カウンター

敵地


「ろうそくの在庫は……ふむ。……確か数珠も……。発注しておかないとな」

清水仏壇店の店長兼自衛軍情報戦5課柿崎情報陸士長は上からの御達しで任されているこの仏壇店の倉庫で在庫を確認しながら小さく唸った。
上からの無茶な命令はもう慣れたものだが、軍の重要拠点の表の顔であるこの仏壇店の売り上げまで成果を期待するのはいくらなんでも、と非難の声を上げたくなる。
この店に配属になってからもう半年になるが、店の数字は開店当初から右肩下がりである。専門知識をまず溜め込む時間が必要だったこともそうだが、柿崎の直属の上官が特務だとかで長く不在であることも理由の1つであると柿崎は思う。
まず、自分は客商売などまったく向いていない。2m近い身長が客をまず威圧するし、低く唸りを上げているように聞こえると噂の声も客に妙な圧迫感を与えるらしい。
そんな自分がこの店の顔なのだ。
「うむ」
仕方ない。そう言うのは簡単だが、今月からは成果を出さなければ。
本来の職務を忘れそうになるが、任務は任務だ。
努力するしかない。

本来、柿崎ら通称ノドボトケ班には仏壇店の売り上げよりも重要な任務がある。
それは陸路の要である秘密経路――レールガンレールへの入り口である清水仏壇店を侵入者から守ることにある。
今年の6月末。園原基地南第二ゲートで起きた軍の機密物資がテレビ中継されるという前代未聞の不祥事、通称「ダッチワイフ事件」が起きてから、機密物資の搬入はしばらく空輸限定で行われた。
しかし、空輸だけで機密物資のすべてを賄うなど金銭的にも物量的にも土台無理な話だったのだ。上層部は早急に事態解決を命じ、白羽の矢が当たったのが清水仏壇店とその担当を任されていたノドボトケ班である。
本来ならこの清水仏壇店の役割は地上とレールガンレールを繋ぐ中継地点の1つでしかなかった。
レールガンは1時間に1度の頻度でここを通過していたが、それでも停車したことなどこの数ヶ月で2度しかなかった。
ロズウェル計画のアリスが緊急時に利用したことが1度。後は軍の幹部が使用したのが1度、たったのそれだけだ。
つまり、ノドボトケ班は数ヶ月にあるかないかのレールガンの停車のためにこの店を警護する役目が1つあっただけなのだ。
故に軍の同僚からは簡単な任務だとか羨ましいだとか言われ続けていて、新たに浅羽家、通称子犬連中の警護を同時に任されたときにはいい気味だとまで言われた。
だが外から見た風景と、内側からの景色はまったく違うのが世の常である。
店の経営や営業を経験したことのある人間が自衛官にどれだけいるというのだ。
やれ品が足りない、やれ宗教の違いがわからない、やれ坊さんを紹介しろ。
わかるはずがない。
せめて上官が帰るまでは……と柿崎は何事も起こらないことを祈るばかりである。
だが、ここ数日どうも不穏な動きを見せる輩の存在が報告されており、それが柿崎の不安の種にもなっている。
ダッチワイフ事件の発端となったFAXをテレビ局に送った水前寺邦博の存在である。
ここ数日、店を監視している人間がいるという報告を部下の河野から聞いた時は単なる嫌な予感程度のものでしかなかった。しかしその人間が水前寺邦博である事実を知ると予感どころの騒ぎではなく、明確な悪寒となって柿崎を襲ったものだ。
この時点で、ダッチワイフ事件のみならず水前寺に煮え湯を飲まされた事件を柿崎は身を持って体験しているのだから。
一週間前、警護対象である浅羽家の長女、夕子に水前寺が接触している。との情報が入った。
警護を担当していたノドボトケ班としては不穏分子を排除とまではいかなくても、細心の注意を払う必要があった。
部下に浅羽夕子に警戒を促させたこともその一環である。
それだけでは安心できず、警戒心の強い柿崎は店の人員を裂いてまで、警護を強化した。
だがこれがまずかった。
人員が足りなくなった結果、損失を出してしまうクレームが4件仏壇店で発生し柿崎は下げなくてもよかった頭を述べ3時間に渡り下げ続けた。
もう2度と水前寺とは関わり合いになりたくないと思った。
だが、泣きっ面に蜂とはよく言ったもので、水前寺の名前を柿崎は三度聞くこととなる。

