カウンター

交渉


水前寺は、はっとして自分の口元を押さえた。

顔を巡らし、店長の館野の表情を見た瞬間に自身の発言が失言だったことに気づいた。
光道レンタルの店主館野は幸いにもこの監視映像まで見せてくれた。これは町田の人柄によるところが大きい。自分が1人だけで館野を訪ねても門前払いか最悪通報される恐れすらあった。しかし町田が前面に立ってくれたおかげでようやく敵の尻尾を掴むことができたと思った。
思ってしまった。
それがぬか喜びだと、半ば予測していたにも関わらず落胆してしまった自分は不用意な発言をしてしまった。『こんなところまで』と。
館野は正確に水前寺の言葉に込められた意味を察知してしまったようだ。先ほどまでの好奇心がうずく笑顔は疑念と恐怖が内包された表情へと変貌してしまっている。しかしその表情は水前寺と目が合って一瞬後には苦々しいながらも笑顔に変わり、
「うわ、年甲斐もなくぶるっちゃったよ。えと、あ……ちょっとトイレ行って来るよ」
あまりにも不自然なその発言を残し、そそくさと館野は部屋に部外者2名を放置して店内のトイレに向けて駆け出して行った。
「まずい」
不安がまたも押し寄せてくるのを感じ、感情がまた口をついて出た。町田はまだ何が起こったのか理解していないのかビデオを早送りしたり巻き戻したりしている。
「おい」
「くっそ、わかってる。もうここに軍の奴らが対処しに来てたって言いたいんだろ? でもなんか残ってるかもしれないじゃないか」
「状況が悪化した。店長から確認を取らないとまずい……だが恐らく、店長は今トイレでこれからどうすべきか悩んでいるはずだ。結論によっては追い出されるかもしれん。今すぐ店長を追いかけてなんとか落ち着かせてくれ。――早く!」
「お、おう」
町田が館野の後を追い、店の奥に向かうのを確認して、水前寺は自分の失態をまず反省した。あの一言がなければ、少なくとも館野は混乱こそすれ、恐怖などは抱かなかったはずだ。館野とその視線が交錯した時、館野は恐らくこう思っていた。 これ以上踏み込むべきではない、と。
それは現状を見るに最悪の状況だった。
水前寺にとってここで得られるはずの情報は残された確かな証拠に繋がる唯一の道である。もしここで確かな情報を得ることができなければ自分と町田にとって身の危険を顧みない強攻策に出る必要がある。2つの方法を既に考えてはいたが、それは賭けだ。目標が定かでないこともあって見返りが得られるかわからない作戦に町田を危険に晒すわけにはいかない。 ではどうする。
目下重視すべきは監視映像の入手である。
――いっそこのまますべてのビデオを抱えて店を出るか。
バカなことを考えるな。そうなれば確実にことは警察が関わってくることになる。そうなれば自分はなんとか難を逃れても顔も住所も割れている町田がお縄にかかるだけである。
「くっ……」
館野に町田の記憶が消された事実を話すべきではなかった。
『本当のことを話す。納得の上で協力してもらう』
伏せるべきだと提案した自分に町田はそう応えた。正しい。まったくもって正しい。しかし、それは話す側の言い分に過ぎない。
話される側がそんな真実を聞きたいと思うかはわからない。誰しもがすべてを知った上で町田のように協力してくれるとは限らないのだ。
館野は思っただろう。
「監視映像をいじくられただけならまだいい。それだけの被害だ。しかし、町田の記憶の件がある。町田の話が真実ならば 、自分も同じではないか。町田と同じように、自分も記憶をいじくられてしまったのではないか」
これはまったくの部外者として話を好奇心に任せて聞くのとは次元が違う。
完全な当事者になってしまうのだ。
そして一般的な思考でその事実を突きつけられたらどうなる。
まず間違いなく距離をとる。
それが直接的であれ、間接的であれ昨日まで館野の人生は平和だったのだ。それを変貌させる可能性を3つ上げるとするならば、それは今日突然妙な話を持ち込んだ自分と町田の2人、そして監視映像に他ならない。この3つを自分のテリトリーから追い出してしまえば昨日の平和は今日の平和となり、そして明日の平和にもなるのだ。 監視映像付きで追い出されるだけなら水前寺としても構わない。だが、館野の記憶が消されているかどうかだけの確認はしなければ、条件はクリアできない。なら――。
水前寺は自分の鞄の底面に取り付けられたチャックを開けて手を入れた。硬質な金属から成る重厚なグリップの感触を1度だけ確認する。
2つ考えてあるどちらの作戦を決行するにしても、これを使う機会が来ないことを祈るばかりである。
鞄から手を抜き、監視映像のチェックに戻る。

