カウンター

対処


清水仏壇店全体を揺らがしていた振動がようやく止まる。

店外には外壁以外何も変化はないが、その内部は先ほどまでの様相とは完全に変わっていた。
警戒レベルの最高ランク、別称「封鎖」の形態を取った仏壇店は侵入者への対策として様々な変化を及ぼす。
店舗スペースに大きな変化はなくとも、従業員スペースは床下から隔壁がせりあがってきて通路を複雑化する。 さらに主要部へのルートは隠し扉をいくつも潜り抜けなければならず、隠し扉を開閉する操作コンソールは規定の場所の壁にある凹凸のない2cm四方のスイッチを押し込まなければ姿を現しすらしない。
2日は優に戦える弾薬や武器が格納されている非常戦闘用の武器庫が開放される。
そして中田たちが居た、ただコンピュータが並ぶだけだったモニタールームは非常時での作戦行動指揮を執ることもできる戦艦のブリッジを連想させる管制室へと変貌する。
管制室の最奥部で、中田はコンピュータを操作しながら上官の柿崎に状況を報告していた。
「町田を乗せたタクシーは現在も北上を続けています」
――秋元は追いつけそうか。
中田の傍に置かれた無線機から、柿崎の少し落ち着きを失った声が僅かな機械音に阻害されながらも返事がくる。
「はい。次の信号で追いつけるかと。柿崎さんは今どこに?」
――図書館付近だ。秋元に追いつくまであと3分はかかる。
「了解です」
――水前寺が乗っているか確認は取れたか?
無線から送られてくる柿崎の声からはいつも冷静な無頼漢然とした雰囲気とは異なり、緊張感を隠しきれていない。
「いえ、スモークが濃くてタクシーの窓からは確認できなかったそうです」
――わかった。座標を送れ。俺も現場へ向かう。本部から応援はどれぐらいで着く?
一瞬の間。
「例の派遣で空いた人員がいないそうです。まだ当分は難しいでしょう」
――催促しろ。手遅れになる可能性を十分に伝えるんだ。切るぞ。
中田は無線が切断されたのを確認すると、目の前のキーボードの上に無線をガシャンと投げ捨てた。
「いいんですか? 上に催促しなくて」
吉岡がキーボードをカタカタと操作しながら横目で中田の顔色を伺ってくる。
「ほっとこう。どうせ応援なんて事態がもっと切迫しないと送られてなんか来やしないからさ」
「しかし――」
「タクシーの位置は補足できたんでしょ? 店も完全に閉鎖したんだし。水前寺があのタクシーに乗ってようが乗ってまいがこっちには関係ないよ」
吉岡はまだ何か言いたそうだったが、中田の投げやりな態度のとばっちりが来ることを警戒してか、押し黙って作業を再開する。
「なんか言いたげだねぇ」
「いえ、そんなことは」
「……、はっきり言わないなら吐かしてあげようか?」
「い、いえ! 本当になんにも思ってません」
「……そか。ごめんごめん、驚かせちゃったよね」
中田は表情が崩れるのをなんとか左手で覆い隠す。
「――っ」
背中がじわりと痛む。
先ほど水前寺に投げ飛ばされたときに仏壇に激突した部分だ。
硬質の木材が背骨の中ほどを強打した痛みは、中田の肉体よりもむしろ精神を痛めつけていた。
背筋をゆっくりと擦りながら、腹の中では暗い炎がくすぶっている。水前寺は絶対に始末する。店に顔を出した時は無様な姿を晒すだけで許してやろうと考えていたが、最早それだけでは収まりがつきそうにない。
拉致してレールガンレールの上にでも置いておけば後は勝手にレールガンが処理してくれる。責任を追及されたとしてもなんとか誤魔化せるだろう。
だが、そのためにはなんとしてもあいつには他の人間に捕まってもらっては困る。
「中田さん? あの、ぼくが上に連絡しましょうか?」
「少し黙ってて」
ギラリと鋭くにらみつけ、中田は吉岡を黙らせる。
連絡などされては困る。 
本部の応援が来るのに時間がかかるなどという先ほどの報告は嘘だ。
中田は本部へ連絡など一切していない。
万が一精鋭部隊が派遣でもされて、水前寺が捕まってしまっては復讐の機会も手柄も持っていかれてしまう。特にあの適合部隊の連中にこれ以上失態を見せるわけにはいかなかった。
ザアッっと無線機が音を立てる。
中田は吉岡に先んじて無線機を手に取る。
――こちら秋元。管制室、応答されたし。
「こちら管制室中田。奴らを捕獲できたかい?」
――いえ、運転手だけでした。運転手が言うには乗っていたのは町田だけのようです。金を積まれて指定の場所まで運んだだけだと。
「場所ってのはどこ?」
――高津のコインパーキングです。
「コインパーキングか。確か水前寺が昼間に1台車をレンタルしてるんだったよね」
――はい。恐らくそれに乗り換えたんでしょう。運転手の処理はどうしますか?
「いつも通り処理で。量をミスんないようにね」
――了解です。
通信機のスイッチを切ってしばし中田は思案にふける。
水前寺が乗っていなかった。
ということは今レンタカーで逃走を続けているのは町田1人ということになる。
では水前寺は今どこにいるのか。
別行動を取ったのはあのタクシーに乗り込む直前。店から飛び出した後ということになる。
「中田さん、まずいですよ。検索かけたら水前寺のレンタカーが高速の料金所をくぐったって履歴が」
「上への報告は俺がするよ。店の外に気を配っててくれるかい。水前寺がまだここらに潜んでるんだとしたら確実にここを襲う気だと思うから。あと、レンタカーが高速を下りたら報告して」
ごくり、と吉岡の喉がなり、多少上ずった声ではいと返事がくる。
中田は少しだけ愉快な気分になる。所詮はオペレーターの経験しかない未熟な男だ。隣で作業に戻る吉岡の額に流れる汗を見て嘲るような笑みを浮かべる。

