カウンター

店内


時は10時を後5分に控え、場所は園原市に8店舗あるデリーズバーガー3階の喫煙席。

水前寺邦博は24時間営業のせいで煙草の匂いが一向に消えない店舗の窓際に陣取り、デラックスデリデリバーガーを3個、激辛エビコロッケバーガーを2個、クイックデリーズバーガーを4個、フライドポテトをセクスタプル、ベジタブルサンドを2個、今年も揚げたスパイシーチキンを12ピース、地域限定UFOピザを1枚、バケツソーダを1杯、オレンジフィレンツェLLサイズを1杯。それを徐々に腹に収めながら6m階下の道路を自前の双眼鏡を使って件の相手の接近を待っていた。
その顔には睡眠不足のために僅かなクマができているが、瞳は爛々と輝きながら下界を見つめている。
「どうでるかな」

水前寺から遠く離れた階段の影では17歳と18歳女アルバイターが職務を忘れて水前寺を見つめており、
「あの人夏にも来た人よね」
「ええ、今日と同じように象にあげるみたいな量頼んで4割ぐらいしか食べずに消えてった人ですね」
「あんたよく覚えてるわね」
「顔は好みですから」
「あんた大丈夫? こんな朝早くにきてあんだけ頼んでしかも1人とか怖すぎでしょ」
「顔だけは好みですから」
などと言われていることなど気づきもしない。
このデリーズバーガーは9月に水前寺が浅羽夕子と2人で食事に来た場所だった。
傍から見たら歳の差凸凹カップルか、歳の離れた兄妹か、はたまた今から行われる決闘に向けて最後の晩餐を互いに胃袋に収めているファイターに見える2人は色気の欠片もなかった。浅羽直之と伊里野加奈のデートのパパラッチが目的だったのだから仕方のないことではある。さらに、とんでもない量の食事をオーダーし、その半分も食べていない途中で忽然と姿を消して消火器が暴れまわるような騒動を起こした2人である。後片付けや床掃除をさせられた哀れな従業員に覚えられていることもまた仕方のないことであった。

