カウンター

凱旋


「予断を許さない状況です。日米軍が保有する武器の中でも最高の威力を誇る「PBXN-210」、916mm魚雷4門の所在が明らかになっておりません。日米軍は双方否定しておりますが、昨年鎮圧されながらも水面下で今も活動をしている北軍の地下組織がこれらを保有しているのではないかとの情報も入っています。万が一これらがテロ活動に使用された場合被害は甚大なものと想定され、」

浅羽父はため息をつきながらニュースをぼんやり眺めていた。
戦争が終わったと言ってもやはり武器屋やテロリストには休みはないらしい。
せっかくのお祭り気分が消え入りそうになったのでチャンネルを変えた。

「さぁーお茶の間のエブリワン! テレビにアテンションプリーズ!」
一転して、陽気な米兵がテレビカメラに大袈裟なほど接近してピースを決めて鼻息を飛ばしている。
背景からしてどうやらこの園原基地の送別式典を生で放送しているらしい。しかしなぜ米兵が。
「本日は皆さんお待ちかねのエリア・ソノハラのビッグなフェスティバルが大熱狂進行中デース! メインアナウンサーはさっきテレビ局の連中からカメラごとかっぱらってきたワタクシ、アントニオ柴木とー、機材のセットアップにヒトハダ脱いでくれた陸上自衛軍情報戦3課の中村光弘陸曹がお送りしまーす!」
とんでもないテンションを全身で表現し続けるどう考えても偽名のアントニオ氏が手榴弾をマイク代わりに叫び続けている。音声の端からは「ちょ、なんで俺だけ本名!?」と非難の声が上がっていて、恐らく明日には中村氏はテルアビブで地雷掘りが待っているはずだ。

「ではではー、彼らが取材するはずだったハートがヒートするぐらいのビートを刻む野郎どもを我々がカミカゼアタックしてキマース! まずはアレ! ネバネバをオイルに、一般ピープルをストーンに見立てて行うヒューマン納豆カーリング!! んんー、なんてクレイジー! 辺り一面に広がる納豆のスメル! ブラシで中央に寄せていくのはモチロン納豆! これぞまさに阿鼻叫喚!! 見てるこっちの気分までイットワースデスネー」 
鼻から自然と笑いが出た。なんて臭そうな企画だろう。是非ともこの企画に携わった連中は入店お断り願いたい。だがやはり、この連中が1週間後には園原市からはほとんどいなくなるというのはおしいなと、父は思った。
テレビから視線を外し、客用の作業椅子に座る。
うむ。ふかふかすぎる。
周りを見回せば、新しすぎて違和感を感じるものがそこかしこにある。
今日は浅羽理容店の新装オープンだ。
しかし父の心はどうも落ち着かない。軍の連中は要望の隅々まで叶えてくれているので設備や機材に何か問題があるわけではない。わざわざ以前から使い慣れている機材と同製品を揃えてくれたのには感服する。
しかし。
やはり長い年月を過ごした前の店には言いようもない愛着があった。
仕事中に転んだ時につけた壁の擦り傷や、磨耗しきった刈り布の感触や、使い古しすぎて風格が漂いつつあった客用の15インチテレビも今やここにはない。まっさらな新品に包まれた店に入ると、やはりどこか場違いのような気がしてしまう。以前の店はそのまま残してきたこともあり、ここを母に任せて自分は古き良き古参店に逃げ出したくなってしまう。だが、それも現実的ではないのだ。 今日から自分の居場所はここなのだ。
家財道具は荷卸だけを済ませて、今日は店のアピールに専念しなければならない。床屋なんてものは近所付き合いがなくなれば廃業へのショートカットはとんでもなく容易い。なんとしてもアピールは成功させなければならない。
予定の時間まではまだ2時間近くある。

