カウンター

観測者



榎本は浅羽と別れ、殿山の中腹にある一本杉を目指して歩き続けていた。

ようやくたどり着いた一本杉一帯は電子機器の不法投棄場になっている。
一眼レフカメラ、望遠鏡、ラップトップ型のコンピュータ、大蛇の群れのようになっているケーブル、ポータブルHDD、集音マイク、食べかけの弁当、投げ捨てられたペットボトルには早くもアリがたかりだしている。そして「新台入れ替えが歴史を変える!人生を変えたいあなたは釜藤パチンコへ」と印字されたチラシ付きのティッシュの散乱する中心には迷彩服を完璧に身につけた椎名真由美がうつぶせになっていた。
「よかった、よかったね、加奈ぢゃん」
酷い鼻声で一人つぶやきながら下界の二人を双眼鏡で覗いていた。

「おい椎名」
椎名は榎本を完全に無視した。
「おい」
右手に持っていたティッシュを投げ捨て、もう一枚。思いっきり鼻をかむ。
「もうそのままでいい。水前寺は? ここのガラクタあいつのだろ?」
椎名はたっぷり10秒榎本を無視し、再び鼻をかみ、至極めんどうくさそうに右手を頭上に指差した。

目線を上に向ける。
栄養満点なゴキブリの背中のようなオールバックをした水前寺邦博が馬手に双眼鏡、弓手に巨大コッペパンというなりで一本杉の枝に座っていた。
奴が持つ改造された双眼鏡は、市販品よりもはるかに優れた性能を持つ軍用スコープをさらに水前寺がオリジナルチューンし、米粒に書いてあるものもHMD上に文字化して表示してくれる。さらに顔を認識すれば即座にデータを基地にダイレクトリンクし、認識コードと同時にコード登録される。ターゲットがコード登録されてあれば自動で識別し、コード名までHMD上で表記される。しかも長時間高画質録画すらできる代物だ。
こいつら本当にこういうの好きだな、と心から下界の二人に同情する。しかし自分も結局はこの二人の同類でもあるのだが。
「おい」
榎本が声を掛けると水前寺が双眼鏡ごと顔を向ける。
「おお、上官殿。RVはここではなかったはずだが」
その口元は今気づきました、とでも言いたそうな形をしているが、その前の壮絶な舌打ちを榎本が聞き逃すはずもない。
「ならお前こそなにやってる」
「任務だが」
「今日は園原基地で出迎えする予定だったろうが」
「許可は得ている。それに代役は立てたのだから何も問題はないはずだ」
榎本は深いため息を吐き出した。
「どうもお疲れのご様子。早急に帰還し飯を食って寝るべきでは?」
水前寺の心無い優しい言葉に榎本の口からも自然に舌打ちが出た。
「誰のせいだと思ってる。任務開始直前にとんずらこきやがって。準備までおれにさせやがって」
「事情は上に報告したとおりだ。浅羽特派員の意思を尊重するというのは暗黙の了解だと考えていたのだがいかがか?」
「だから今まで何も追求しなかっただろうが。文句ぐらい言わせろ」
「これは失敬。とぅっ」
枝から地面までは数メートルあるはずだが、水前寺はなんでもないかのように着地する。この身体能力にも何度冷や汗を欠かされたことか。しかし問題はこいつの頭の中である。まず、どんな時でも水前寺は反省したりしない。即座に改善点を把握する頭脳を持っている故にだ。榎本は思う。やはりこいつを軍に入れることに何がなんでも反対するべきだった。チームワークなんて言葉はこいつの辞書には存在すらしないのだろう。水前寺はなおも遥か下界を見下ろし、あの2人を監視、いや、観察しているようだった。ふと、その時水前寺の耳元から漏れた電子音を榎本は聞き逃さなかった。
「何聞いてんだ水前寺」
「実況中継」
「は? お前また浅羽に盗聴機つけたのか」
「いや、前回の失敗を踏まえて浅羽特派員にはつけていない。しかし意外だ。今盗聴器を破壊しているのは浅羽特派員の方だな」
「浅羽が?」
「うむ、第三の刺客にまで気づくとは浅羽特派員もやるようになったものだ。感動の再会に気を許すと思って猫に取り付けたのだがよもやこんなに早く気づかれるとは」
榎本は眉間に皺が寄るのを抑えきれなかった。任務ほっぽり出して何をやっているんだと言いたかった。
「残念だが音声での会話内容の把握は諦めるしかないようだ」
水前寺はコッペパンをおにぎりでも食べるかのように一口で喰らい尽くすとつぶやいた。しかし、その声に諦めた感情はない。
「音声での?お前、」
「ご明察。読唇術は既にマスターしてある。今は浅羽特派員が猫の盗聴器を外しながら今までどうしていたのか聞いているところだ」
突然椎名が立ち上がり、水前寺の両肩に手を置く。米兵でも悲鳴をあげそうな音が水前寺の肩から発せられる。
「水前寺くん。上官命令よ。後で会話データを記録する必要があるからテキストデータに落として渡しなさい」
「……。了解した」
榎本は額に手を置いて上を向く。ただの中学生だった時から厄介なやつではあったが、軍と契約してからのこいつは知識を貪り食っている。それも常人の比ではないスピードでだ。将来、こいつが反旗を翻した場合を他の連中は考えていないのか。人生の全てを軍に捧げるわけがないと上に説明しても焼け石に水なのだろうか。

