カウンター

あの日



銃声に驚いたセミがスパイラル運動を決行した。

浅羽と榎本の距離は変わらず、発砲した浅羽も、撃たれた榎本も一切動かない。 一発の銃声が生み出したのは鼻をつく硝煙の匂いと、榎本の足元に隕石のようにめり込んだ弾丸だけだった。
「殺さないのか?」
榎本は変わらず真剣な表情で浅羽に問いかける。
「聞きたいことが、あります」
銃を下ろす。榎本を見つめる。
「おれが話すと思うのか?」
浅羽は無言で首を振る。
「なら――」
「話せることだけでいいんです」
榎本の表情が一瞬だけ感情を見せた。

「あなたはいつも自分にとって必要なことと、関係のないこと。この二点だけを徹底して話していた」
この半年間、浅羽は様々なことを考えた。
「前者はぼくに頼みごとをするとき。そして後者はぼくの質問をはぐらかしたり、事実を隠すときに利用していた。けど、それでもうそだけはついていなかったと思う。ぼくを利用するだけならもっとマシなうそはいくらでもあったはずなんだ。それに――」
憎むだけの日々を捨て、理解をするために考えに考え抜いた。伊里野のこと、椎名真由美のこと、そして榎本のことを。
「考えて、気づいたんです。一介の中学生に発信機を埋め込むようなことをするほど徹底した監視体制を準備するような連中が、外部の人間との接触に対して何も対策をしないはずがないんじゃないかって。話を聞く側だけじゃなくて、話す側にも何か対策をしてるのが普通だ」
自分に虫をつけたように、
「あなたにも――」
「浅羽」
榎本が動いた。右手を上げ、顔の前に人差し指だけを立たせている。
――しゃべるな。
「50点って所だな。もう戦争は終わったんだ。何をそんな警戒する必要があるんだよ?」
殊更明るい声で榎本はしゃべり続ける。
しかしその表情は笑顔などひとかけらもなかった。
――気づいてないふりをしろ。
そういう意味だと思った。浅羽は無言で頷く。
榎本は表情を崩さないまま頷き、関係のないことを話し続けた。
ビンゴだった。
榎本は今までずっと、あるいは今だけかもしれないが、監視されている。
それも浅羽のように位置情報を監視されているだけではない。黙れということは会話内容も盗聴されているはずだ。
恐らく、今まで浅羽に打ち明けてきた真実も軍機に触れても問題がないように対策を練ってから話していたかあるいはそれを知ったからといって今後の作戦に影響が出ない事柄だけだったのかもしれない。
「というわけで軍からの情報規制は進行中の計画のみだ。過去の任務内容はお前になら話してもいい許可は得てる。ああ、でも戦争のことだけはタブーな。現在の任務に密接に関わっちまう。けどある程度のことだったら答えてやるよ」
どこまでがセーフなのか判断できない。
進行中の計画というのなら、現状の説明はなしということだ。なぜ榎本がここに来たのか、なぜこの場所にいることがわかったのか。ここの位置や時間を知った方法については一つの可能性はあるが、そんなことよりも最大の疑問である伊里野は今どこにいるのか、という質問にも恐らく答えてはくれないのだろう。知りたいことの大部分が今の牽制で霧散してしまった。それなら――。
「じゃあ、1つだけ」
持っていたことも忘れていた銃を榎本に投げ返しながら質問を投げかける。

「どうして、伊里野をボウリング場で殴ったんですか」
榎本は銃を受け取ろうともしなかった。
ずっと抱いていた疑問だった。
榎本のことを始めは怪しいと思った。けれど交流を重ねるうちに、いつしか信頼するようになった。それは伊里野を心配する態度や言葉が偽物だとは思えなかったからだ。伊里野本人がどう思っていたかはわからないが、浅羽は榎本のことが嫌いではなかったし、伊里野の傍にいるべきなのはこういう人であるべきなのではと思ったほどだ。事情を知り、伊里野の体調のことも知り尽くし、伊里野を大切に思う存在。
椎名真由美も、榎本も、少なくとも浅羽にはそう見えていたのだ。
あの日、クラスメイトと行ったボウリング場で榎本が伊里野を殴りつけるまでは。

