カウンター

密会


市川大門駅の時計はもうすぐ2時を指す。
町田は水前寺と狭い路地で別れてから市川大門駅に舞い戻り、目立つ位置にあるベンチに座り込んでひたすら待ち続けた。
待ちくたびれて眠ってしまうと思ったが、精神の高ぶりが眠気を吹き飛ばし、その目は爛々と輝きを発しながら周囲に向けられている。たったの数時間で、精神の高ぶりと相反するかのように肉体は疲弊していた。
遠くで車のエンジン音がして、町田は顔を上げる。

エンジン音は次第に接近してきていて、ほどなくして白いバンが姿を現した。町田は誰にも聞こえないような声でつぶやく。
「おせぇよ」
白いバンは町田の前で停車し、サイドハッチが音もなく開く。町田は一瞬のためらいの後ハッチの縁に手を掛けて乗車した。
町田が乗り込んだ後部座席側には今から戦争にでも行くのか機動隊の親玉みたいな全身対爆スーツのような物を着込んだゴリラが1人、町田の隣に座っていた。微かに漏れる呼吸の音もその威圧感をかもし出す一因になっているが、顔を覆う暗視ゴーグルが男の顔にあるはずの肌の色を完全に覆い隠し、ゴリラの人間らしさを奪っている。
運転席側には黒服を着たちゃらちゃらした男以外誰も座っておらず、チャラ男は慣れた手つきでバンを発進させた。
振動で半ば倒れこむように座席に座る。
視線が自然と運転席側に向かうと、奇妙な違和感に気づいた。チャラ男と町田との間にはしっかり見ないと見えないガラスが張られてあり、それが防弾ガラスであることは素人の町田の目にもはっきりわかった。
視線を感じたのか、チャラ男が運転中にも関わらず振り返る。
「お疲れ、町田クン! 案外早かったねぇ! いやぁすごいすごい!」
チャラ男はサングラスを額に掲げながら賞賛の声を町田にかける。
「ども」
町田は簡素に返答する。
チャラ男は町田の反応など意に介していないようで、べらべらとその口を歯車のように回転させ続ける。
「大変だったでしょー、あの水前寺が相手じゃねぇ? にしても驚かなかった? あれであいつ何の訓練も受けてないんだよ? 一般人にあんなスゴイことされちゃ俺らの立場がないっての! だからちょっかいかけちゃいたくなるんだよね~」
「それで車で追いつめたんすか?」
チャラ男は頭をぼりぼりとかきむしる。
「あれは町田クンが頼んできたからだよ? 手に負えないなんて泣き言を言い出したからさ、あれ協力してほしくてわざと言ったんでしょ?」
「…………」
非常に楽しそうにチャラ男は笑顔になる。
「あれ図星? ほら黙らない黙らない! なんにしろカードは手に入れたんだから問題ないじゃない!」
「あんな奴が相手なんだったら先に言ってくださいよ」
町田の問いにチャラ男が左手だけをブンブンと横に振る。
「事前情報なんて関係ないって。学生の時に抜き打ちテストってやらなかった? いきなりセンコーが教室に入ってきてさ。抜き打ちテストやるぞーって言い出したらさ、みんなさっきの町田クンみたいな反応するよね? でも5分前に事前通達があろうとなかろうと点数なんて変わんないよ。それと一緒だよ。だから時間の無駄を省いたと思ってほしいかな」
「……わかりました。とりあえず、ブツは用意したんだから約束、守ってください」
「あーあー、そうね。そうだね。記憶ね。でもその前に、約束守ったって言うんなら戦利品をちゃんと見せてよ」
町田は顔をしかめながら、ポケットからカードを出した。
「グレー1色。無地。水前寺が持ってる。条件は全部クリアしてます」
隣に座っていたゴリラが初めて動いた。組んだ太い両手が動くたびにチュイイイイというモーター音が車内に微かに響く。ゴリラは町田が提示したグレーのカードを意外に滑らかな動きで受け取った。ゴリラの右手がバンの車体にあったボタンを押す。カパッという音と共にバンの車体に取り付けられていたコンピュータが姿を現して起動した。青白い光が車内を照らす。
ゴリラはグレーのカードをコンピュータに差込み、軽快にキーボードを操作する。
町田は余裕の表情を取っていたが、少し不安になる。
何の疑問もなく、町田はバンに乗り込んだが、水前寺に渡されたカードが本物であるという保証はどこにもない。もし偽物だった場合、自分はどうなるのか。このゴリラがその左腕を横に凪いだだけで、自分の頭など簡単にへしゃげてしまうのではないか。
この2人から感じるのはそういった肉体的な恐怖だけではない。もっとも厄介なのはたかが大学生1人が消えるぐらいなんとも思わないという考えがにじみ出ている精神的な恐怖にある。

