損失
手渡されたファイルを15秒で確認しながら柿崎は水前寺と町田の一挙手一投足を見逃さないように警戒を怠らなかった。 半月前、柿崎はとある任務で補給役として町田一輝と何度も顔を合わせた。その町田がなぜ水前寺と行動を共にしているのかまったく理解が追いつかない。町田の記憶は確かに消去したはずである。同席こそしなかったが、報告では確かに町田の記憶は消去されていると確認があった。調書にもそう記載され、以後1週間の監視期間を経て問題なしと判断されたとも書かれている。 調書には水前寺との関連性など何も書かれていない。 それがなぜ。 「どうします?」 吉岡の不安そうな声を聞き、柿崎は一瞬思案にふける。 「今のフロア担当は中田だったな。奴はどこだ?」 「連中にいち早く気づいて店の2階で待機してます。早く指示をくれと」 「仮面は被ってるか?」 「はい、あ!」 吉岡が画面を指差した。 今まで店内の入り口で身じろぎしていた程度だった水前寺が、痺れを切らしたかのように突然店の奥に向けて歩を進めだした。この機密エリアまでは進めはしないが、奴を一秒でも放置するのは危険だ。店内で何をされるかまったく想像がつかない。 「秋元、無線を」 「どうぞ」 無愛想ながらも優秀なオペレーターである秋元は柿崎の行動を予想していたかのように即座に無線機を手渡す。 受け取った無線機からザザッと音が鳴り、 「中田」 ――はい。 同じような砂嵐の音が流れ、直後に中田から返事があった。 「ともかく仮面を被ったまま水前寺に応対しろ。一秒たりとも奴から目を逸らすなよ」 ――了解です。 「それと、ブルートゥースのイヤフォンは装着してるな?」 ――付けてます。 「以後はそれで連絡する。無線は切れ。ともかく1階へ行くんだ」 ――りょーかい。 中田の余裕めいた返事を聞いて柿崎はとてつもなく不安になる。 店内のモニターをカウンター傍のものに切り替える。そこには既に水前寺と町田の姿があり、遅れて大仏の仮面を被った中田の姿があった。 ――いらっしゃいませー。よおうこそ清水仏壇店へ! 本日はどういったご用件でしょう? 葬式? 墓石? 仏壇なら50万円のものから純黒壇製800万円相当のものまでご提供させていただいておりますぅ。 ――いやいや、今日は購入が目的で来たわけじゃないんだ。 これは水前寺の声だ。 ――そうなんですか? 確かぁにお客様たちは普段ここへいらっしゃるお客様とは一風変わった要望をお持ちのご様子。よろしければわたくし共も誠心誠意お客様の意に添えるように努力致しますが、なにぶん店長が不在でございましてぇ。 ペラペラと口が回るものだ、と柿崎は思う。中田とて上からの達しで水前寺の存在は十分に承知しているはず。奴の目的を聞き出すためとはいえ焦った様子もなくよくああ軽口を叩けるものだ。 ――なに? 店長は不在なのか、それは困った。なぁ町田。お前の知り合いは店長なのか? 水前寺が隣にいる町田に対して尋ねている。 柿崎の眉がひそめられた。確かに町田は自分と顔見知りである。しかしそれは半月前までの話で、今は記憶を消されているためそんな記憶はないはずである。 ――あいつが店長してるかどうかは知らねぇんだ。ともかくゴリ夫がここにいるのだけはわかってるんだ。呼んできてくれないか? 画面を凝視していた柿崎が耳を疑う。 町田は確かにゴリ夫と言った。 奴は自分の名前を知らない。 少なくとも『柿崎』と呼ばれたことは1度もない。 奴が自分を呼ぶときは、必ずゴリ夫と呼んでいた。 ――ゴリ夫? と言われましても……お名前はわからないんですか? 2人を応対している中田の困惑はむしろこちらに向けられたものだろう。中田はゴリ夫と聞いて真っ先に自分を連想したはずだ。柿崎はイヤフォン越しに指示を出す。 「中田、まだ状況が読めない。奴が柿崎という名前を言うまではしらばっくれろ。