがある。墜落したUFOの目撃情報を、とかそう言った輩が墜落地点まで到達しようと何人も行方不明になったとの噂までたった。その頃と今とでは比較にならないが、それでも園原基地の内部にまで潜入できるというのは並大抵のスニークスキルでは不可能だと思う。それをこの眠たそうにしている猫はなんなく突破してしまったという事実がどうしようもなく口角を上げさせた。 「昨日までいた基地から園原に向かったのは夜の2時くらいだったと思う。ブラックホークに乗って、夜の海を見てた。たくさん島の上を通って、ずっと起きてるつもりだったのにいつの間にか少しだけ眠っちゃって、操縦してた先坂に起こされて、それから」 伏せ目がちに話していた伊里野は突然空を見上げた。日差しに眩しそうに手をかざしながら、それを見た瞬間を思い出しながら、 「朝日がすごく眩しかった。目をこすりながら先坂が指示するブルズアイ方位020、距離0.5NMを見たの。そしたら、すっごく大きなよかったマークが目に入ったの」 伊里野は嬉しそうにそう言い、しかしその表情を鼻から呼吸すると同時に曇らせる。 「本当は……今朝までずっとこわかった。浅羽はもう私のことなんか忘れちゃってるんじゃないかって。色々あったから私も浅羽に何も連絡できなかったし、いきなり行ったら迷惑なんじゃないかって」 「そんなことないよ!」 思わず声に出す。 伊里野の膝の上で眠りかけていた校長が驚いて目を覚まし、夕子の足元に駆け寄る。 伊里野は体をびくっと少し驚かせ、それでもまた笑顔を浮かべてくれて、 「あのよかったマークを見て安心したの。浅羽が、さっき言ってくれたみたいに私には見えた。今までがんばったね。よかったねって、言ってくれたような気がして。それで、椎名やOSTやLSOの人たちが送ってくれるっていうのを断ってひとりで来れた。校長もついてきてくれた。浅羽のお父さんとお母さんと、えと、ゆう……にも挨拶できた。だから、ぜんぶ……浅羽のおかげ」 すべてはつながっているのだ、と浅羽は思う。 あの企画を思いついたのは水前寺だったが、誰よりも賛成したのは浅羽だ。晶穂も最初は渋ったが、浅羽の熱意にほだされて苦笑ながらに協力すると言ってくれた。夕子は引越しの手伝いがあるので断ったが、それでも浅羽は計画を誰より熱心に練った。頭の隅にいつもあったもやの正体はこれだと思ったのだ。何かをしたかった。去年の夏を終わらす区切りを、自分の中での決着をつけたかった。どうすればいいのか、なにがふさわしいのか。それがわからなかった。 ミステリーサークルを区切りとし、伊里野を探しにいくつもりだった。 「言い過ぎだよ。まだ未完成で不格好だったでしょ」 「そんなことない!」 今度は伊里野が声をあげた。 夕子と校長が同時に振り返る。伊里野は慌てて両手で口を抑えてぶんぶんと夕子たちに首を振る。何が起こったのか全然わかっていない夕子と校長は伊里野の仕草を見ても何も伝わっていないようだった。そりゃそうだと浅羽は思う。伊里野は顔を赤くして、 「あっ」 浅羽が気付くと同時に鼻血を出した。素早くティッシュを取り出して、 「この夏初めてだね、はなぢ」 鼻血を拭ってあげながらそう言うと伊里野はされるがままになりながら、 「ごべん。でも、すごくうれしかったがら」 よかったマークは新聞部で見つけたとても大切なものだと伊里野は鼻血を流しながら語った。 部室の壁にかけられた「よかった探し表」の欄に自分と同じイリヤとカタカナで書き込まれた欄があり、その横によかったマークを見つけた時は、新聞部にはもうひとりイリヤがいるのか、と思ったらしい。何しろ、伊里野が部室に現れる前からよかった探し表には10枚もよかったマークが貼られていたのだからそう思うのも無理はない。後日、浅羽に説明を受け、よかったマークの仕組みを知ると、当時の伊里野としては無表情である中でも格別に楽しそうな表情を見せたのを浅羽も覚えていた。どうやれば増えるのか、と熱心に聞かれたことがある。そのよかったマークシステムは基地にも持ち帰られ、浅羽も目撃したブラックマンタの撃墜数になったのである。 