カウンター

犠牲の果てに


パフォーマンスは大成功だった。

花村が言う天国の鐘の音という名のゴングが鳴った瞬間から死闘は始まった。
父と母は長年連れ添った経験から相手の行動の一切を理解していた。互いに邪魔にならず、それぞれの仕事を完璧にこなす。作業しながら浮かべる笑顔は、理想の夫婦を体現したような笑顔だった。4本の腕と、20本の指が自由自在に動き回る光景は見慣れたはずの散髪光景ですら希少な存在へと昇華させていた。
対して浅羽と伊里野との連携も父と母には及ばないものの、観客の息を呑ませるという意味ではこちらが上回っている。伊里野が取り出したコンバットナイフが、花村の耳元で唸りを上げ、目測を一瞬でも見誤れば大惨事になる所を神業のような繊細さで髪だけを凪いでゆく。幾度もステップを踏みかえ、右から切り上げ、左を切り落とし、皮膚まで数mmという所へ袈裟切り、大胆且つ繊細に花村の髪だけを切り落としてゆく。所作が一通り終わると同時に伊里野は瞬時に飛び退り、浅羽がその大胆な切り口を美しく整えていく。全体のバランス。髪の量を瞬時に見極め、無駄のない動きで刈り上げていく。
2組のペアが観客の歓声の中で散髪を進める中、刈られる立場の2人はまさに一挙手一投足を同じにしていた。水前寺は全身の力を抜いた超自然体で父と母に為されるがままになっている。2人の腕を完全に信頼していなければここまで力を抜くことなどできないだろう。
対して花村も悠然とした笑みを浮かべてどっかりと椅子に固定されている。だがその心身は水前寺とはまるで正反対だ。鐘が鳴るのと同時に花村は浅羽に頼んだ。
「首も固定してくれ」
花村の指示通り、用意していたベルトの中で最も力強く太いベルトを新たに取り出した浅羽は花村の首が閉まらないように微妙に調節して花村の首を固定した。2人は無言の笑顔を酌み交わせた。浅羽は少し下がり、切り始めようと準備完了している伊里野の邪魔にならないように場所を譲る。花村に近寄った伊里野は花村の首の固定が充分でないことに気づき、危険を防ぐためにキュッとベルトを締めなおす。花村は抵抗の声を上げる隙間をなくされ、半ば失神の一歩手前状態になるが、散髪を始めた伊里野には浅羽ですら近づけず、そのまま散髪を開始する。花村は少しずつ顔を青ざめながら、安らかな笑顔を浮かべている。
浅羽は父の元で厳しい修行を終えており、さらに伊里野のナイフさばきは長年の訓練の賜物であり、両親は元々これが本職だ。足でも滑らさない限り危険はない。
そしてその心配も必要はなかった。
フィールドホッケー部である浅羽夕子その人が、壇上にはあったからである。
髪掃き用のモップをスティックに見立てて、縦横無尽に壇上を駆け回る。夕子がモップを向けるたびに2組の椅子の足元に落ちてゆく髪は次々と消えうせ、壇上から姿を消してゆく。
壇上から突如転移した髪は最前席に陣取っていた75歳藤吉老人の頭部に不意に現れ、
「おおっ! なんと! 髪が蘇ったぞい!」
と叫ばせ、近年頭部の後退具合を気にしている中年男性が我もこの恩恵に! と奇跡を求めて深々と一礼し、きらきらと光るつるっぱげを壇上に向けて差し出す。
そう、彼女は家の仕事をするために有名でもないこの部活を今日まで続けていたのダ!
そうアピールするアントニオの足を華麗に足払いしながら夕子は違う! と叫ぶ。
開始のゴングと同じように、規定時間終了のゴングが響き渡る。
同時に椅子に座らされた2人に純白のシーツが覆いかぶされ、観客席からは終了段階を見ることができない。
「タイムアップ! タイムアップでス! まさかただのヘヤーカットがここまでの緊張を生んでくれるとは思いもしませんでしタ! サァ!アピールタイムのリミットも差し迫ってきていマス! 早速カットのリザルトを見せてもらいまショウ! デハ、浅羽ボーイと伊里野ガールのペアからデス! さぁ、花村ボーイは今もブレスを吐いているでしょうカ!? 緊張のモーメントでス!」
アントニオの手が花村の全身を覆うシーツの端を鷲づかみにする。
会場の、全員の息が止まった。
「イキマス! ババッ!!」
効果音つきでアントニオがシーツを投げ飛ばした。
「ゲゲェーーーーーーーーーッ!」
叫びはアントニオの口から出ただけではない。花村を見守る会場の到るところから上がったものだ。
「普通ダーッ!? あれほどドントアンダスタンな状態でカットされていたのニッ! 完成してみれバ普通に散髪が終えられていまスッ!!」
花村の顔色が真っ青になっていることなど気にも留めず、会場は拍手の嵐だった。
「ブラボーっ! ブゥラボォオオオオオオオオオ!!!」
アントニオが全身で歓声をあげて浅羽と伊里野を褒める。
当の浅羽は照れた表情を下に向け、伊里野は既に壇上に存在すらしない。奥の裾からアントニオに引きづられて現れたその表情は形容しがたいほどに真っ赤になっており、即座に浅羽の影に隠れる。
「イヤー、スバラシイモノを見せて頂きました。ワタシカンムリョウでス。トマァそれはさておき、お待たせしましタ。採点デス! ミュージック、スタート!」
指をぱちんと鳴らされる音に合わせて、またあの音楽が鳴り出す。同時にアントニオの1人リンボーダンスが始まり、結果が電光ボードに表示された。

