カウンター

行方



耳につんざくエンジンの音が迫ってきているのを感じて、浅羽は顔を上げた。

激しくタイヤがこすれる音と、誰かが自分を呼ぶ声は同時に聞こえた。
浅羽は笑った。向かってくるバイクに向かって。
体に激しい衝撃を受けて、浅羽は倒れた。
小さな交差点のど真ん中で四つんばいになり、背中に痛みを感じた。
その痛みをかみ締める間もなく、肩に誰かの手がのり、ものすごい勢いで反転させられた。首が締め上げられる。

晶穂だった。

今まで見たことのない表情を浮かべて肩を震わせている晶穂だった。
晶穂は世界に響き渡るような声で怒鳴った。
なにしてんのよ、なんで逃げないの、馬鹿なの、避けなさいよ死ぬとこだったでしょ、なんで笑ってたのよ!
捲くし立てる声が次第に窄んできて、晶穂はうつむき、世界で自分だけに聞こえるような声で呟いた。

「ひとりに、しないでよ…」

首をつかむ力が弱まってきて、その両手が擦り傷だらけになっているのを見て。
「……ごめん」
晶穂は浅羽に抱きついて声を上げて泣いた。
すがりつくように離れない晶穂を見て心の中で浅羽はもう一度謝った。
自分は、さっきの瞬間、本当に死んだほうがマシだと思ったのだ。
交差点に差し掛かったとき、浅羽は自分を呼ぶ声に希望を一瞬抱いた。
もう聞くことができないかもしれない、あの不思議で優しい声かもしれないと。
だがそれは間違いだとすぐ気づき、悲しくなって、もういいと思ってしまった。
このまま死ねば、ここではない所へ、伊里野の所へ行けるのではと思ったのだ。

遠くでサイレンの音が聞こえる。

それは聞きなれた園原基地からのサイレンではなくて、ダムの水を放流する音だ。
戦争が終わった。それは日常が戻ってくると同時に、あのひと夏の記憶を奪っていく。
浅羽は日常に戻るのが怖かった。
放課後になれば色々な所へ足を運ぶようになったのは あの夏の思い出を探すためだ。
どこかで、なにかが、誰かがあの夏を取り戻してくれる。
そう期待して、歩き続けて、疲れてしまった。
もうどうすればいいのかわからなかった。

浅羽は晶穂の震えが収まってきたのを感じて、もう大丈夫だよと告げた。
晶穂は涙でひどく充血した目で浅羽をにらんだ。
突き放すように体を起こし、ティッシュを取り出して豪快に鼻をかみ、それをポケットに突っ込み、もう一度浅羽をにらんで
「明日学校に来なかったら承知しないから」
そう言ってすごい勢いで駆け出していった。

浅羽は一人になり、空を見上げた。満天とまではいかないまでも、星空は雲間からでも輝いていた。
榎本と見上げた星空を思い出す。あの日は今よりももっと星空が近かった。
一人で見上げる星は、空は。今こんなにも遠い。

家に帰り着いた晶穂は自室に駆け上がり、込み上げてくる嗚咽と戦いながらCDプレイヤーを起動させる。
音量を上げ、我慢しきれなくなって叫んだ。
浅羽は大丈夫だといった。そういった時の表情も見た。
それは、晶穂が最後に見た伊里野と同じ、精一杯の強がりの笑みだった。
あの時と同じだ。また、何もできないままだ。
「帰って…帰ってきてよ、伊里野。あたしは、あたしじゃ……!」
部屋に流れる大音量の音楽は、家族が部屋に来るまで鳴り止むことはなかった。

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