涼やかな音が鳴る。

客用の入り口に取り付けられた風鈴の音だ。父は椅子から立ち上がりながら、
「すみません、まだ準備中なん……」
そこには男が立っていた。
背が高く、年齢も若そうに見えるがどこか浮世離れした目を持つ男。少し前、今日と同じように理容店に来た軍の関係者。それもかなりの地位を持つ男らしく、伊里野加奈が関わる件の責任者であるとの説明を受けた。名前は確か。
「榎本君だったっけ」
榎本は鼻の頭をぽりぽりと掻く。
「君付けはやめて頂けるとありがたいです。もうそんな歳ではないですよ、マスター」
「うむ。なら堅苦しい話し方と、あとマスターもやめようか。そんなかっこつけた名前で呼ばれたら手元が狂う」
榎本は苦笑する。
「じゃあ、オヤジさんで」
「うん……、まぁ、そうだな。確かにオヤジだからな。それでいいか」
そういいながら父は榎本の頭を見る。以前あった時が一番の刈り時だったが、その時を逃した榎本の頭はうっそうと茂りまくり、それが父には我慢できなかった。腕まくりをし、店の隅に畳んでおいた刈り布を広げる。榎本にあごで椅子に座るように伝える。
「あれ、まだ開店前でしょ?」
榎本は表情を変えないまま尋ねた。
「そんなぼさぼさの頭を見てしまったら床屋のオヤジとしては我慢できなくてね。まぁ座ってくれ。散髪しながらでも話はできる」
ボリボリと今度は頭を掻きながら榎本は作業椅子に座る。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「うむ」

