予兆
町田が水前寺の背後から前方を覗き込む。 2人の正面には明らかに周囲の鉄製の壁とは異なったコンクリートが壁となって立ちはだかっていた。 水前寺の肩から背負っていたバッグが滑り落ちる。水前寺はそれを拾おうともせず、ペンライトを持たない左手でコンクリートの壁を幾度も叩く。 音の反響はとても小さく、コンクリートの分厚さを物語っているようだった。 「どういうことだ……なんかあるんじゃなかったのかよ」 町田がライトでコンクリートの壁の隅々まで照らすが、その光は希望を見出すようなものは何も照らさなかった。だが、 「あれ、なんだ?」 水前寺が町田の指差す方向にライトを向ける。ライトに照らされて姿を現したのは監視カメラだった。 「筒抜けか……」 「どういうことなんだよ、これ」 水前寺はこれまでのいきさつを町田に簡単に語った。 『目』の情報、カード、古地図、美影発令所。 「じゃあその『目』とやらの情報があんたにバレたからこんな壁作ったってのか?」 町田の問いに水前寺は首を振る。 「コンクリートに監視カメラの設置なんていくらなんでも対策が早すぎる。やつらはおれがここに辿りつくのも、カードを手に入れるのも承知の上で放置していたんだ。それにこの壁――。音の反響からそうやすやすと砕けるものじゃない。時間をかけて何層も重ね合わせて作ったんだ」 「じゃあここには」 「何もない。いや、今もあるはずなんだ。この奥にっ」 一際強く水前寺の拳がコンクリートに打ち付けられる。無慈悲な分厚い壁は水前寺の拳を傷つけるだけでものともしない。夕子に強引に手伝ってもらい、ようやく手に入れたというのに自分はこのまま何もできないのか。半ば水前寺は呆然としながら壁をひたすら見つめている。 不意に背後で何かを地面に置くような音が響く。 振り返ると町田が水前寺のバッグを開けて中を覗いていた。 「なにをしているっ」 水前寺がバッグをふんだくる。 「あんたジャーナリストなんだろ!? だったらこの状況を打開するようなもんの準備ぐらいあるだろうが!?」 「そんなものはない!」 水前寺に押しのけられ、町田は強かに尻餅をつく。町田は痛がろうともせずに半ば目を虚ろにさせて、 「じゃあ俺の記憶は……? ――これからどうすりゃいい? もう俺の手には負えねぇよ!」 町田の言葉で水前寺ははっとなった。 やつらは自分がカードを手に入れることを想定していた。 しかし、そのままカードを回収しないと宣言したわけではない。 カードの使用が確認された今、手に負えない水前寺を襲ってカードを回収しようとするかもしれない。 「離れるぞ」 「どこに」 町田はまだふ抜けたようにへたり込んでいる。 水前寺は町田を置いて秘密の入り口をくぐりぬけて女子トイレに再度足を運ぶ。 コンソールに何気なく目をやって水前寺の焦りは心臓に届いた。先ほどまでとコンソールに表示されている文字が変わっている。今は「transmitting」――通信中と表示されていた。どこに、何を送信しているかは考えるまでもない。 「町田! 軍のやつらが来る! 急ぐぞ!」 「え、ええっ!?」 驚愕の表情が町田の顔面に広がる。慌てて走り出した町田を置いていくように水前寺は女子トイレから出て、即座に物陰に体を隠しながら移動する。こうなっては大通りは使えない。水前寺は大門駅を離れて雑居ビルに隠してあるスーパーカブを目指して夜道を駆け抜ける。 後方を一度だけ振り返ると、町田が必死の形相でこちらを追いかけるのを確認した。 そして水前寺は見た。 大通りをとんでもない勢いでカーブしながら1台の白いバンが現れるのを。 もう振り返ることもできない。 700mの距離を風のような勢いで駆け抜ける水前寺は、走りながらアスファルトの道路に微かに見えたマンホールに向けて何かを投げた。そしてカブにたどり着くために通らなければならない最後の通りから3m離れた街路樹にその身を隠す。赤のライトが通りをいくつも走りぬけ、耳をつんざくサイレンのような音が鳴り響く。またもや水前寺の口から舌打ちが出た。自身がとてつもなく大きなミスをしていたことに気づいたのだ。 足音が水前寺に近づく。比較的軽装だった町田はそれでも15秒遅れて水前寺の隣にある生垣に体を沈める。 「おいおいおいおい! なんだよあれ」 町田は息を弾ませながら生垣の間から通りを見通す。 「軍の仕業だ」 「じゃあなんでこんなにパトカーがいるんだよっ?」 町田が焦るのも無理はない。通りには見回しただけで4台のパトカーが雑居ビルの前に止まっていて、この数瞬の間だけでも3台のパトカーが通り過ぎた。ビルに住む住民は何事かと窓から通りを見下ろす。