わかったなら口を2回鳴らせ」 柿崎は中田の耳に付けられた骨伝導タイプのイヤフォンからの返事を待つ。中田のイヤフォンは双方向性で、中田が聞いた声を柿崎も聞くことができるし、こちらの声も中田にだけ聞こえる。だが中田の隣で2人のやり取りを凝視している水前寺の前で下手なことは口にできない。口の歯を打ち合わせる音も拾ってくれるイヤフォンで傍目にはわからないように中田は返事をする。 コツコツ、と柿崎の耳に了解の合図が帰ってきた。 ――名前は聞いたことねぇんだ。ともかくあいつにどうしても伝えなきゃいけないことがあってさ。 ――と、言われましてもねぇ。そう言った業務とは関係ないことでしたら個人的に連絡してもらうのがいいかと思いますデスハイ。 いいぞ。町田がカマをかけている可能性は否定できない。無闇に連中の前に姿を現すことにメリットはないように思う。 ――いやー。こっちもそう思うんだけどさ。でも、いいの? あんまりおっきな声では言えない話しだし、あんたにも迷惑かかるしさ。えーと、中田さん? ――あはは! 名札を見られたんですねぇ? でもゴリ夫という名札をつけた従業員はここにはいらっしゃいませんし、第一店長がざぁんねんながら不在ですのでどうにも私だけではねぇ。 中田がうまくかわしてくれているが、自体はこのままで済むような雰囲気ではなかった。こうしている今も水前寺は2人のやり取りの合間に店内を見渡している。明らかに監視カメラの位置を確認している。 ――だから。話してもいいんなら特定できる情報言ってもいいんだけどさ。なぁ、水前寺。どうしたらいいと思う? 隣で店内を見渡していた水前寺の表情が薄気味の悪い笑みに変貌する。 ――いいんじゃないか? 連中なら今も聞いているはずさ。お前の記憶を消した奴らなんだからな。言ってやるといい。『もう記憶は戻ったと』。 「ありえない……」 柿崎は背中に嫌な汗が吹き出すのを感じていた。記憶が戻った? そんな前例を柿崎は聞いたことがない。だが問題はそこではない。記憶が戻ったと主張する町田が自分を呼ぶ理由とはなんだ。 ――あれ? これだけ言ってもまだ動かないのか? ――仕方ない。今日の所は出直そう。ではしっかりと店長に伝えておいてくれ。恐らく今度はコンテナが倒れるぐらいではすまない記者がこの店に集結するだろうと。 町田の記憶が戻っているかどうかはこの際問題ではない。 問題は、水前寺が完全な脅しをかけて来ている現状だ。ダッチワイフ事件では事前に対策を打っていたからあれだけの被害で済んだ。だが、ここでは対策が打てない。レールガンレールは動かすことなどできないのだ。 年中監視などされればレールガンの存在は秘匿できても機密物資に危険が及ぶ可能性を否定できない。それだけはなんとか防がなければならない。 このまま返すわけにはいかない。 「中田! 連中を行かせるな!」 返事は中田の僅かに漏れる息の音だった。 監視モニターの中で中田は迅速に行動に移った。 体を沈ませると同時に左足を回転させて、水面蹴りを放つ。町田の右足に的確に激突した衝撃は音だけでもわかるほどだった。たまらず町田は転倒し、したたかに尻餅をつく。 中田の動きは止まらない。 素早く地面すれすれのタックルへ体勢を移行し、水前寺の腰めがけて突進する。 ――本性を表したな……! 水前寺の声だった。 尻餅をついた町田を一瞥もすることなく、水前寺は驚くべき反応を見せた。 完全に虚をついたはずなのに、水前寺は中田の行動を完全に読んでいたように腰を落とし、正面から中田のタックルを受け止めた。0.3mほど体を後方に下げたものの、水前寺は完全なバランスを保っている。それどころか、タックルした中田の方に異変が起きた。 ――なにっ! 柿崎は一瞬自分の声が耳に響いたのだと思った。 画面の中で中田の体が徐々に宙に浮き上がって行く。