カウンター

遭遇


時刻は深夜0時。
帝都線市川大門駅の女子トイレで、近隣に住民がいたら確実に不審に思うほどの地響きが発生した。続いてカラカラとペンライトが転がる音がトイレ内で響く。
決して広くはない件の女子トイレ内では、ペンライトに照らし出された男が2人奇妙に重なり合っていた。

片や見事な背負い投げを決めた長身の眼鏡男。
片や見事に背負い投げを決められた長身の男。
2人はお互いの顔を見合わせ、絡み合った腕を見て、再度顔を上げて、
「何者だ貴様?」
「あんた誰だ?」
同時に疑問を口にした。互いに一瞬の沈黙があった。
水前寺は飛び跳ねるように男から距離をとりペンライトを拾い上げて男を照らす。同時にデニムに入れていたカードが無事かどうか確認する。カードがそこにある感触が、安堵を生む。しかし水前寺は気を緩めそうになるのを思いとどまった。目の前の男をじっと観察する。
「いててて」
男は痛そうにしりをさすりながら立ち上がった。
「もう一度聞く。何者だ?」
男は顔を隠すように手をかざした。
「とりあえず眩しいからそのライト下げてくれよ」
若い。しかし水前寺より年上のようで、季節にあったラフな格好と、鎖のアクセサリーが履いているデニムに取り付けられている様子から大学生くらいじゃないかと思う。やはり改めて指の隙間から見える顔を記憶と照らし合わせるが、その顔に見覚えはない。
「怪しい動きを見せたらただじゃおかないからな」
「既にその状況に陥ってるんだけど……あ、いってて」
男のその痛がりようは演技には見えなかった。衝突の瞬間を見たわけではないから断言はできないが、床のタイルをはたいたような音が響かなかったことを思い出すと受身すら取れなかったようだ。
受身すら取れない男が軍の人間だろうか。いや、それだけでは判断はできない。油断させる演技かもしれないのだから。
「……しっかし。いきなりご挨拶過ぎでしょ。女子トイレに男が入っていくだけでやばそうなのに、隅っこに座ってなんかやってたら思わず声かけるのが普通でしょうが。それにこっちはただのしがない大学生。怪しい男が女子トイレに入ってくのを見かけて声かけただけですよ」
男は町田一輝と名乗った。学生証を財布から提示した所から見るに、それなりの準備をしてきた工作員か。それともただの大学生かだ。
「で、そっちは? やっぱりただの変質者?」
男はしゃがみこんで何かを探しながら失礼極まりないことをのたまう。
「違う」
「どうかなー、名乗れないってのはやましいことがある証拠でしょ」
「……水前寺邦博」
迷った挙句、警戒心をあらわにしながら水前寺は名乗る。
「へー」
町田は水前寺の言葉をろくずっぽ聞いているようには見えない態度で探し物を続けている。
「聞いてるのか」
「聞いてる聞いてる。どっかの演歌歌手みたいな名前だなっと、お! あったあった」
探していた何かを見つけたようだ。
その手元にライトを向けると何か小さな機械をつけたキーホルダーのように見える物を拾い上げるところだった。よく目を凝らすと赤錆の浮いた鍵が一本取り付けられている。
「いやーよかったよかった。これがないと家入れねぇからさ。さらに、っと」
男が手元の機械を操作すると光が灯り、水前寺の顔を照らす。眩しさに一瞬目が眩む。
「へへー、これライトになってんだ。デザインも結構気に入ってるから失くしたら一大事に陥るとこだった」
「おい、ライトを下げろ」
「おっと、失礼失礼」
お互いが相手の胸の辺りにライトを当て、ようやくお互いの顔を目視する。
「んーーーーー」
男はうなりながら水前寺を観察しているようだ。頭の先からつま先にまで視線を上下させ、
「わかったぞ! アレだ。変質者じゃないならあんたブンヤだろ」
「は」
「あれ? やっぱただの女子トイレマニア? あれか。夜な夜な女子トイレを求めてはさまよい歩いて、誰もいないのをいいことに便器の写真を一枚、また一枚と。違う、俺の求める便器はこんなもんじゃないんだ、もっと純白の薄絹のような」
「まったく違う」
「ま変質者は冗談にしてもさ、ここ結構心霊スポットとしては有名じゃん? そういうの調べてるのかと思ったんだけど」
どうも調子が狂う。声にプレッシャーを感じないし、何か探りを入れてくるような印象も受けない。本当に見た印象をそのまま口に出しているような感じだ。そういう探り方なのか、それとも何も考えていないのか。
――とりあえず話しを合わせて様子を見るか。
「ブンヤというのはあながち間違っていない」
「やっぱりな」
「だがその呼び名は止めてもらおうか。ジャーナリストと呼称するのがふさわしい」
「やってることは変わんないだろうに、呼び名なんか気にする? もしかして案外体裁を気にするたち?」