「部室のよかった探し表には伊里野の欄が今ももちろんあるよ。ぼくが頼んだわけでもないけど、誰も伊里野の欄を消そうとは言わなかったんだ。ただ、時間が経っちゃってるから伊里野のよかったマークはなくなっちゃってるけどね」 右の鼻の穴にぽっちを詰めた顔で、伊里野は笑った。 「がんばってふやさないと」 浅羽も笑顔でそうだね、と答えた。 突然後方から大音声のクラクションが鳴る。 驚いて立ち上がる。夕子も何事かと浅羽の傍に駆け寄ってくる。視線の先には、昨日見た水前寺の軽トラがあった。 「部長!?」 「なんでアイツが!」 運転席に座る水前寺が片手で返事をよこす。 浅羽たちの乗る軽トラの横に、ポンコツエンジンが悲鳴をあげつつ速度を上げて左から追い上げ水前寺の軽トラが並走する。 運転席の窓から身を乗り出すようにしゅたっと片手を上げて、 「みなさんお揃いのようで!」 走りながらでも耳に響くほどの大声で水前寺が笑顔を飛ばす。 助手席の窓が下り、母と父が風に負けないように声を出した。 「こんちには水前寺くん、久しぶり」 「どーも、今日も世話になるね」 水前寺は父と母に相対すると少しだけ慇懃な顔と声をする。 「いえいえとんでもない! もう要件はお済みですか?」 「さっきね。早速行くのかい?」 「ええ、こちらも準備は整いましたので」 なんのことを話しているのかわからない。それは夕子も一緒のようだ。 水前寺はこちらの荷台に顔を向けて、 「伊里野特派員! 久方ぶりだな! 息災か!?」 伊里野はそくさい? と首を横に傾けるが、なんとなく意味を察したのかうんうんと頷く。 「ならよしっ!」 そういって水前寺は右手でにゅっとグッドサインを送る。 「それではRVへ向かうぞ!」 浅羽と夕子は顔を見合わせ、 「RV?」 「集合地点」 伊里野がそっと教えてくれる。 「ってどこ?」 「なにをしておるか浅羽特派員、伊里野特派員、夕子くん、飛び乗りたまえ!」 獣のように叫びつつ、水前寺は指のグッドサインを保ったまま水前寺の軽トラの荷台を指す。 「ええっ!? 何言ってるんですか部長!」 「そんなの嫌に決まってんでしょ!?」 「何をいうか、我が園原電波新聞部の特派員がそんなことでどうする! 大丈夫だ、荷台にはクッションが敷いてある!」 視線を荷台に向ける。 「それのどこがクッションよ!」 夕子がそう叫ぶのも無理はない、水前寺の示すクッションとは体育で使う厚さ10センチに遠く及ばないマットだ。 「わかったわかった、そんなに怖いなら少し車を寄せるぞ」 水前寺のトラックがぐいっと急に近寄る。荷台同士がぶつかるのではないかという恐怖よりも水前寺の前も向いていない顔がぐいぐい近づいている方が怖かった。 「できませんってば! というかあぶ、あぶな!」 「まだそんなことを行っておるのか、伊里野特派員を見習いたまえ!」 ぎくりとした。振り返るとまさに伊里野は空を飛ぶ直前だった。勢いよく荷台に足を駆け、マット目掛けて斜め方向に飛んだ。スカートをはためかせながら飛ぶその姿はまるで飛魚のようだと浅羽は思った。ええー、と口から間抜けな漫画のモブキャラのような声が出る。 片膝を付きながら伊里野は着地して、なんでもなかったかのように立ち上がり、膝についた埃をぱっぱっと払う。 「かっこいい」 再度ぎくりとしながら隣を見ると夕子が感動したかのような視線を伊里野に向けていた。浅羽の背筋に嫌な予感が走る。こいつ、まさか。 「私もやる!」 ビンゴ、ヒュール! かつての伊里野の声が脳内で再生されたのを聞いた。嫌な予感だけなぜこうも当たるのか。夕子は浅羽が止める間もなく伊里野と同じ位置にポジショニングし、伊里野よりも速度をつけて飛んだ。 勢いが付きすぎたぶん着地が危なっかしかったが、伊里野がその手を取って体制の崩れを防いだ。2人がまだ慣れない緊張の中で、仕事をやり遂げたかのような笑顔で微笑みあった。 まずい。非常にまずい。これはいくらなんでもまずい。最後の希望をそこに見るかのように校長に視線を向ける。しかし、そこに校長の姿はなく、校長は既に飛翔していた。軽トラの天板から高く飛び上がった校長はなんなく飛び移ることに成功した。 