10分後、店の奥での話し声が止み水前寺の前に館野と町田が戻ってきた。
いいタイミングだ。心の中で、苦心したであろう町田に感謝する。 館野は引きつった笑顔を浮かべたまま、終始落ち着きのない様子で自分の椅子に浅めに座った。町田の説得でなんとか話はできる状態のようだが、信用してくれているようには到底思えなかった。
「館野店長」
「な……なんだい」
やはり警戒は薄れてはいない。だが、町田の尽力を無駄にするわけにはいかない。これからの自分の発言にすべてはかかっている。
「単刀直入に聞く。町田と一緒に来た男を店長は見ているんだな?」
「な、なんのことかな?」
時間稼ぎにすぎない小細工だった。ここで声を荒げることは簡単だ。怯えている相手に恫喝まがいの口調で詰問すれば知りたいことは容易に知れるだろう。しかしそう思いながらも、水前寺は館野を圧迫するような声音は絶対に出さないことに決めていた。恫喝まがいの行為は町田のここまでの努力を無にするやり方だと思ったからだ。館野が疑問を口にしたのだから、それに応えてやればいい、これまた簡単な話だ。
「10月12日。町田が酔っ払いながら現れた日だ。町田の後方から男が入ってきた。その映像を確認したかったが、それがどうも消されてしまっている。そこに写っているはずの男を、店長は見たのを覚えているか、ということだ」
第一声を聞いた瞬間に館野は一瞬びくっと体を浮き上がらせた。体は横を向き、その顔はあらん方向を向いていた。だがその後も穏やかな声で詳細に質問を繰り返す水前寺を恐るおそる見やるように顔を水前寺に向け、最後には体も水前寺のほうを向く。
どうやら恫喝まがいの方法で詰問を受けるとばかり思っていたらしい。本人にやましいことはなくとも、軍の人間を敵に回す存在は畏怖の対象となってしまうのも無理はない。
中々に難しかったが、水前寺はどうにか口元を僅かに上げるだけの笑顔で館野に促すように手を振る。
笑顔が功を奏したと思いたい。いくらかの間をおいて館野は少し冷静になった声を水前寺に向けて口にする。
「あ、ああ。見たよ。町田クンとそう変わらない、むしろ若く見える男だった。背も町田クンより小さくて、世間話もした。警備会社に勤めてるって言ったよ」
水前寺は目を閉じて、逐一頷きながら聞いていたが、館野の言葉が終わると同時に今度は子供のように笑った。
「感謝する。一番の不安材料は消え去った。――おれが断言する。店長は記憶をいじられてはいないし、今後いじられることも絶対にない」
唐突な断定に、館野は狼狽したようだ。
「な――、なんでだい」
これは水前寺流の交渉術だ。実績などほとんどないが。
交渉術その1。交渉の場に相手を立たせること。相手が交渉する余地すらなければ交渉などありえない。 まずはその余地=心の余裕の確認。そしてなければ相手に余裕を持たせること。相手に余裕を持たせるには安心させること。
館野が抱えている不安。それは自分が記憶を消されているかもしれないということと今後記憶を消されるかもしれないという2つの可能性だ。それら2つを切り捨ててやればいい。
「理由は簡単。その男の記憶が残っているからだ。考えてもみてほしい。監視映像を改竄するような連中が――しかも人間の記憶を操作できるような連中が顔も見て、外見の特徴を覚えているような人間、しかも監視映像の持ち主を放置するだろうか」
「あ……、いやしかし――」
「連中は顔を見られたぐらいで記憶を消すことはしない。顔を見られた人間の記憶を全部消すなど荒唐無稽もいいとこだ。そして今日おれ達がここに来なければ店長は監視映像の改竄などには気づくはずもなく、その男の存在を振り返ることもなかった。今後気づくはずもない店長に対して、見られたくない側の人間が接触するなど行動が矛盾している。よって現在まで記憶が残っている以上今後も記憶を消されることは絶対にない」
水前寺はそう断言しつつも、絶対にないとはいえないとも思っている。しかし、連中なら館野の記憶をどうにかするよりも自分と町田の処分を優先するだろうという予測もしている。これを口にすれば今度は町田が狼狽するだろうから、それは内心に留めておくが。
「これが店長と軍との現状。今店長が抱えている問題の1つ。そして問題その2。店長とおれ達の現状。その対処方だがおれ達は店長の指示に従う。出て行けというなら出て行くし、監視映像のことも他言しない。町田には悪いが、ここにはもう2度と出入りしないようにもしよう」
交渉術その2。相手の望みを相手の口からではなく自分から提案すること。相手が自分の希望を理解してくれていると思わせること。人間はいくら君のことはわかっていると言っても簡単に信じはしない。相手が希望を汲むことができなければ信じていいとは思わないからだ。
