カウンター

入替


鼻につく油の香りと、耳に響く金属音と、全身を包む振動に耐えながら、中田は昇降エレベータの中にいた。

足元で気絶している吉岡に視線を向けると、口元からは唾液を垂れ流し、目はあらぬ方向を向いてはいるが呼吸はしているらしい。
かわいそうな奴だと中田は思う。 吉岡はまだまだ若く、経験を積めばそれなりに使える人材に成長したことだろう。 だが、それゆえに中田は吉岡という存在に僅かな嫉妬を覚え、気絶した吉岡の顔を軽く蹴りつける。鼻腔から色鮮やかな鼻血が流れ出るが、それをふき取ることもせずに中田の思考は水前寺にシフトした。
店の警備システムを考えると、中まで侵入することはそう難しくはない。
吉岡が先ほど店内を封鎖状況にしたにも関わらず緊張していたのは、侵入してきた水前寺と対峙しなければならない可能性が高いからだ。
というのも、上が考える本来の警備対象は地下通路および、レールガンの存在を隠すことであるからだ。
つまり地下通路までのルートさえ守れれば、清水仏壇店の内部に敵が侵入しようと迎撃すればいい、ということである。
実戦経験のない吉岡にとっては今日が初めて人に対して銃を向けるという経験を積む日になっていたかもしれない。だが、吉岡は一生その経験を積むことはないだろう。
重い衝撃が全身に訪れる。
目的の階層に到着したことを知らせる電子音が響き、大型トラックが2台横並びになっても通過できる大きさの隔壁が激しく地面を揺らしながらスライドして開いていく。
目の前に現れたのは地下鉄のホームを思わせる空間だった。
地下鉄のホームと似通っている点は、右手と左手にはそれぞれ長大なトンネルが存在し、端が見えないほどに延々とそのトンネルが続いていることだ。
だが似通っていない部分の方が圧倒的に多い。
まず、照明が酷く弱い。一番明るいのはエレベータから漏れる光であり、そこから離れるごと暗黒に近い闇が広がっている。
そして所々に点在する赤いランプが明滅する光だけが不気味に輝き、ランプはトンネルへと等間隔に続いていき空間の長大さを物語っている。
中田が立つ位置から両側に存在するトンネルはそれぞれ大小2つの種類があって、移動手段に合わせてその口を開いている。
ホームから段差なく続いている小さいトンネル――それでもトラック2台がすれ違うことができるほど巨大な――は車や徒歩での通過を目的とし、時折トンネル内を封鎖することもできる隔壁操作のためのコンソールが存在している。壁には白地で『DANGER07』とペイントされており、現在の区画名を表示している。
そしてエレベータから正面に7m進むと、突然床が1.5m下がり、レールガンが通過する巨大なレールが巨大なトンネルへと続いている。