水前寺をスカウトするなどという耳を疑う伝達が上層部から流れたのだ。 ダッチワイフ事件を起こす前から水前寺の名前を知らない情報戦の兵士は潜りだとまで言われるほどだが、当時の柿崎は正直水前寺を侮っていた。
いくら能力が図抜けているとしても、所詮は中学生だ、と。
だが、ことスカウトに踏み出すきっかけとなった最近の水前寺の行動を知っている今となっては柿崎自身否定できないものがある。
グレーカードまでの入手はまだわかる。しかし、数少ない情報から市川大門駅のレールガン中継点の1つを発見したのは素直に拍手を送りたくなったものだ。
それゆえに、まだ軍側のスカウトが為されていない今が一番警戒すべきであると柿崎は考える。基地側での準備は整い、さあ明日にはスカウトだと今朝同僚から話は聞いた。
どうせやるならもっと早くしてほしかったと柿崎は切実に思う。
目下、柿崎は部下の1人が水前寺のせいで行方不明なのである。

今日の午後4時に突然上からの通達があり、水前寺の家族を拘束するために人員を1人回せという指令があった。
基地の異常な程の人員不足が招いた凶事である。
10月27日以降、ロズウェル事件のアリスの捜索と銘打たれた海外遠征に従事した兵士は園原基地内外を含む人員の7割に及ぶ。
万が一この手の情報が敵対組織へ伝わりでもしたらたった1時間で基地は敵の攻撃を受けるだろう。

自分たちの班は店の警護のために5人残されたのがまだ幸いであったといえる。
しかし、それは単なる希望的観測で、幸と出るか不幸と出るかはまったくの紙一重だ。
柿崎の班から派遣した河野からの定時連絡が途絶えて早1時間が経過するのである。
恐らく水前寺の罠にかかったのであろうが、それでも柿崎は本当の意味では焦ってはいなかった。
河野も厳しい訓練を受けて情報戦に配属されているのであり、万が一水前寺に不覚を取ったとしてもこの店の警備体制は揺らがない。
地下トンネルへの入り口は絶対に開かない。
要は水前寺を拘束しさえすればスカウトするなり『処理』するなり事態は解決するのだ。
そう柿崎が思った瞬間だった。
柿崎が在庫確認していた倉庫の扉が強い衝撃と共に開け放たれた。
「かかかか柿崎さんっ!」
部下の吉岡である。
監視ルームで警戒態勢に入っていたはずの吉岡の慌てように面食らいながらも、
「落ち着け、吉岡。どんなときも報告は冷静に、正確にだ」
「でででも、そのすすすすい」
「今から言うことを冷静に聞くんだ。いいな。まず頭の中で3つ数を数えろ。そして息を吸え。それからまた3つ数を数える。頭の中でだぞ。そして息を吐く。実行しろ」
「は、はい」
柿崎の指示を吉岡は正確に実行し、冷静さを取り戻した吉岡は、
「正面入り口から水前寺が入店しました」
「なにぃっ!」
「あともう1人、大学生然とした男も一緒です」
「なぜ早く言わんっ!? それで奴らは!?」
「店内を闊歩しております」
今度は柿崎自身が焦燥に駆られた。だが部下の手前みだりに焦ったりはできない。3つ数える。息を吸う。3つ……。
「も、モニタールームに行くぞっ」
冷静に数を数えている場合ではなかった。
モニタールームでは先程吉岡が焦って倒したのでろうキャスター付きの椅子がコロコロと目を回していた。横並びになった椅子では常時平静を崩さない部下の1人である秋元が自分の机のモニターを凝視していた。 柿崎は椅子を起こし、店内を映す監視モニターの前に座って画面を覗き込む。
目に映ったのは、入り口付近でなにやら妙な動きをしている水前寺と――。
柿崎は目を疑った。
そこに映っていたのは柿崎がよく知る人物だったからだ。
凡そ半月前までは、確かに自分たちは知り合いであったと言えるかもしれない。
だが、それも奴の記憶が消えるまでの間だけだ。
故に、ただの一般客として来客したのならまだ合点がいく。
多くない仏壇店のひとつに偶然入ってしまった可能性は捨てきれない。
しかし、こと水前寺と一緒にいる。それだけでただの偶然は得体の知れない影となる。
「どうしたんですか柿崎さん?」
隣で自分の異変に気づいた秋元が尋ねてくる。
溜まりにたまった唾をなんとか嚥下しながら、柿崎は秋元に告げた。

「調書ファイルを持ってきてくれ。ファイルネームは『町田一輝』。半月前に処理した人間だ」


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