手慣れた手つきで父は刈り布を榎本に被せ、水吹きで軽く髪を濡らせながら櫛を通す。
「どう切ろうか?」
「任せます。……どうっすか? 新しい店の感想は?」
榎本の後頭部が尋ねる。
「開店してみんことにはわからんが、どうにも落ち着かんね。ここまでやってもらって言うのもアレだとは思うけど」
「いやいや、こちらこそ申し訳ない。無理言って基地に住んでもらうようにした手前があるんでこれぐらいは」
「いやいやいや、家内とも話して決めたことだからそれはいいんだ。悩まなかったと言えば嘘になるが、家族のためを思えばこれぐらい」
榎本が振り返り、伏せ目がちな表情のままその頭を下げる。
「そのことも含めて、すんません。改めて今日来たのは……」
「護衛の話かい?」
榎本は顔を上げない。
「それもあります」
父はため息をつき、ぽんと榎本の頭を軽く叩く。榎本は首を正面に向ける。父が櫛で拾い上げた髪の一束に鋏を入れる。
「伊里野君はもううちの家族だ」
「感謝してます」
シャキ。
「感謝なんていらんさ。みんなで決めたことだ。だから彼女がいるから危険だとか、護衛が必要だとか、そういう物騒な話は本音で言えばしたくはないんだ」
シャキ。
「ただ、そう言う建前だけじゃ最悪のケースは防げないんだろう?」
頭が返事をする。シャキ。
「実際どれぐらい危険なんだ?」
「正直、想定するべきケースが多すぎるんす。基地の中に住んでもらえるおかげで外部からの荷物だとか、不審者だとかはある程度防げるんすけど。あと突然ミサイルが飛んできたりとかはないだろうとこちらでは結論が出てるんで、あとは」
「客と、伊里野君が学校に行っている間か」
「そうっすね。こちらももちろん蟻一匹通さないつもりですが、客に紛れ込まれたら中で監視でもしてない限り防ぎようがないっすね。伊里野が学校に行っている間はこちらも敵と同条件なんで対処はできると踏んでるんすが……」
切った辺りを改めて櫛を入れ、残存する兵力を一掃する。
「だから護衛か」
「できることなら店の中に1人。奥の納戸の隠し部屋確認しました? できればそこに、」
「家内とも話し合ったんだが、やっぱり遠慮しておくよ。伊里野君にはそういったことを抜きにして、普通に暮らしてもらいたい。家の中のことはなんとかするし、店の客は家の中に護衛がいたってなにか起きるときは起きる。それよりも、うちの子供たちに護衛を回してやってほしいんだ」
「それは……もちろん配慮しますけど」
「連絡だけいつでも繋がるようにしておいてくれ。しばらくはそれで様子を見るから」
榎本の髪の大部分を一掃する間、榎本は熟考に熟考を重ねていた。榎本の散髪は終了し、シャンプーもしてドライヤーが榎本の髪を完全に乾かすと同時に榎本は返事をした。
「了解っす」
ドライヤーを片付け、最期の仕上げに取り掛かる。
「それで? 他の用件ってなんだい?」
父は榎本の体に緊張が走るのを感じた。
「奥さんは今どこに?」
少しだけ疑問がわく。母に聞かれてはいけない話と言うことか。
「家内なら、あそこだよ。子供達のとこ。あ、うちのじゃなくて」
「ああ、奥さん子供好きなんすね」
「目に入れても痛くないぐらいにね。あいつはあいつで子供っぽい所があるんだ。子供と遊んでると夢中になりすぎて中学生ぐらいに見えてしまうぐらいはしゃいでね。周りの大人の目があるから自制するように言ってるんだが」
「でもちゃんと話せるやつなんて2,3人ぐらいっしょ?」
「まぁ、ね……それでも本人はなんとかしたいらしんだ。遊園地とかにいる着ぐるみがあるだろ? あのウサギとかクマとかの」
「あぁ、ありますね」
「あれを着てたら大丈夫かしらとか、真顔で言ってたからな。そのうちやりかねんよ」
くすりと榎本が笑う。
「けど家内がどうしたんだい?」
しかしその笑いは長くは続かなかった。榎本の頭に緊張が蘇る。ガラス越しに見る榎本の口元が見る見る固くなる。
「奥さんご病気は?」
「なんだい、やぶからぼうに」
「持病があるとか、昔大きな病気にかかったとか、手術したことがあるとか」
不穏な雰囲気が辺りを包んでいた。父は背中に嫌な汗が流れるのを感じる。なぜ軍の人間である榎本が母の体調のことを気にかけるのか。榎本は母に聞かれてはいけない話をしたかったわけではない。純粋に母に対して何か懸念があるのだ。
「……、ないよ。あえて言うなら学生時代に鋏で手を切ったときの怪我くらいだ」
「そうですか」
「どうしてだい? うちの家内に何か、」
「いえ、そういうんじゃないんですけど」
「だったらなんだって言うんだ?」
声を出した父自身も驚くぐらいの冷ややかな声が出た。嫌な汗は止まらない。心臓が嫌な感じに脈打っている。
榎本は振り返り、真剣な表情で、
「シーーーーットっ! あれが噂のトライアスロン・セット! 鉄人定職かーーーーーっ? あまりの器のでかさにマウント・エベレストのようドゥアーーー! 果たしてあれが本当にヒューマンストマックに収まるのかーーーっ!?」
米兵の叫び声が2人の会話に重なった。
「挑戦するのはぬぁんとソノハラ・ジュニアハイスクールのスチューデント、その数たったの5人! しかも今入った情報によると男子2人と女子3人に分かれてのチャレンジ! 正直パンチドランカーになってるとしか思えない無謀なトライだとは思いませんカ!? ここでワタクシアントニオがインタビューにいってみマース! ヘイ、ボブヘアーのガール? 一体これはどういうリザルトですカー?」
インタビューを受けた須藤晶穂が全身でイライラを表現しながらアントニオに向かってアレな人ばりのガンを飛ばす。
「うっさいのよアンタさっきから! あそこに座ってるボケ部長が挑発なんかするからこうなったの!」
「オー、既に彼女の頭はデッドヒート! 怖いですネー、ではこちらのクワイエットそうなロングヘアーガール? あちらのトライアスロン・セットを食べきる自信がありありなんですネ?」
伊里野はその質問を完全に無視した。アントニオはすぐ隣の夕子にもマイク代わりの手榴弾を向けるが先程の晶穂と同じくカメラに向かって怒りの声を上げるばかりだ。アントニオは逃げるように対面に座る浅羽にマイクを向けた。
「えーと、なんて言っていいか、僕はそんな全然大食いじゃないですけど……、なんか成り行きと言うか、ほら部長、やっぱり辞めましょうよ、それに僕じゃ無理ですって、晶穂と伊里野は完食したことあるから大丈夫でしょうけど、」
浅羽の隣にどっかと座り込んでいた水前寺は浅羽を跳ね除けるように立ち上がり、テレビカメラに向かってカッと目を見開き、
「我々園原電波新聞部は今回の目玉商品とも呼ばれる大食い企画を制覇するために見参した少数精鋭のジャーナリスト集団である! 昨今巷で噂になっていた鉄人定職だが、我々のうち3人が既に完食している! これでは園原で噂になるほどの看板を掲げるわけにはいかんだろうとそこの如月十郎氏に直訴したところ、彼は不敵な笑みを浮かべた! 理由を問いただすと鉄人定職には裏の顔があるというではないか!!」
「ワ、ワッツ!? つまりあそこにサンプルとして出されているトライアスロン・セットは……!」
「そう! あちらで出されている鉄定はいわば仮初! 2人前だろうがなんだろうが所詮鉄定は鉄定! しかし、完食者のみに出されると言う幻の鉄定が存在すると言うのならば、今日こそ白日の下に引きずり出してくれよう! 今回は複数での参加が厳守とのことなのでこのような形で挑戦する運びになったのだ!」
「な、なんということデショウ! 我々は未知とのエンゲージに居合わせたということデス! さー、間もなくネオ・トライアスロン・セットの姿が……あ! あれは……!」
陽気なアントニオは目を皿のようにひん剥き、「ド、ドラゴン……!」という言葉を残して悲鳴を上げた。