ことの発端はつい数時間前、風呂に入っている時だった。
深夜に近い時間になったころ、日中失われた記憶を求めてさまよい続けたせいで疲労していた全身を、自宅の湯船でとっくりと癒している最中、この2人が現れたのだった。
素っ裸で立ち上がるべきか、悲鳴をあげるべきか戸惑う町田に、チャラ男は言った。
「ちょっと頼みごとがあるんだけど」
長年の友人に金欠だからご飯奢ってと頼むような軽さだった。
その右手にある銃をしっかりと構えていたら町田は違った反応を見せただろう。おもちゃだろうとかどうせこけおどしだろうと鷹をくくることももしかしたらできたかもしれない。 だが余りに日常とはかけ離れた銃の存在を、気分だけで話しているような男が持つとその異色さは薄気味悪さを増すばかりであった。
チャラ男は町田の表情に恐怖と困惑を感じ取ると、嬉しそうに続けた。
――でね。今夜市川大門駅の女子トイレにある男が現れる。その男と接触して、グレー1色で、無地のカードを奪ってほしいんだ。方法は任せるよ。入手するのが困難そうだったら俺達も手伝うからさ。連絡? 気にしなくていいよ。君の家の鍵ある? じゃあこのキーホルダーにつけてよ。デザインも結構今時でかっこいいっしょ? これ盗聴器になってるから。あ、それとね、ライトも点いてんだよ。? 超お得! ま、これで会話は逐一こっちも聞いてるからだいじょうぶ。無事手に入ったら君の欲しい物あげるから。じゃ、頼んだよー!
そう言って去っていった2人を、全裸の町田は呆然と見送った。
しばし風呂から出ることもできずに今起こった出来事がすべて自分の疲れに疲れた脳が生み出した幻想なのではないかと思った。
しかし、自室の六畳間にぽつんと黒いファイルが置かれているの見て、大慌てで服を着て中身を見た瞬間、さっきのは現実だと思い知った。
ファイルには町田のこれまでの経歴すべてと、「ダミー」と書かれた付箋が貼られたグレーのカードと、田舎の両親の商売をしている姿を撮った写真まであった。
――選択肢はなかった。

「ダミーの方は使う余裕なかったみたいだね?」
「…………」
「こらこら、あんまりだんまり決め込むようなら俺もだまっちゃ、」
『問題ない』
隣のゴリラが出したボイスチェンジャーを通したような気味の悪い声が突然響き、町田は背筋を跳ね上がらせる。
チャラ男はハンドルを切りながら口笛を吹く。
「やるねぇー町田クン! おめでとう!」
賞賛の声が上がるにつれて、町田は頭が重くなってくるのを感じた。
「褒めるのとかいいですから、記憶を……あれ」
「ん? どうしたの町田クン。眠くなっちゃった? ま、後のことは気にしないで眠っちゃいなよ」
「俺……きお……く」
「えー? 記憶がなに? 約束守ってくれたから欲しい物あげようと思ったけどさ。このまま眠っちゃったらリクエスト聞けないよ、いいの?」
既に町田にはこの言葉は届いていない。完全に意識を失ってサイドハッチにもたれかかって眠っていた。
チャラ男は車を止め、振り返って町田の寝顔を覗き込む。
「あーあー、アホづらで寝ちゃってさ。で、どうします? 俺としてはもう用も済んだんで排除じゃなくて駆除していいと思うんですけど」
『目的は果たした。あとはあの男の出方次第だ』
「……ちぇ。へーい」
『中田。なぜあのファイルに余計なものを載せた』
「ファイル? どれのことですか?」
『…………』
ゴリラが沈黙を中田と呼ばれた男に浴びせる。中田は珍しくその表情を「喜」以外に変えて、
「やだなー、わかってますって。水前寺のでしょ? あれぐらい良いじゃないっすか。監視対象に警戒を促すってのは指示通りでしょ?」
沈黙が冷ややかな空気の中に緊張を張り巡らせる。
『…………出せ』
「……へーい」
町田を乗せたバンが、ゆっくりと前進を始めた。

ゴリラの身体から発せられるモーター音が、眠りこける町田の首に近づいてゆく。


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