敵なんだと思った。
どんな理由があろうと伊里野を傷つける理由にはならないと思った。
だから椎名にも怒りが爆発したのだと今ならわかる。
最終的には伊里野を生かしているのも、エイリアンと戦わせるためで、自分達が生き延びるためだけに伊里野を守っていたのだと思った。
その想いは冬休みの最初の日まで燃料切れにならずに持続し、怒りや呪いとなって時々浅羽の心を支配していた。
けれど、椎名真由美からの手紙を読んで思ったのだ。
榎本は、「自分が心の奥底で信頼していた榎本」は自分のことだけを考えて、生き延びるためだけに伊里野を戦わせていたのではないのだと。 だから、聞きたかった。
榎本への信頼が瓦解したあの日、ボウリング場で伊里野を殴った理由が知りたかった。

「ガキは……」
長い沈黙があって、榎本は苦虫を噛み潰したような表情で地面をにらみつけた。
「ガキは自分のことだけ考えてりゃいいんだ……」
浅羽も眉をひそめた。
「それって――」
榎本は浅羽の疑問を待たなかった。
「あいつにとっちゃ浅羽以外の奴らとボウリングなんて状況だけ聞いても舞い上がってたのはわかる。ツレも大事だし、任務なんて忘れて遊んでもいいとおれは思ってる。そのために調整役のおれがいるし、大体のことはなんとかしてやるさ」
けどよ――。
「あいつは午後の連絡をしなかった。ただ連絡だけすりゃよかったんだよ」
どういうことだ。
いつもの連絡とはただの電話のことだろう。確かにあの時榎本が伊里野に向かって投げた叱責は「なぜ電話をしなかったか」だ。だが電話一本なかっただけで伊里野を殴る理由になるだろうか。
「お前、伊里野からグレーのカードを盗んでJSTARSに電話したことがあったな。普通じゃなかっただろ?」
過去の犯罪を追及される被告人の気分だった。事実その通りだったのだが、罪はその後のシェルター事件で相殺されたのだと勝手に思っていた。
「あの電話はただの電話じゃもちろんない。進行中の哨戒任務の状況共有と同時に伊里野の生体パルスも調べてたんだ。平たく言やぁ午前と午後の二回、あるいは伊里野の自己判断で連絡させて健康状態を報告させてたんだ。あいつの金属球は電気信号を潜在的にも能動的にも加減できる。人間の脳から電気信号が出てるのは知ってるな。あれを受話器を通じて園原基地の発令所に飛ばして四課が分析して医療班が伊里野の健康状態を維持する薬を作ってたんだ」
あの日の事実が少しずつ形作られていく。
「テレカやコインが頻繁に飲み込まれたりしてたはずだ。伊里野の電気信号は強烈だし、特殊な加工が公衆電話側にされてたわけでもないからな。そうやって伊里野に電話させて分析結果次第では校内放送で呼び戻してた。まぁ、警戒レベルが上がって伊里野に待機命令が出て暗号使っての呼び出しのほうが圧倒的に多かったが」
田中や鈴木や佐藤の名前で警戒レベルを表していたということだろうか。
「あいつはあの日、午後の連絡をしなかった。伊里野は平常時から危機的状況に体調が変化するなんてざらにあることだ。お前も何度か見たはずだ」
「だからって――」
「あの日は明らかな前兆があった。午前の検査の結果でもギリギリの通常運転さ。いつオーバーヒートしてもおかしくない状況で、午後の検査次第では医療用の器具積んだバン2台で迎えに行く準備までしてた。けどあいつは午後の連絡をせず、どこにいったかもわからない状況を作りやがった。結果はお前らが次の日見た通りだ。髪の毛と神経と血管と目に異常が出た」
伊里野の髪が真っ白になった日のことを思い出す。伊里野は何事もなかったかのように現れ、そして校内放送で呼び出された。無理をして登校して、検査結果が悪くて早退したということか。
何も知らなかったし、気づいてもなかった。
榎本に殴られたショックか、それとも軍規違反で拷問にでもあって髪の毛が白くなったのかと思っていた。
「自分の体がどれだけやばい状態か伊里野自身にも自覚はあったはずだ。早く帰らないといけないと思っていたとも思うさ。けど、あいつにとっては「みんなとボウリングする」ことのほうが大事だったんだ。いつ死ぬかもわからない中で、孤独に死ぬことよりも確かに魅力的だったんだろうよ。あいつがあの雰囲気出してるおれに歯向かったのはあれが最初で最後だ。もしかしたら、友達を突き飛ばしたせいかもしれん」
恐らく榎本の言う通りだ。伊里野は晶穂が突き飛ばされて痛そうな尻餅をついたのを見て反抗したように見えた。
「皮肉っていうのはこういうもんだと思ったよ。こっちは部隊上げて伊里野を捜索して助けようとしてたのに、なにもできない友達を庇って死ぬことを選ばれるんだからな。自分がどれだけ気にされてるかも知らないで、と思った時にはもう体が動いてた」
浅羽は何も言うことができない。
責任を追及したり罵倒したりするのは違うと思った。
榎本は崩れるように座り、うなだれる。
「おれは――あの時、一番あいつの体調を理解していた。どういう気持ちでいたのかもわかる。だがおれはあいつを連れ帰った。結局は伊里野を、最後の戦いに向かわせることしか頭になかった――」
「違う」
違う、と浅羽は唐突に思った。
確かに伊里野は最後の戦いに向かった。それは榎本の思惑通りだったのかもれしれない。10月26日に子犬作戦を完遂した。けれど、あの時伊里野を殴ってまで連れ帰ったのは、作戦とか、戦争とか、エイリアンとか、そんなことは関係なく、
「伊里野に生きていてほしい。多分、それだけだったんじゃないかな」
榎本の体が不自然に揺れた。顔を上げた榎本の表情は酷く弱く見えた。そしてそんな顔を隠すようにうつむき反論する。
「お前に、お前に何がわかる」
それは榎本が見せる精一杯の強がりだったのだろう。
言葉に力はまったく感じられなかった。
「わかる…とは言わないけどさ。なんとなく思っちゃったんだ。一緒だ、って」
最後の道の果てに、伊里野と見た海。記憶の退行の中で伊里野の言葉を聞いた。その言葉を聞いて思ったのだ。