テレビが騒然とする中、父は安堵した様子で榎本に向き合っていた。
「そうか……なら大丈夫なんだね」
「はい。奥さんが健康なら問題はないかと」
父は心から安堵する。
「驚かさんでくれ、寿命が少し縮んだような気がするよ」
榎本は父に笑顔を向け、すんません、と謝罪の言葉を述べる。父はその様子を見て納得したようで、まいったまいったと足元に切り落とした榎本の髪を足で払う。
榎本の笑みのない、冷え切った表情に父は最期まで気づかなかった。

「ほい、終了だ」
先程よりさっぱりした榎本が礼の言葉を述べ、スーツから財布を取り出そうとする。
「あー、いい、いい。今回はサービスだ。なんせ新装浅羽理容店の最初のお客さんだからね。お世話になってるし、タダでいい」
「ほんとっすか」
「ああ。それよりも君も軍にいるんならここの店の宣伝をしといてくれ、そうだ! 常連用にスタンプカード作ってみたんだがちょっと見てくれ! 夕子に見せたらありえないって言われたんだが理由がわからなくてね。確かにイラストは自分で書いたんだがそれなりの出来栄えだと、えーと、どこだ? ああ! あったあった、これだよこれ! あれ?」
父が振り返るとそこに榎本の姿はなかった。
椅子の付近に落ちている榎本の髪だけがさっきまで榎本がそこに座っていたことを証明している。
風のような男だな、と父は思う。
しかしスタンプカードのことを言い逃してしまった。さて、どうやって宣伝をしたものか。
怒涛のような叫びがテレビから聞こえる。今までなぜ自分が気づかなかったのか不思議なほどの大音声だ。
カメラが後退し、挑戦者の全員を遠方から写す。
見た瞬間絶句した。

水前寺と、夕子と、あと1人は確か新聞部の子だ。去年の旭日祭で挨拶に来たす、す、……そう、確か須藤。3人が今までどんな映画でもテレビでも見たこともない化け物料理に食らいついていた。
何をやっとるんだ、一体。
米兵はなぜか上半身裸になりながら実況を続けている。
「さっそく脱落者が出ましタ! クワイエットボーイが顔色をレッドとブルーとパープルにしながらぶっ倒れまシター!! 今リヤカーに乗せられて退場でース!!」
カメラが突然移動し、リヤカーにカメラが向けられる。
息子だった。
大食い企画に参加して限界が来たらしい。伊里野がその傍らに付き添い、自身も口元を激しく汚しながら息子を心配しているようだ。
「直之……」
父は全身が震えるのを感じていた。
苦しそうにうめく息子。決して大食いではないのに、なぜあんなところで倒れているのか。そして父は叫んだ。店に置かれた鋏や櫛が揺れ動くような叫びだった。
「いい宣伝になるじゃないか!!」
榎本が残した髪の掃除など完全に忘れ、作業着そのままで父は店の入り口をロケットのように飛び出していった。

後には苦しそうな表情で運ばれていく浅羽だけが残される。

「ひ、ひどい、……うう」


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