「ただ提案がある。この監視映像の入ったビデオは全部おれ達が持っていった方がいいと思う。危険だと思うものは傍にないほうが安全だろうし、代償としてそのビデオテープ費用は全部こちらが支払う」
交渉術その3。必ず条件や代償を提案すること。無償の提案など人間は信じない。
「店長の考えは普通だ。まったく間違っていない。おかしいもの、変なものは明らかにおれとそこの町田とこの監視映像だ。それをこの場から遠くに行かせてしまえば店長はいつもの平穏な午後に戻る。昨日と何も変わらない午後が過ごせる」
水前寺はひとしきり話すと店長の後方で話を聞いていた町田に視線を送る。
町田は僅かに頷いて水前寺の隣に立つ。両手を上に上げて抵抗の意思はないとでも言うような所作を取る。
館野は2人をじっと観察し、
「連中が僕の記憶を消すことはないと君は断言したが、それが間違いだったら? 君たちのことを軍に聞かれたらなんと答えればいい。連中に嘘をつけと?」
「ありのまま答えたらいい。おれ達のことも何も隠し立てすることはない。必要なら今後連絡が取れるようにおれの住所も教える」
町田が続く。
「俺の会員証、住所も控えてるよな。あれをそのまま渡してくれていい」
「軍に君たちを売ってもいいってことかい?」
「いきなり巻き込んだのはおれ達だからな。責任ぐらい取る」
水前寺の言葉が途切れる。店内のどこかにある時計の進む音と、時折店の前を走る車の音が響く。11月の半ばだというのに店外の風は凍えるような冷気を孕んでいて、ガラス戸の隙間から店内に侵入して、暖房を阻害する。館野は厳しい視線を2人に交互に送り、長い時間黙ったままだった。しかし、
「…………ふう」
館野が胸いっぱいに孕んでいたであろう息を深く吐き出した。
「――わかった。君らを庇いまではできないが、連中が現れない限りは僕も誰かに言わないようにする」
緊張の糸が切れたような感覚があった。緊張ゆえに響いていた時計や風の音も遠ざかった。
「ありがとよ、オヤジ」
「感謝する」
頭を下げながら水前寺は思う。
――なんとか2つ目の案を使わないで済みそうだ。
外面ではわからないだろうが、内心で水前寺は館野よりも緊張していたのだ。
館野が感情で物事を決定するタイプでなくて本当によかった。その手のタイプは理屈でどう安全を説いても感情を優先し、極端に自分の視野を狭めてしまう。1度相手をシャットアウトしてしまったら落ち着くまで手がつけられなくなる。須藤晶穂や浅羽夕子もその手のタイプだが、女性は総じてそういった節があるものだと思っているので、彼女らが例外というわけではない。む、そう考えると自分の周囲にはなんと理知めいた女性の少ないことだ。まったく嘆かわしい。
水前寺が考案していた作戦は2つ。町田と2人がかりで館野が安全であることと、自分達に敵意がないことを証明する作戦。そしてもう1つは自分1人が悪役になり、町田に危険が及ばないように監視映像を強奪する作戦。町田に演技をしてもらう必要もないように、あたかも町田すらも利用してきた黒幕であるというような風を装う。一筋縄ではないだろうが、道具はあるしなんとかごまかしきる自信はあった。しかし、それは町田の協力をむげにすると同時に、彼という協力者を失うことでもあった。
下げていた頭を上げ、視線を僅かに上に上げる。
そうだ。今の段階で協力者を失うことなど、自分は望んでは……。
――――。
目の端に何か気になるものが映った気がして水前寺は顔を動かさず、視線だけをスライドさせる。
違和感としか形容できない何かを感じた方角を注視する。
視線の先には町田がいた。町田以外には動いているものがあるわけでもなく、ビデオ屋の経年劣化した内壁と乱雑に積み上げられたビデオテープの山しかない。いくらそれらを睨みつけてもそれらは微塵たりとも動かないし、違和感を再度感じさせるものはない。
では自分は何に疑問を抱いたのか。
疑いが向かう先は一瞬の視線を送った段階で決まっている。
町田だ。町田から感じたに他ならない。
視線だけを動かすという行為は人間が取り得る行動の中で最も静かで素早い行動に分類される。
水前寺はその行動を取ることで違和感の正体を掴もうとした。
しかしその行動は益を為さなかった。
違和感は1秒よりもはるかに短い時間の間に霧散した。
疑問を抱いた対象は町田であり、視線の移動という高速の眼球運動に類するその行為。
導きだされる結論は1つ。
町田も自分と同様に視線をスライドしたに違いない。
では町田の視線は一体何に向けられていたのか。
考えるまでもない。
今、自分は『見られていた』。
そこに思考が到り、ようやく水前寺は町田のなかにいるナニカに疑いを向ける。町田の中にはナニカいる。そのナニカはいつ、どういった状況で現れるのか、それを水前寺は明確に理解しているわけではない。
――自分を見ていたのは本当に町田だったのだろうか。

