カウンター

不審な光


浅羽と椎名がテントで語り合っているのと同時刻。
喧騒の只中で、水前寺邦博は人の群れを掻き分けながら進み続けていた。

目標を見失ってから既に数分が経過してしまっていた。
園原基地内の人の数は時間が経つにつれて増えていっているような気がする。
まさに針の穴に糸を通すような間隔しかない人ごみを潜り抜けるのは労苦だが、それでもつい数分前に見かけた不審人物は探さなければならない。
それほどに異様な気配を漂わせていた男だった。
陽気を振りまく周囲の人間とは異なった、言うなれば殺気めいたものを漂わせている人物に気づいたとき。
以前感じた思い出したくもない悪寒と同格のものが背筋を走った。

本来なら、アピール大会を終えて各々の憩いの場所へ向かう集団に紛れて、自分も浅羽らと一緒に鉄人屋出張店へ向かう予定だった。
だが、軍用車が通り抜けるための長大な軍用道を敷き詰めたかのような人の群れの中で、何か肌にざわつく感じを覚え、そちらに視線を向けてから状況は変わった。
「マルセイユ直送、ブリリアントシャトール」といういかにも胡散臭いワイン提供店のテントの柱にもたれかかる様に、目立つ銀色のウェーブした長髪を無造作に後ろで一括りにした男が立っていた。
一目で日本人ではないとわかる男は水前寺よりもなお高い身長、朝昼晩にプロテインと肉しか食べない海兵のような筋肉を隆起させた腕、一蹴りで人間の内臓などミックスさせてしまえそうな脚。
最早手に持ったワイングラスなどどう見てもおちょこにしか見えない。そんな男がワインを口に運びながら向ける双眸は見ただけで違和感を感じるほどの熱が込められていた。
いや、それは熱というよりも狂気に近い視線だった。
その視線を追うと、そこには移動を続ける浅羽や、伊里野や、浅羽の家族、園原中学の生徒たちの姿があった。その事実に気づいた瞬間、水前寺はその視線が移動し、自分に向けられるのを感じた。
約3秒間、自分に向けられた金色に見えた視線は唐突に閉じられ、口元に邪悪な笑みを浮かべて男はワイングラスを床に落として人ごみに紛れた。
水前寺は久々に呼吸を忘れていたような感覚を味わう。同時に、額からは一筋の汗が流れ落ちた。
追わなければ、そう思うのだがなぜか最初の一歩が踏み出せない。男に向けられたのは視線だけであるというのに、それは自分を射竦めるに十分たる威圧感を孕んでいた。
――怯んでいる場合か。
足をひとなぐりし、今度こそ水前寺は全力で走り出した。

人ごみを掻き分けるかのように進む水前寺と対比して、男はあの巨躯であるにも関わらず、すいすいと流れるように歩を進め、いつしかその背中すら見えなくなっていた。
舌打ちが出るのを堪えきれない。水前寺は腰につけた無線に指をかけ、
「こちら水前寺、応答せよ」
応答はすぐにあった。
「榎本だ。どうした」
「不審な男を発見、目標は現在逃走中。恐らく狙いはパピーかアリス」
「危険か」
「例の男と同格だ」
「まじか」
「おそらく」
「わかった。4人送る。ビーコンは切るなよ。追跡するだけでいい。深追いは絶対にするな」
「了解」
水前寺が返事をした瞬間、ざりっ、という何かが割り込んできたような音が響き、
「無駄なことを」
思わず耳を疑う。
流暢だが、どこかイントネーションが異なる日本語が無線を通じて発せられる。傍受どころか割り込まれるとは水前寺も思ってもみなかった。
「何者だ」
「お前が水前寺だな? なるほど、確かにジュニアハイスクールに通ってるとは思えないな。そこらのデリケートな連中とは違う」
見られている。
辺りを見回すが、ついに男を捉えることはできない。
「目的はなんだ?」
「答えると思うか? だが、そうだな。今日はフェスティバルだ。ヒントをやろう」
無線から発せられる機械音に紛れて聞こえてきたのは、

「With malice toward none, with charity for all」

「――な、なに?」
「ククク、ハハハハハハハハハハハハハハ!」

ざりっ。

「水前寺、おい! どうした!? 返事しろ!」
無線からは再び榎本の声が呼びかけてくるが、水前寺の頭は男の台詞がぐるぐると彷徨っていた。
16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンの言葉。

誰にも悪意を持たず、全人に愛を。


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