カウンター

思い描いた光景


晶穂に追い出された。

アピール大会における一応の成功と、花村の蘇生祝いを兼ねて『鉄人屋―園原基地店』で野外宴会が開かれることとなった。
常時客が賑わうテント会場を貸切にできるはずもなかったが、なだれ込んだ一行を店主である如月十郎は睥睨して不器用な笑顔を見せつつ、
「奥、空けといてやる。たらふく食いな」
と鶴の一声でテントの一角を空けてくれた。
浅羽は伊里野や晶穂と共に流れに乗って歩いていたのだが、ふと気がつくと水前寺の姿がないことに気づいた。
しかし、どうせ水前寺のことである。
今もどこかの屋台でメニューを総なめにしているか、さっき開始のアナウンスが響いた『飛んで火にいるバトルロワイヤル』か、マニア据え膳蚤の市にでも繰り出しているのだろうと思う。
ともかく、新聞部の全員が水前寺を除いて一同に介し浅羽の両親や園原中学の面々といった人間がテントのパイプ椅子に身をうずめる中、突然晶穂が浅羽を立ち上がらせて尻を強かに蹴り飛ばして浅羽を追い出したのだ。
浅羽は口ではなんだよ、と捨て文句を晶穂に投げたものの、内心ではしょうがないとも思っている。
周囲の喧騒は今に始まったことではないから、伊里野とは再会してからろくに話もできていない。しかし今はその語らいの席を晶穂に譲ろうと思う。自分の尻を蹴っ飛ばした晶穂の顔には、それを許してしまいそうになるほど緩みきった笑顔があった。
右手に持っていたビールのせいかもしれないが、彼女なりに何か思うことがあったのだろう。晶穂が本当の意味で笑ったのを見るのは久方ぶりのことだった。
――さて、追い出された以上どこへ行こう。
周囲を見回してみても花村と西久保は鼻に割り箸をさしたまま酔って寝てしまっているし、他の園原中学の面々も折々の輪を作り歓談を楽しんでいて、その中に入り込むのはいささかのタイミングと勇気が必要だった。
家族と話すことはこんな席では直のこと恥ずかしい。尻の下ろす場所を求めて浅羽がうろうろしていると、不意に声がかかった。
「浅羽くん」
振り返ると、鉄人屋の隣で出された『本郷酒店』と『居酒屋モダン』の共同開店している巨大テントの一角に、椎名真由美が座っていた。浅羽が気づいたことを確認すると、座ったまま右手で手招きをする。
こちらのテントは鉄人屋テントとは違って垂れ幕がカーテンロープに吊り下げられる形で用意されており、それぞれが区切ろうと思えば4~8人程度の規模で小部屋が作れるような仕組みになっている。酒がメインで提供されるため、いさかいを起こさないための配慮だろう。
浅羽は頭だけで挨拶すると、椎名が座る席の真向かいに腰を下ろす。
「久しぶり」
「お久しぶりです」
椎名はにひひ、と子供のような笑顔で笑う。
半年振りの再会だったが、椎名は見慣れた白衣姿ではなくグレーのタンクトップに地味なアクセサリーを身につけたいでたちである。
休日の飲み屋で見かけるOLか、下手をすれば大学院生と名乗られても納得してしまうような容貌の彼女だったが、榎本とは異なり酷く疲れた顔をしていた。
しかしその笑顔を見れば彼女の内心はとても落ち着いたものであるように感じる。
椎名は既にだいぶ酒が進んでいるのか、首をコテンともたげながら、
「元気だった?」
「ええ、おかげさまで」
「ほんとよ、浅羽くんが園原市を出てくんじゃないかーって榎本が大騒ぎしてさ、色々大変だったんだから……」
怪訝な表情で浅羽は椎名に質問をする。
「え? えっと、なにをです?」
「内緒。それより何か頼む? カクテルもあるけど……あ、やっぱソフトドリンクか」
「それ、何飲んでるんですか?」
「日本酒、与太桜」
思わず目を疑う。椎名の持つ酒瓶は既に1割以下しか残っていない。
「グラスで飲んでるんですか?」
「いいじゃない! 今日は朝まで飲む予定なの」
苦笑がこみ上げるのを浅羽は押さえることができなかった。
「じゃあぼくも同じで」
「へ? あ、もしかして気を使ってる? いいのよ、合わせたりしないで」
椎名は意外そうな目で浅羽を見るが、浅羽は肩をすくめて椎名の肩越しに鉄人屋のテントを見る。晶穂が伊里野と何か話しているのが見え、2人の穏やかな笑顔に安心する。
「いえ、そういうんじゃないんです。今日はぼくもちょっと破目外したい気分なんで」
ふーん、と椎名は含みのある笑みで浅羽の視線を振り返って確認する。
「でも一応幕下ろすわよ。15歳になってない子に酒飲ませてるのばれたら面倒だし」
「あ、はい」