床に転がっていた吉岡の足を無造作に掴み、ゆっくりとエレベータから離れる。
エレベータと同じ漆黒の装甲板に守られたホームは酷く冷えこみ、とても肌寒い。
白い息を吐きながら、中田はホームを奥へ奥へと進んでいく。
ぴくりと右手で掴んでいた吉岡の足が動いた気がして中田は即座に手を離して臨戦態勢を取る。
ごとりと吉岡の靴底が硬質な床に強かに叩きつけられたが、吉岡の反応はそれだけだった。
胸元からペンライトを取り出して、吉岡の顔に向けてみるが目に光はない。薬は依然吉岡の意識を奪ったままである。
少しだけ早まった心臓の音を落ち着かせようと胸に手を置く。
ぷしゅっ。
中田から見てかなり距離のあるどこかでそんな音が聞こえたような気がして、中田はペンライトを音がした方向に向けた。
薄暗いトンネルのどこにライトを向けても動くものは何1つなく、ライトの光が弱いこともあいまって長大なトンネルの隅々まで照らすことはできない。
そのまま歩を進めて確認をしようと一歩を踏み出した直後だった。
ベルトにカラビナ――鉄でできた金属リング――でぶら下げていた無線機が電子音を放つ。
電源をオンにする。
――こちら柿崎、管制室。応答しろ。
「こちら管制室中田、どうぞ」
――何か変化はないか?
中田は一瞬真実をそのまま柿崎に伝えたらどんな声を上げるか聞いてみたくなる。
『こちら中田です、吉岡は薬使って意識トバしました。今からレールガンレールの上に投げ落とそうかと思ってます。あ、ちなみに水前寺はこっちで店に侵入しようとしてまーす。今からやつもぶっとばして吉岡と一緒にミンチになってもらおうかとははは』
――どうした? 中田、応答しろ。
柿崎の声で中田ははっとなり、妄想を中断して嘘を並べ立てる。
「あ、こっちは何事もないです。要請していた増援は結局なし。上への催促はしましたが返事はノー。どうにかこっちで処理するしかないかと」
――くそ、そうか。わかった。秋元とはまだ合流できてないが、今はは高速の路側帯にいる。
内心でほっとする。水前寺と町田が行動を共にしているという中田の嘘はまだバレてはいないようだった。
「なんでまたそんなとこに」
――水前寺のレンタカーが路側帯に止まってたんだ。中を確認したが誰も乗ってなくてな。路側帯横の下り坂に何かが滑り降りたような跡が2つあった。
「じゃあ2人は山の中を逃走中ってことですか?」
――断定はできんがな。坂はけっこう急で一度下りたらそうそう戻れそうにないんだ。それに路側帯のすぐ先にトンネルがある。もしかしたら坂の跡はフェイクでトンネルの中を走って逃げたのかもしれん。
水前寺が立案した計画ならやりそうな作戦だ。山の中の捜索となれば人手が足りない現状が問題を重くしている。逃げているのは町田1人だけだとしても、捕獲まではかなりの時間がかかるだろう。中田にとってはどちらも好都合だ。
――ともかく秋元と合流したら追跡を再開する。吉岡にもこっちに来るように言ってくれ。あと、3課の永江さんに直接連絡を取って事情を説明してくれ。あの人なら上の命令がなくても動いてくれる。
「わかりました」
――頼んだ。切るぞ。

中田は鼻で1度だけ笑う。
「だってさ吉岡クン。早くいかないと怒られちゃうよ」
足元で転がっていた吉岡の顔を再び軽く蹴る。
吉岡は苦悶の表情を浮かべたまま一度だけ軽く声を上げたが、意識は戻らない。
中田はそういえば、と水前寺のことを思い出し、吉岡の懐から手のひら大の端末を取り出して警備状況にアクセスする。
既に50あった監視システムはすべて破壊されていた。
アクセス場所を変えて、いくつもの監視モニターにアクセスを繰り返す。
「!?……優秀すぎて腹が立つねぇ」
水前寺を放置していた時間はたかだか5分程度だ。
だが、そのたった5分の間に水前寺は店内に侵入したどころか、隠し扉を発見して通過すらしている。
店内に侵入する程度なら機材があれば誰にでもできる。
しかし、あの迷路のような通路をなぜああも迷いなく進むことができるのか。
昇降エレベータに続く通路は管制室の奥にある。
それを見つける前になんとか奴を始末しなければならない。
「急ぐか」
脳内で水前寺を痛めつける様子を想像しながら、中田は吉岡の両足を持ち上げ、ホームの縁へ立つ。
段差は1.5m程度だが、気を失って受身も取れない吉岡はそれだけで打ち所が悪ければ首を折るなり腕を折るなりしてしまうだろう。
だがそんなことを心配する必要は何もない。
なぜなら後30分もしないうちにレールガンがここを通過し、吉岡の体を原型も残さないようにしてくれるのだから。
後は……あれだけだ。

中田は全身に力を込め、吉岡の体を薄暗い闇の中へ放り込んだ。

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