「時に上官殿。両特派員が再会したのはめでたいが、今後のプランはどうなっている? こちらの役目は一段落着いたのだから聞かせていただきたい」
榎本は椎名の手から双眼鏡を奪い取り、浅羽と伊里野を覗きこんで水前寺を無視する。
「こっからは私の担当。加奈ちゃんの秘匿義務も解除されたし」
「ほう」
「加奈ちゃんが基地から出れたのがその証拠。これから二人はまず浅羽くんの家に行くことになるわよ。ご両親との挨拶があるなんて知ったら浅羽くんどうなるか今から楽しみ」
水前寺が双眼鏡を外す。鋭い眼光を椎名に向ける。
「質問を訂正する。両特派員の今後の行動は予想できるから問題ない。聞きたいのは伊里野特派員が今後どういう扱いを受けるのか、ということだ」

「そっち、か」
椎名はその視線を避けて、足元に視線を落とした。
「水前寺くんの認可閲覧Lvは?」
「Lv4までしか許可されていない」
椎名はそっか、と上を向く。
「じゃあ戦後協定のことは知ってるのね」
「最後の戦いのことは知っている。その後伊里野特派員が保護されたのも。しかし、その後伊里野特派員がどういう扱いを受けて現在に至るかは知らない」
「ん。能力を無力化することは成功した。色々と制限は受けるだろうけど、加奈ちゃんは日常生活を送れるようにはなったよ」
「懸念は?」
「加奈ちゃんの体調と反抗勢力、それと…」
「それと?」
椎名はかぶりを振った。顔には出さず、心の中でだけ思う。今まで大丈夫だったのだ。これからも思い出さない限り大丈夫なはずだ。
「ううん、軍の上層部がどうするかなって」
水前寺は椎名から感じた違和感をあえて尋ねなかった。椎名が言わないのならあえて聞き出すことではない。おそらく自分にはどうすることもできないことなのだろう。椎名は続けた。
「体調は…正直時間が経ってみないとわからない。データなんてまるでないし。今ああしておしゃべり出来てること自体奇跡みたいなもんだしね。上層部も今すぐ何かする気はないでしょうから目下警戒しないといけないのは」
「反抗勢力とは名ばかりの過激派の連中か」
「そ。表立った戦力はぶっ潰したけどああいう連中って完全には消えないじゃない? 反抗勢力からしたら加奈ちゃんの能力とブラックマンタを手に入れれば世界統一すらできる戦力だから。穏健派にしてもそう。ブラックマンタとそのパイロットが揃えば他国なんて1日と掛からず崩壊させれるんだし、加奈ちゃんの能力を復元しようと思ってるやつもいると思う」
椎名はため息をつく。
「結局は加奈ちゃんの存在が怖いのよ。加奈ちゃんをパイロットでなくすことは軍も両手で賛成したわ。上層部からすればマンタの暴走や、鹵獲されて利用される可能性はエイリアンが生きてたころからの懸念事項だっただろうし。それに無力化したと頭でわかっても、もう一度パイロットになる可能性を完全に忘れることはできないでしょうしね」
「一から生み出すよりも伊里野特派員の能力の復元の方が確実に早い。敵にそうされるぐらいなら上層部は殺害も厭わない…と?」
椎名は頷いた。
「そんなふざけたことを考える連中から加奈ちゃんを守るのが今後の任務。私は加奈ちゃんの身体面のバックアップ。水前寺くんは学校生活中のサポート。榎本は外敵と軍内部のあぶり出し。こんなところよ」
「了解した」
十数年軍属であるかのような完璧な敬礼を水前寺は椎名にする。
「ところで榎本。あんたちゃんと浅羽くんに謝ったんでしょうね。あんたの性格からして……」
椎名はそこでようやく気づいた。マシンガンのように軽口が飛び出す榎本の口が先程からずっと沈黙していることに。榎本はずっと同じ格好で停止している。椎名から奪い取った双眼鏡を下界の二人に向けて。椎名は事態を理解して榎本に鋭いローキックを仕掛ける。
榎本は気配を感じ取ったのか、難なくローキックを避ける。
「避けるな! 返しなさい!」
「無理だ」
「無理じゃない! それ私のでしょ、返せ!」
「嫌だ」
「…………あんたがどう顔を出せばいいか悩んでたこと全部浅羽くんに話すわよ」
「お前……!くそっ、水前寺!」
椎名に双眼鏡を投げながら水前寺に向き直る。
水前寺は既に双眼鏡を片手に一本杉を虫のようにもぞもじしながら登って離脱している途中だった。
「てめぇ、水前寺! それよこせっ!」
「これか?」
「誰がグレネードがいるっつった! 双眼鏡だよ!」
「断るっ! これは俺の私物だ! 占有権は俺にある!」
「俺は上官だぞ!」

「あんたらうるさいっ!」

28秒後、水前寺の手に握られたフラッシュグレネードが辺りを包み込む閃光を放った。


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