無線機を手に取り、中田は席を立つ。吉岡に声を掛け、管制室から出て短い廊下の角を2つ曲がる。
壁に隠されたスイッチを押してコンソールが出現し、手早くパスカードをスリットに通す。
通過する度に必要になるのがネックだが、封鎖状況ならこれぐらいしないと敵の侵入対策としては甘すぎることも考えると、これぐらいは必要な手間だった。
入力を終えると、今まで壁にしか見えなかった部分に亀裂が走りそこから両開きに音もなく扉が開かれる。
迷路のように入り組んだ通路を迷うことなく歩を進める。
そして目当ての部屋にたどり着く。
パスカードを通してコード入力後、指紋を認証。空気が漏れる音がして断絶されていた扉をくぐる。
武器庫は暗闇に覆われていたが、中田が足を踏み入れると同時にライトが点灯し、会議室程度の広さの隅々を照らした。
中田は背後を一度だけ振り返り、武器庫の奥へ歩を進める。
所狭しと置かれた棚や、壁に掛けられてた銃器の数は容易に数えられるようなものではない。
スナイパーライフルやアンチマテリアルライフルやサブマシンガンやグレネードや地雷や火炎放射器、防護シールドや量産型ヴァーサタイルフレームや医療キットまである。
だが、中田の目的は別にあった。
権限コードが必要なトランクにパスカードを通し、素早くキーを入力する。トランクの中から姿を見せたのは4本の薬剤がセットされた至近距離専用の注射型の銃だ。
トリガーを引くだけでガス圧で中の薬剤が注入される。
「くく……」
薄い笑みをこぼした中田は無線のスイッチを入れる。相手はすぐに応答した。
――こちら柿崎。進展はあったか。
「こちら管制室。水前寺と町田はタクシーを降りて水前寺が昼間借りたレンタカーで逃走中。高速を東条方面へ向けて進んでいます。秋元はタクシーの運転手を処理中、高速の出口は吉岡がモニターで確認しています」
――わかった。確認するが水前寺は町田と行動を共にしていたんだな?
内心で1つ舌打ちが出るが、それを中田は口には出さない。
「はい」
――了解だ。店の警備に集中しろ。秋元と2人で奴らを追う。
「秋元に指示出しときますね」
――いや、いい。秋元には俺から指示する。
文句をはさむ間もなくぶつん、と無線が切れる。同時に中田は今度こそ舌打ちを隠さなかった。
さすがは上官だけはある。自分の些細な違和感に気づいたのか。秋元に水前寺が町田と行動を共にしていたか確認されれば中田の嘘はすぐに露見する。だが、それでもいい。
中田の読みが正しければ、水前寺は確実に……、
そのとき沈黙を保っていた無線機が再起動し、
――中田さん、こっちに来てください!
吉岡の狼狽した大声が武器庫の黒光りする兵器の中に吸い込まれた。
「来たな……」
中田は注射銃を懐のホルスターにしまいこみ、武器庫を素早く後にする。