その全員が町田と同じ困惑の表情を浮かべていた。 「落ち着け。さっきおまえ自身が言ったんだ。軍のやつらと病院がグルだと。病院ともグルなら警察とだってつるむさ」 「にしたってよ! どうすんだよこれから、あっ」 町田が突然声を上げ、水前寺も町田の視線を追う。 男が通りで警官2人に話しかけられている。男はスーツ姿で明らかに会社の夜勤上がりか飲み屋帰りかそこらのホテル帰りのいずれかといった風体だったが、警官には関係ないようだった。警官の追及に両手を挙げて何か返答しているように見える。 警察の1人が男をビルの壁に押し付け、後ろから抵抗できないように腕の関節を極めている。 もうひとりの警官が男が投げ出した鞄を探り、中から財布を取り出した。 「追いはぎみてぇだな」 町田の一言が全貌を語っていた。だが水前寺の予想は違う。 警官は男の財布から金を取ったりはしなかった。しかしその財布に入っていたカードのすべてを目視で確認しては路面に投げ捨てている。最後には男の手を離し、スーツのポケットやズボンになにも入ってないかを確認してから男を解放した。 男は投げ捨てられたカードを惨めに拾い、ほうほうのていで警官から離れていった。 「なんだよあれ――。なにやってるんだ」 「カードだ」 「は」 「恐らく軍から警察へ通達したのは園原市をテロリストが危険なデータカードを持って逃走中。怪しい男を手当たり次第に捕まえてカードを持ってないか確認しろ。といったところだろう」 「はは、そりゃやばいな……。なぁ、あれあんたのカブなんだろ? あんなのほっといて逃げようぜ」 「ダメだ」 町田の疑問に短く答えた水前寺は腕時計に目をやった。 「町田、恐らくおれと君はさっきの男のように捕まってすぐには解放してはもらえない」 目をがま蛙のように町田は見開く。 「軍が関わってるのなら、記憶を消した人間が今回の件に関与していれば必ず警察から奴らに引き渡される。また記憶をいじられる可能性は充分にあるし、もしかしたらそれ以上のことも……」 「待てよ……、俺は何もやってないだろ」 「トイレの奥で監視カメラに撮られただろう。恐らく言い逃れはできない」 「くそっ」 悔しそうに町田は歯を食いしばっている。それを横目に、水前寺はこの状況に陥った理由を考えていた。軍の連中に捕捉されるのはカードを使った時点で覚悟していた。しかしそれにしても水前寺のカブを取り囲うように警察が待機しているのが気になる。 ――! そういうことか。 水前寺はバッグから機械を取り出してスイッチを入れた。 範囲をさらに絞り、指向モードに設定して距離を広げた。 機械の液晶画面では、水前寺が予想していた通りの反応と、予想していなかった反応が見えた。 「なに……?」 「ん、どうした?」 町田の視線が向くと同時に水前寺は機械をしまう。 「いや」 先ほどの機械の反応に呼応するかのように、水前寺の脳裏に稲妻が走ったような錯覚を覚える。トイレで感じていた違和感の正体がわかったのだ。視線が自然と町田に向けられる。前方を緊張した面持ちで見つめる町田に対し、水前寺の表情には近所の子供が見たら泣き出しそうな程の険しさがある。 頭痛が起きそうになるほど脳内の渦を掻き分けて考えた。どうやってこの場を切り抜けるか。そしてさっきの情報をどう捉えるべきか。布石は既に1つ打ったが、恐らく足りない。どうにかして――。水前寺の視線が待機している警察官に向く。警察官の中で手袋をしているのは1人だけだ。それを見て、水前寺は決意する。 「町田。作戦がある。乗るか?」 「は?」 「乗るかと聞いている。目下おれとお前は運命共同体だ。どっちかが捕まったら吐くまで拷問を受ける」 「ご、拷問だって? いくらなんでもそこまでは」 「記憶を消すだけで済むと思うか? 2人で行動しているのを見られたんだ。片方を捕まえるために人質にされる可能性だってある」 「んなこと言ったって、あんたと俺はさっき会ったばっかだろ? 人質になんてなるわけ、」 「おれたちの言い分を聞いてくれるほどいいやつらには見えんがな」 あごで水前寺は通りのパトカーを指す。町田が視線を送ると、総計8人の警察官が周辺を見回したり、無線でどこかに連絡を取っている。 「くそっ、おれにどうしろってんだよ!?」 「よし。ではまず、携帯か何か持ってるか?」 「あんなの持つために資格取るならテレカ持ち歩くほうを選ぶよ」 「確かに。じゃあ作戦だが」 水前寺は背中に流れる汗に冷たいものを感じてはいたが、その口元には微かに笑みがある。 そして作戦が町田に伝えられた。
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