店員を椎名が呼び、椎名が日本酒・与太桜を1本追加オーダーする。浅羽の顔を見て、一瞬だけ店員は考えるような仕草を見せるが笑顔でオーダーを復唱した。暗黙の了解とでも言うべき視線が椎名と店員でやり取りされ、幕が仕切られて簡易個室が出来上がる。店員はすぐに日本酒を持って現れ、浅羽の前に大量の酒と、水入りグラスと空のグラスを置いて立ち去った。
「こんなお祭り騒ぎだからかな。わかってる店でよかったわ」
「そうですね」
椎名は浅羽のグラスに日本酒をなみなみと注いで手渡し、無言で自分のグラスを差し出す。
浅羽は椎名が注いでくれたグラスを同じく差出し、
「えーと、何に乾杯します?」
「そうね……、じゃあ、我らがお姫様に」
笑いが少しこみ上げる。確かに自分と椎名を繋げるものは、伊里野を置いて他にはない。
「乾杯」
氷が高い音を鳴らして2つのグラスの中で揺れる。
浅羽は一気にグラスの4分の3の日本酒を飲み干した。
椎名は口に含む程度にしか飲まなかったが、浅羽の飲みっぷりに大層感心したようだ。
「わお、浅羽くんもしかしていける口?」
腹の底から言いようのない熱がこみ上げて危うくげっぷをしそうになるのを何とか押さえ込む。 「それなりには。母が強いんで遺伝かも」
「いいわねいいわね~。お姉さんの周りお酒強いやついないからいっつも1人でさー」
椎名は殊更嬉しそうに浅羽のグラスに日本酒を注ぎ、自分も嬉しそうにグラスを傾ける。
しばし椎名の酒に対する周囲の理解のなさに対する嘆きが続き、それは煙草に飛び火し、年齢の話に引火した。
浅羽は椎名が嬉しそうに話をするのを初めてみた。何かと伊里野とのいさかいであるとか、緊急時にしか会話していなかったこともあり、落ち着いて面と向かい合うのは記憶を手繰れば保健室以来ということになる。
一通りの爆弾は爆散したのだろう。椎名は落ち着いた雰囲気でゲソをもしゃもしゃとはんでいる。
浅羽は椎名のグラスに日本酒を注ぎ、グラスを置く。コトンと音がして、浅羽は気持ちパイプ椅子を引いて背筋を伸ばした。
「ありがとうございました。それと、ごめんなさい」
椎名にとって見れば浅羽の行動は唐突であり、言葉の意味を吟味しながらぽりぽりと頬をかく。
浅羽は机をなめるように頭を下げたまま続けた。
「椎名先生があの手紙を送ってくれなかったら、ぼくはどうしてたかわかりません。本当に、感謝してます」
「謝るのはなんで?」
椎名は指の間でゲソをもてあそびながら浅羽のつむじをじっと見つめる。返事はすぐには返ってこなかった。
「怪我させてしまったこととか伊里野を連れ出したこととか他にも、」
「ストップ。浅羽くん。とりあえず顔上げて」
椎名がコツンと少し強くグラスを置く音が響き、浅羽は顔を上げる。同時に目の前には椎名の手がすぐそこにあり、中指を親指が押さえ込む形で停止しているのに気づいた。そして気づいたときにはやや強めのでこぴんが放たれた後だった。
「大人としての対応をするんなら、全部ちゃんと聞いてあげないといけないと思う。でも、やっぱり駄目。感謝されるのはまだよしとしても、謝罪なんて聞きたくないわ」
ひりひりする額から手を下ろし、簡素なパイプ机の下で両手を強く握り締め固く目を瞑ってから浅羽は唇を強くかむ。
「はい」
――そうだ。簡単に許されることじゃない。怪我をさせたこともそうだが、椎名が怒るとしたらやはり伊里野のことだろう。伊里野を軍から連れ出したせいで、いつ危険な状態になるかわからなかった。それだけじゃない。守ると誓ったのに、その誓いはことごとく裏目となりあまつさえ伊里野の記憶すら奪ったのだ。一歩間違えば人類は滅んだかもしれない。今目を開ければあるみなの笑顔は、炎と灰の中に沈んでいたかもしれないのだ。
どれだけの責め苦を受けたとしても、文句を言う権利など自分にはないのだ。
「こら」
椎名が浅羽の額を指で再びぱちんと弾く。
再度の痛みに額を押さえながら目を開けると、椎名の顔が目の前にあり、いくつかの驚きが浅羽の中を駆け巡る。
「もう! 違うったら。加奈ちゃんのことで責任を感じるのは偉いと思うし、一つ間違えばそれを背負う必要もあったかもしれないとは思うよ。でも――ほら、見なさい」
閉じられていた幕を長く細い指で開きながら椎名はあごで後方を指す。
――そこには伊里野がいた。伊里野の隣には晶穂がいた。そしてその周りには元級長だった中込真紀子やその連合艦隊。酔っ払った花村と西久保が割り箸を鼻にさしたままつかみ合い、その仲裁に入る島村清美の姿もある。かつてのクラスメートの姿がそこにはあった。その全員が笑っている。伊里野を中心に輪が広がり、時折伊里野も手を口に添えて小さく笑っていた。