町田の姿が下界に現れたのを水前寺は鷹のような目で捉えた。
町田はスポーツタイプの自転車に乗って商店街の角を曲がってこちらにどんどん近づいてきている。
即座に用意していた電波感知器のスイッチを入れ、指向モードに変えて町田に向ける。反応はない。町田の移動に合わせて受信範囲をシフトさせているせいもあるのだろうか。町田が自転車を駐輪場に止める。移動を停止した町田からは電波の反応はなかった。
「第1条件はクリア」
自転車のダイヤル式の鍵をかけた町田は水前寺のいるデリーズバーガーのビルに顔を向ける。ほどなくして町田の視線と水前寺の視線が衝突し、水前寺はベジタブルサンドで合図を送る。さらに空いた片手でぐいっと上がってくるようにサインを送る。
町田は頷き、5分後、きのこたっぷりリゾットバーガーとフライドポテトのダブルと抹茶オレLサイズをトレイに載せた町田が現れる。
水前寺はトレイを見上げ、
「少食だな。乙女か」
町田はトレイを見下ろし、
「暴食だな。恐竜か」
とお互いに感想を投げ交わした。
そこから6分ほどお互いに無言で目の前の食事に食らいつき、きのこたっぷりリゾットバーガーを食べつくした町田が水前寺に向き直りながら、
「悪かった」
横目だけで水前寺は町田を見る。
「どこまで覚えてるんだ?」
「――、あんたとの会話は全部覚えてる。ただ、」
「軍の人間に関わった記憶は全部消されてる……か?」
首だけで町田は頷く。水前寺はフライドポテトを4つ一気に口の中に放り込みながら、
「だいふぁいよふぉうどおりだ。――んぐ。それで? さっきの謝罪はどういう意味だ?」
「だって俺あんたのこと裏切ったし」
「カードは?」
「え、ああ。あるよ。持ってきた」
「出してくれ」
床に置きっぱなしにしていたショルダーバッグに町田は手を伸ばし、長財布を開いてグレー1色のカードを取り出した。
「これ」
「そこに置いてくれ」
水前寺はバケツソーダをビールジョッキさながらグビグビと飲み干しながら机の上を指す。町田は指示に従って机の上にグレーのカードを置いた。水前寺はまだ料理の残るトレイを左手で押しやり、町田に向けて丸椅子を回す。
「正直謝罪なんぞは求めてない。だがこれだけは偽りなく応えてほしい」
「――――ああ」
「これからどうしたい?」
町田は突然の攻撃に思わずひるむ。水前寺は今まさに自分をテストしているのだ。嘘を言うつもりも、適当なことを言うつもりもなかったが、いざこれからのこととなると、咄嗟に答えが浮かばない。なにせ記憶がないのだ。失われた記憶、それを理由に答えることは簡単だ。しかし今の自分にその失われた記憶は絶対に必要か。これからの人生にその記憶は必要か。
答えはNOだ。
むしろ記憶を消された事実は格好の言い訳になる。
水前寺に対する謝罪もそうだ。自分を正当化することを選べば謝罪などする必要はない。なにせ記憶を消されているのだ。世界中の誰になんと言われようと記憶を消されたことは事実だし、それは自分を守る格好の殻になる。だが、それを町田はしたくない。
思い出せないことを理由に言い訳をするのだけはなぜかしてはいけない気がした。
――どこかで、誰かにそういわれた気がするのだ。
「本音を言うと、何がしたいとか明確なものなんてない。消えた記憶のことは気になるけど、それも無いままでもいいと思ってる。けど――」
今朝の段階で答えは出ていたのだ。
「なんか腹がたつんだ。俺の記憶のことはまだいい。けどあいつらは絶対に許せないことをした。覚えちゃいないが、それだけは体が覚えてるんだ。だから、」
水前寺は腕を組んだまま町田の独白を最後まで見届ける。
「あいつらに一泡吹かせてやりたい」
それが町田の率直な気持ちだった。水前寺と名乗る昨日会ったばかりの男になぜここまで真剣に話しているのか町田にはわからない。大学の仲間にもこんなに自分の腹の底を見せたことなんて一度もなかった。遊んで楽しい、話して楽しい。だけど、それだけだ。真面目な話なんて重いだけだし、嫌がる素振りが少しでも見えたら次からどんな顔をして会えばいいかわからない。そんなことばかり気にしていた。だが、なぜかこの水前寺にはそんなことを考える必要はないと思った。得てして、町田の感覚は正しかった。
「よし。わかった。それじゃあ町田。協力を頼む」
あまりにも水前寺のあっさりした返答に町田は拍子抜けしてしまう。
「へ? いや、でもさ。いいのか?」
「何が」
「俺が嘘言ってるとか思わないわけ? 俺昨日あんた裏切ってんだけど」
「連中がお前の記憶を消したんならもうお前の用事は済んだんだろう。ならこっちだって人手がいるんだ。意思があるならそこらのやつには任せられん仕事だって頼めるしな」
「だけど、」
「それにただの勘だが、お前は信用してもいいと思うんでな」
水前寺の何気ないその言葉は、町田の胸の奥に染み込み、なぜか熱となって徐々に全体に広がってゆく。
「いや、だからさ。その信用してる奴が昨日裏切ったんだって……」
そう呟きながら町田は顔を背けて、油でギトギトになった手で口元を隠す。そうしなければ水前寺にばれてしまいそうだった。
「面倒なやつだな。いいか、そう思う根拠はだな……、ん?」
「どうしたんだよ」
「いや、――」
町田に説明しようとして、咄嗟に言葉が出てこない。町田はそんな水前寺にさらに追い討ちをかける。
「でも意外だな」
「何がだ」
「いや、あんたってさ。なんかそういう信用とか信頼とかってタイプじゃないと思ったから。損得勘定ありきで動くというか、利害関係を考えるとか、そういうタイプかと思ってさ」
水前寺の眉が自然と寄る。町田は慌てて、
「あ、悪い。おれ思ったこと結構ずばっと言っちゃう方でさ、だから気を悪くしたなら謝るよ」
「いや、そういうんじゃない」
困惑する町田をよそに、水前寺は町田の数倍困惑していた。町田の分析は当たっているのだ。人を信用するとか、信頼するとか そういう感情論と自分には相容れない重厚な壁があると思っていた。何をするにも、誰に何をされるにしてもそこには何か理屈があるはずで、損得勘定や利害関係を考えるのはごく自然なことだ。そう思っていたのだ。そんな自分が目の前の男を信用している? ありえない。つい昨日に自分はこの男にだまされたのだ。重大な被害を受けたわけではないが、計画が頓挫しそうになったのは事実だ。それほどの損害を受けながらなぜ自分は町田を信用していいなどと思うのだろう。
いつからそんな考え方をするようになったのだろう。
脳内に新聞部の面々と、それからもう1人の顔が浮かぶ。
「おーい、もしもーし。水前寺さーん?」
町田の声に水前寺ははっとなる。改めて町田の顔を見てから水前寺は唸るように答えた。
「うまく表現できん」
「なんだよそれ」
「こういうことは専門外なんだ」
「自分のことだろうに」
「お前だって自分の感情をすべて把握しているわけではあるまい。それと同じだ。信用してもいいかもしれんと思ったのだからそれでいいだろう」
「確かにな。じゃ……ほんとにいいんだな?」
「しつこいぞ。――ま、ひとつ頼む」
そう言って水前寺は組んでいた腕を解き、拳を町田に向ける。
町田はしばしその拳と水前寺の皮肉を孕んだ笑顔を見比べて、
「ああ」
拳で応える。
勢いをつけすぎた町田の拳と待っているだけだった水前寺の拳は骨同士が盛大にぶつかるガツンという音を出し、2人はしばしおおお、と呻いた。

「飲み物追加で買ってくるわ。まだ長くなるんだろ?」
「ああ」
そう言って町田は階下に降りていった。残された水前寺は町田が残していったグレーのカードを手に取ると、クルクルと人差し指と親指で挟んで回転させる。端につけた爪跡が光の反射で浮かび上がった
「なぜああもタイプは違っているはずなのにあいつと似てるんだろうな」
水前寺はグレーのカードを通じてここにはいない相手に問いかける。
「中々感情というのは底が見えんな」
1人呟く水前寺の背後から、無闇に明るい女の声が近づいてくる。お待たせしましたあー、番号札2番で地域限定UFOピザをお待ちのお客さまあー。

振り返り、水前寺はうぶな女子が見たら恋に落ちるような笑顔を浮かべて片手をあげた。


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