管制室のドアを強く開け放つ。
部屋は先ほどよりも照明の明度が落とされ、壁には光学モニターが監視状況をいくつも投射していた。
壁に投射されたモニターの数は全部で50。
清水仏壇店のすべての警備システムがその1つ1つに表示されている。
だが、50あるモニターのうちの大半がビンゴで穴が空けられたように不自然に光を失っている。
「状況は?」
「音波と赤外線が全部やられました! 熱感知器も2つ、ああ! また1つやられましたっ」
「やるな」
中田は内心の昂ぶりを一時押さえ込むために冷静に水前寺の侵入手段を分析していた。
「ああもうっ」
狼狽しながらもなんとか水前寺の姿を補足しようと躍起になる吉岡だが、映像関係は真っ先に潰したのだろう。水前寺の姿を映像で捉えることはどうやってもできない。だが中田は水前寺の攻撃方法に大方の予想はついている。
「隣のビルの屋上。サーモグラフィーのまだ生きてるやつ向けて」
「! ……はいっ」
吉岡は中田の指示通り7つあった熱感知機のうち、破壊されていない1つを操作して隣のビルの屋上に向ける。
隣のビルの屋上に熱源が1つだけあることを画面上で報告した直後、熱感知機は破壊された。
「くく……」
水前寺はよく下調べをしているらしい。
この周囲の警備システムの穴としては隣のビルの屋上からの破壊活動が最も有効かつ効率的だ。
「それぐらいはやってくれないとね」
思わず漏れた中田の声に、吉岡は驚愕したような声を上げる。
「何言ってるんですか!? このままじゃ全部落とされます! 本部に要請を……」
吉岡は焦ったように隣のデスクに置いていた非常回線の電話の子機に右手を伸ばした。しかし、その子機を僅かに持ち上げた所で、
「ぐっ!?」
突如苦悶の声を上げて、左手を後頭部に回す。
そこには中田の右手に握られた注射銃があり、その先端から伸びる太い針が深々と吉岡の首に突き刺さっていた。
「――え?」
ようやく吉岡は違和感の正体に気づいたようだった。その表情が驚愕から恐怖に変遷する様を中田はじっくりと眺めた。
「あ……ああっ!?」
「ようやく気づいた?」
中田は口角を僅かに上げて、吉岡に突きつけた注射銃のトリガーをもてあそぶ。
「は、離し……!」
吉岡が苦悶の声を上げつつ抵抗を試みようとした直後、ぷしゅっ、という軽い空気音がした。
たったそれだけで吉岡の薄い皮膜を貫いていた針を通じて、銃の薬品管から緑色の液体が流し込まれていく。
言葉を上げることもできずに抵抗する吉岡を、中田は愉悦を感じながら押さえつけた。次第に抵抗の力が弱まり、30秒が経つ頃にはまったく動かなくなった。
「ちっ」
興味を失ったかのように中田はそうはき捨てると注射銃を手前に引く。太くとがった先端から吉岡の血がぬるりと零れ落ちた。
床に垂れそうになるその雫を中田は口に運んで嚥下する。
「――――はぁ」
儀式めいたその行いで感情の昂ぶりは収まった。
思い出したかのように、壁に視線を送る。壁一面に表示されるはずのモニターの数はもう両手で数えられるほどにその数を減らしていた。
中田は目の前でデスクに突っ伏すように痙攣している吉岡を横から蹴り飛ばす。
盛大な音を立てて吉岡は地面に倒れこみ、口元から泡を吹いて虚ろな目を天井に向けて不規則に動かしている。
注射銃をしまいこみ、背中の痛みに耐えつつ倒れている吉岡の足を掴む。
ズルズルと重い吉岡の体を引きずりながら中田は管制室を出た。

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