――それは、いつか夢見た光景だった。

「あの笑顔があるのは誰のおかげ?」
椎名は浅羽の返事を待つことなく続ける。
「エリカが死んで、いつ海に飛び込んでもおかしくなかったあの子をあんな風に笑えるようにしたのは? 兵器としてじゃなく、友達として見てくれてる周りの子たちができたのは? あの子が帰りたいと思った一番の理由は?」
幾度も、それこそ毎日に近いほど心から願った光景だった。伊里野が学校で孤立するのを見てから、公園で自分達はいらない子なんだと呟いた伊里野を見てから、浅羽袋を見てから、夜の海で伊里野の気持ちを知ってから、そして、タイコンデロガで伊里野が空に帰ってから。
もう見ることができないと何度も諦めた光景だった。

「君はあたしに殴りかかってきたよね。あの時は君にいらいらしてたし、それはかなりの時間消えなかったのも事実。でも、それだけじゃなくてどうにも腑に落ちない、納得できないものがあたしの中にあった。それがなんなのかわかったのは加奈ちゃんが戦争を終わらせてからだったけど、ようやく気づいたの。あたしはあの時君が殴りかかってきてくれて嬉しかった。建前や見栄なんかじゃなくて、加奈ちゃんを守りたい、戦わせたくないっていう君の気持ちがただ嬉しかった」
椎名の言葉が胸に突き刺さる。しかし、それはただの痛みではなく、
「君はこっちの作戦に巻き込まれただけだったのに。あたしたちを敵に回してまで、加奈ちゃんを自由にしようと努力してくれた。タイコンデロガで君が言ったことを後から聞いたときは心の底から嬉しかった。伊里野が生きるためなら人類でも何でも滅べばいいって。その通りだった。あたしもそうするべきだったって思った。それが正しいって分かってたのに……大人って本当に嫌ね」
椎名が細い指でグラスをつつく。カランと乾いた音が個室に響く。
「だから、誰に何を言われてももう謝らないで。あなたは正しいことをした。加奈ちゃんがあそこに居られるのは君のおかげ。君がナイフを首に突き立てて加奈ちゃんを連れ出してくれたおかげ。あたしは、加奈ちゃんが今笑っていられるだけで満足してる。だから、君に謝罪の言葉なんて必要ない」
浅羽は動かない。返事をすることも、顔をあげることもできない。
「もー……しょうがないなぁ」
椎名は、パイプ椅子から立ち上がって自分のグラスを持つ。動かない浅羽の横に立ち、俯いたまま動かない浅羽の頭をなでた。グラスを傾けて、伊里野の笑顔を見ながら――何度も何度も。浅羽が顔を上げるまで椎名のその手から感謝と優しさが失われることはなかった。

「自信を持って――。今日があるのはあなたと加奈ちゃんのおかげなんだから」


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