result =1732point
combination=1017point
dangerous =2502point
total =5256point

「オオーーっ、やはり圧倒的な危険度ポイントですネーっ! ですがやはり2人が同時作業していた浅羽ペアレンツよりはコンビネーションは劣るでしょうカ、いや、しかし中々なハイ得点でス! これは勝負がわかりませんヨーっ!」
そして大衆の目はもう1人の散髪被験者、水前寺に向けられる。
だが観衆はそれを見ただけでゴクリと息を呑む。1人の観客が隣にいる友人に尋ねる。
「なぁ、あれなんか右と左で髪の形違ってないか?」
「あ、ああ。なんか明らかに右の方だけ棘々してる。シーツ盛り上がってんし」
さきほどの浅羽と伊里野のペアの散髪は、過程はともあれ結果は普通だった。しかし、シーツをかけられたまま無言を貫き通す水前寺の頭部が奇妙に盛り上がっているせいで妙な恐怖心を観客に生む。
「エー、エブリワンが気にしていることをワタシも感じ取っていまス……、さ、勇気を出して、ワタシイッテキマス!」
呪いがかかると有名な心霊スポットに単独取材しに行く新人リポーターのような口調でアントニオが水前寺に近寄る。その手がゆっくりとシーツにかけられた瞬間だった。
「は、花村ぁぁぁぁああああ!」
突然観客から悲鳴が上がる。
観衆の目が水前寺に向けられている中、自称さっき自分の代わりに生贄にささげたとはいえ親友である西久保正則だけは花村の異常に気づいた。真っ青になっていた表情は青を通り越して茶色になり、目は安定しておらず、口の端からは泡を吹いている。
窒息状態でこれだけ放置されていたのだから当然の結果である。
会場の注目が花村に向けられた途端、花村の首が力を失ったのが見て取れた。
「あ、死んだ」
誰が言ったのかはわからないが、冷静なその一言に会場は騒然となった。
「おいっ! 人が死んだぞっ!」
「大変、救急車、パトカーっ、霊柩車ーーーー!」
「うおおおおなんで同時にあんたも倒れるんだ爺さぁぁぁぁん!!」
浅羽一家のパフォーマンスどころではなかった。
会場全体を包む混沌は5分後、花村の蘇生と同時に終結することとなった。
壇上では、司会者のアントニオが幕を閉じきった状態で観客に向けて謝辞を述べている。
「イヤァー、凄惨な事件デシタネ。でも皆さん命に別状なかったようでワタシとっても安心していまス! ということで気分を切り替えて次のパフォーマンスのスタートでス! チームホビーショップ川崎が行いますリアルデュエル! はい拍手~~~~!」
会場内が拍手で満ち溢れ、先ほどの悲劇などもう忘れたかのように会場は活気付く。
裏手に回って幕が開くのを待つアントニオは椅子に腰掛けたままひたすら出番を待つ白いシーツ人間を発見した。
「水前寺サン。もう出番終わりましたヨ。とっとと掃けてクダサイ」

「な、なんだとぅっ!!!!!!!!!?」


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