中田の脇の外から両手を突っ込んだ水前寺の双腕が中田を持ち上げているのだ。 ――教訓にでもしといてくれ。タックルはスピードが命だとな!!! 水前寺は中田をついに自分の頭上付近まで持ち上げ、はぁっという掛け声と共にバックドロップの要領で後方へ中田を叩きおろす。 もし、水前寺の後方が店内の平坦なタイル床であったなら中田は投げられつつも足で着地をすることが出来ただろう。しかし、水前寺はそれを知ってか中田のタックルを受ける瞬間体を僅かに一歩、左に踏み出していた。水前寺の背後には先程中田が紹介したこの店で最高価格に設定された800万円の仏壇があった。 店内を揺るがすような地響きが起きた。次いで匠が精巧な手法で作り上げた仏壇がめきめきと悲鳴をあげて崩れ去る音。もしかしたら背中から仏壇に叩き落された中田の骨が砕ける音だったのかもしれない。 画面の中で水前寺はしたり顔で微笑み、気絶したかのように動かない中田に向けて言い放った。 ――ほう。800万円か。保険が下りればいいな。まぁ、監視映像を見れば先に手を出したのがどちらかは一目瞭然だが……。起きろ町田! 後は作戦通りだっ! まずい。 水前寺が走り出すのと柿崎が椅子を弾き飛ばしたのはほぼ同時だった。 従業員通路をあらん限りに疾駆し、フロアへ続く扉を弾き飛ばさんとする勢いで開け放った柿崎が見たものは、未だ起き上がれずに倒れたままの仏像仮面をつけた中田と、正面入り口から外へ飛び出した町田の姿だった。 柿崎は一瞬迷ったが、即座に行動に移った。 「中田起きろっ! 吉岡っ! 車の準備をしろ、2台共だっ!!」 柿崎は言葉を発しながら店を飛び出す。視界の隅にはタクシーに乗り込む町田の姿があった。水前寺は既に乗っているのか、町田が乗り込むのと同時にタクシーは路上を飛ぶように走り出した。 舌打ちが自然と出る中、柿崎は冷静にタクシーのナンバープレートを確認した。 「はの……0325」 確認が済むと同時に柿崎は店内に舞い戻った。 店内では木片が粉々に砕け散った反動で僅かに白煙が発生していたが、ゆらりと中田が立ち上がった所だった。仏像の仮面が周囲を見回し、肩を震わせると同時にくそっと怒号を放って仏像の仮面を脱いで床に叩き付けた。 「あのガキが!」 「落ち着け中田! 俺と秋元で連中を追う。お前は吉岡とモニターで連中の車を捕捉しろ。久保田タクシー、番号は『はの0325』だ。復唱しろ」 「俺が追います! あいつの鼻っ柱を叩き折ってぐちゃぐちゃに、」 「復唱しろと言っている!」 「――っ、……中田情報陸士。連中の車を捕捉します……久保田タクシー、番号は『はの0325』」 「――よし。挽回のチャンスはまだある。目の前の任務に集中しろ。いいな」 「……。了解しました」 中田の返事は満足のいくものではなかったが、いつまでも構ってはいられない。急いで連中を捕らえる必要がある。 「おれたちが出たら店は完全に封鎖しろ。確認が取れるまで解除はするな」 中田をフロアに残し、踵を返した柿崎は駆け足でバンが停車している格納庫に向かった。 格納庫では既に吉岡が2台あるバンの両方に火を入れ、いつでも発車できる状態になっている。待機していた秋元は既にバンに乗り込んでいた。 「よし、連中は北に向かった。お前は11号線沿いに北へ向かえ。上への報告は中田にやらせるように指示しろ。奴が連中の乗ったタクシーを捕捉するまで全力で北へ向かえ。おれは周辺に奴らがまだいないか調べてから向かう。 「了解しました」 「よし、行け! 逃がすなよ」 秋元が運転するバンがものすごい勢いで走り去るのを見届けてから、柿崎もバンに乗り込んだ。 「800万か……」 柿崎の声は、誰もいない格納庫の壁に反響して、虚しく響いた。
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