そんな。 「さあ、浅羽特派員! 何をやっている! はやく飛び移れ!」 水前寺の催促がさらに浅羽を追い詰める。 視線を両親に向けると、運転席後部の窓が開けられて、 「直之、早くしなさい。並走って危ないんだから」 「そうだぞ、女の子2人が行ったんだから早く飛びなさい」 心の中で歯ぎしりする。色々と言いたいことはあったがその勢いを口ではなく体で表現する。2人と同様に同じ踏み切り位置に立って荷台を蹴る。 「それが親のいうことかーーーーーーー!」 夏の空に滑空男が舞う。 しかし浅羽はあ、と思った。 先の2人は進行方向に対して斜めに飛んだのに対し、自分は真横に飛んでしまった。その分、体が後ろに流れてしまい、浅羽の体は宙に浮きつつ荷台はどんどん右手に進んでいく。着地はできたが身体が後方に流れ、左足を基軸になんとか前を向くことには成功するものの上体は後方に引っ張られる。荷台の最後部から20センチもなかった。腕を回してなんとか体を前方に泳がせようとするのだが腕が空を切るだけで、瞬間的に落ちる、と思った。 しかしここでも伊里野は機敏だった。素早く荷台の隅にあった水前寺のと思わしきどでかいダッフルバッグを掴み浅羽に向けてジャイアントスイングの要領でぶん回す。 浅羽は藁にもすがる思いでダッフルバッグに手を伸ばす。掴んだというよりは引っかかった。ダッフルバッグの紐の部分に左手首が巻き込まれ、手応えを感じた伊里野が遠心力を利用しながらバッグを手前に引く。 絶望的な数秒間を生き抜いた浅羽は荷台のマットの上で伊里野共々両膝をついて荒い息を吐いていた。夕子は自分のさっきの表情がとても面白かったらしく、水前寺共々笑っている。 「し、死ぬかと思った」 水前寺は軽トラの後部窓から、 「あれぐらいでは死なん死なん、後方から追突でもされりゃ別だがな」 わっはっは。 いつか部長にも自分と同じ恐怖を味わって欲しいと思う。同じシチュエーションではなんなく乗り越えてしまうはずなので、自分が感じた恐怖と同量のものを別の出来事で起きてしまえばいい。そうなった時は今度は自分がわっはっはと、 「浅羽、だいじょうぶ?」 伊里野が心配そうな表情で手を差し伸べてくれる。心配してくれるのは伊里野だけだった。 「ありがと、もう、大丈夫」 前方では水前寺が父と母にまた叫んでいた。 「では後ほどそちらに向かいますので、よろしくお願いします!」 父と母は先ほど息子が死にかけたことなど目にしてなかったかのように冷静に、 「うん、ではまた後で」 「気をつけてねー」 とのたまい、速度を上げて先行していった。 なんとか立ち上がり、水前寺に声が届く距離まで近づく。 「部長」 「なにかね」 悪びれもなく水前寺は振り返る。 毒気を抜かれた浅羽はそれ以上追求するのをやめた。 「これからどこ行くんですか? ぼくたち引越し先に向かう途中だったんですけど」 水前寺はは? と声に出して、 「応答せよ浅羽特派員! ご両親から何も聞いとらんのか。日常会話もないほど君は家族とうまくいっていないのか」 あなたに言われる筋合いはないと声を大にして言いたかった。しかしどこが引越し先か聞いていなかったのは事実であるので、 「どこかは知らないです」 とだけ答える。 水前寺はふむ、と前を向いてひとり頷き、 「あの音が聞こえんか」 と空を指差す。 浅羽は耳を空に傾ける。 花火の音。 大砲が発射されたかのような大音声。 音は徐々に近づいてきてる。なんの音かはすぐにわかった。今日は米軍の撤退に伴う送別式典の日だ。ひとつの可能性が浮かぶ。 「え、なんで」 「やっと気づいたか。今から向かうのは園原基地だ」 「いや、だから、どうして園原基地に」 水前寺はこいつは一体何を言っとるんだ、といいたげな表情で、 「今日からそこに住むからであろう?」 目を剥く。 浅羽は振り返り、伊里野と夕子に救いを求める。 しかし驚いているのは浅羽だけで、2人とも息を揃えたかのように2度頷いた。 え、なんで、いや、だから。 ……え?
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