――伊里野に、一秒でも永く生きていてほしかった――

「一緒、だったんだ。自分の力じゃ世界を守ることができなくて、世界を守るためには伊里野を戦わせなくちゃいけなくて。その選択しかできない自分に腹が立って。だから責任を取るためにタイコンデロガでも、さっきもあんなことをしたんでしょ」
榎本は答えない。
身体から、張り詰めていた空気が消えていく。
椎名真由美と同じように、その沈黙こそが答えであり、榎本もまた、苦しんでいたのだ。
椎名の言葉が浮かび上がる。
――代われるもんならとっくに代わってる。
かつての自分は榎本を恨んだ。
伊里野を戦争に向かわせ、苦しめたのは榎本だ。
だが、榎本がいなければ、
「あなたがいなかったら、ぼくと伊里野は会えなかった。伊里野と会わなかったら、確かに平和だったのかもしれない。戦争のことなんて何も知らないで、世界がどんなに危険な状況だったか知らないで生きてれば、苦しむことも無かったかもしれない」
「そっちのほうが良かったんじゃないのか……」
「そんなことない。確かに、伊里野と出会ってからは辛いことも多かった。でも、それでも伊里野と過ごしたあの夏は、かけがえのないものだったんだ。今まで感じてきた全ての喜びに勝るぐらい、伊里野と過ごした一日一日は幸せだったんだ。伊里野を苦しめていたのはあなただけじゃない。ぼくもそうだ。伊里野が記憶を失うぐらい、酷いことを言った。もしあなたが伊里野を苦しめた理由で殺されるんなら、ぼくだってそうだ」
 伊里野も辛かったかもしれない。自分というちっぽけな存在に触れてしまったせいで、髪も白くなったし、血を吐くことにもなった。酷いことを言われて記憶を無くすこともなかっただろう。
でも、最後に見せたあの笑顔は。
そんなことは微塵も考えてはいなかったと思う。ちっぽけな自分が伊里野に何かしてあげられたとは、到底思えないけれど、その何かが伊里野には嬉しかったのだと信じたい。
そして榎本がいたから、ぼく達は出会えたのだと信じている。
「伊里野は、誰も恨んでなんかいないと思う。それに、ぼくはあなたのことが今でも嫌いじゃないんだ」
榎本の頭がさらに沈みこむ。
そのタイミングに合わせるように、突風が斜面を登って浅羽に直撃した。風に乗って飛んできた小さなゴミが浅羽の左目に進入する。
「うわっ」
思わずうつむいて、左手でこする。
異物を流し出そうと溢れる涙で視界が霞む。
そして浅羽は濡れた視界の隅で確かに見た。

太陽の照り返しを受けて虹色に光るものが、榎本の頬を流れてゆくのを。


  • TOPへ
  • 号外の十三へ


  • 作品を面白いと感じられたら感想お待ちしております。拍手だけでも頂けたらとても励みになります。