「ぐっ」
口の減らないやつだと水前寺は思った。
――前言撤回。無視して問題ない。ただの妄想好きな大学生だ。
目の前の男への警戒心が逆説的に収まっていくのを感じて、水前寺は町田と名乗った男から視線を外した。
「もういい。わかったからそこどいてくれ」
ぐいっと町田の体を押しのけて、巨大な姿身の前に水前寺は陣取る。ライトを改めて鏡に向ける。鏡に照らされた背後に町田の興味津々といった表情が写りこむ。
水前寺はため息をつきながら、
「ひとつ言っておく。これは極秘に行っている潜入捜査で、非常に危険な任務だ。これ以上、」
「おおーっ! 潜入捜査とか生で見れるとは思っあいた」
水前寺が町田の頭をはたく。
「静かにしろ。潜入捜査だと言ってるだろう。深入りすれば身に危険が及ぶんだ。ただの興味本位なら踏み込まないほうがいい。悪いことは言わんから早く帰れ」
「えー」
心外だというような不満丸出しの声を町田は上げる。水前寺はそれ以上町田にかまうつもりはなかった。
「忠告はしたぞ」
右手に持ったペンライトを左手に持ち直し、右手で鏡のすぐ横の壁から現れたアルファベット26文字のキーとテンキーが付随したコンソールに触れる。
無論、女子トイレにキー付きのコンソールなど本来なら不要である。
だがここに軍の連中が隠した何かがあるのだとしたらどうだろうか。
水前寺はここに到るまでに古地図と最新の地図を比較して候補地をいくつか検討した。その中でここだと確信を持ったのはこの場所だけだ。
その理由には以前浅羽と取材として訪れた際に感じた2つの納得できない点が挙げられる。
まず水前寺と浅羽を通報した目撃者の存在だ。
春に訪れた際も時間帯は11時を越えていた。
そんな時間にもなれば周囲には街灯だけになるし、今と同様にトイレ自体も消灯される。手動で電源スイッチを押せば電気は点くが、今も以前も「潜入取材」であった。第一幽霊に遭遇するために電気を点けるなど言語道断である。よって電気は昔も今も点いていない。
――。
一瞬思考が停止するが、なぜ停止したのか水前寺自身もわからない。
「あのさ」
頭上の町田が何か言いたそうな表情で声をかけてくるが、水前寺はこれを完全に無視した。
思考を戻す。
水前寺と浅羽は共に女装していたのである。
薄闇のなか女子トイレに入り込む2人の姿を誰かが見たとしても、即座に通報などするだろうか。
恐らく、あの時トイレに潜入していた時間は5分にも満たない時間だったと思う。確かにトイレに入る瞬間を見られたとしても、その瞬間に通報でもされなければあんなにも早くパトカーが到着するはずがない。
浅羽は何も感じなかったようだが、潜入してすぐに首を徐々に締め付けられるような感覚はあったものの、それ以外には特に目立ったことはしていないし、起こらなかった。
通報されるには根拠が薄いのである。
とどのつまり、あの時警察に通報したのは軍の誰かではないかと水前寺は考えているのである。
やつらがここに何かを隠しているのなら、そこに深夜に侵入する存在を排除したくなるのが心理だろう。
それが1つめの疑問だ。
「おーい」
再び無視。
そして2つめの疑問は鏡にある。
本来、姿見があるべきなのはトイレに入ってすぐの場所である。
衣服を崩して用を足す以上、どうしても男女問わず衣服に違和感がないか確認したくなるものである。それを確認するためには入り口 、あるいは流しの近くにあるはずだ。
決してトイレの奥まった部分に2枚も巨大な鏡を置く必要はない。
しかしここではそれらが当然のように配置されている。つまり、怪しむべき場所はまさにここだったのだ。水前寺は息を潜め、手探りで鏡を調べ、幾度か叩いて音の反射を聞きながらついにそれを見つけた。
鏡の外縁部を指で推し進めていくうちに妙な感覚があり、指に力を入れるとカチッと音がして、このコンソールが現れたのだ。 ようやく見出した蜘蛛の糸のように細い希望を捉えた瞬間に町田という邪魔が入ったが、今はその存在を脳内から締め出す。コンソールにはシェルターにもあったようにカードを通すようなスリットがある。水前寺の脳裏で持参したカードが浮かぶが、その前にキーが反応するかの確認をしようと思った。カードを使えば恐らくその瞬間に軍の発令所に侵入の事実が伝わってしまう。
それよりも前にできるだけ情報を抑えておきたかった。水前寺が1人頷き、バッグの中に入れてある軍手を用意しようと思った瞬間だった。町田が次に放った一言で、不覚にも動揺してしまった。

「あんたさ、記憶消されたことある?」



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