「どうした、水前寺?」
今度は町田が自分の視線に気づいた。そこには悪意など一欠けらも感じない町田の表情があった。
「いや……」
考えてみれば、さきほど見られた時も特別なことをしていたわけではない。傍にいる誰かを見ることなど誰しもが取る行動だし、視線に気づかれたと思ったら目を逸らすことも多々あるだろう。自分を注視するメリットが町田にも、もしかしたらそのナニカにもあるようには思えない。
――やはり考えすぎだったのだ。
水前寺は心の奥底に先程の感情をしまいこむことを決め、短くなんでもない。と答えた。

コホン、と軽く咳払いする音が聞こえ、水前寺は音を発した館野に視線を向けた。
「協力はしよう。だが――条件が1つだけ」
指をぴんと立てながら館野は、もう見ることはできないかと思った痛快な笑顔を見せた。
「監視映像はプライバシーの問題もあるからね。ここで見ていくこと」
安堵の声が今度は町田の口から零れる。
「ふぅ――。一瞬ひやっとしたぜ。何言われるんのかと思った」
「安心してる場合じゃないぞ町田。持ち出しが禁止ならここで犯人を探し出す必要があるんだからな」
ふん、とでかい鼻息を飛ばして水前寺が再び腕を組む。
「犯人?」
町田の疑問に応えず、水前寺はビデオを指差す。
「まだ可能性はあるということだ。じゃ――すまないが店長、もうしばらく店の機器を使わせてもらうぞ」
「どうぞ。それにここまできたら僕も手伝うよ」
「えっ!? オヤジ、店は?」
「自営業ゆえの気楽ささ。諸事情のため本日は閉店します」
「そんなんでいいのかよ」
「ホントにそう思ってくれるなら早く調べ物を終わらして」
そう笑顔で答える館野を見て水前寺は思った。

早く――少しでも早くすべてを終わらそう。……そして。


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