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地図


壁掛け式の時計がPM9:00を回ったことを知らせてくれる。

「そう時間はない……な」
水前寺は時計から目を外し、ホワイトボードを見た。
そこには天童のおじいが残してくれた古地図が貼り付けられていて、いくつかの箇所に付箋でチェックが為されている。数は38枚。 現在の地図との差異があり、怪しいと目をつけたそれら全部をチェックするような余裕は今はない。 浅羽君との約束まで時間は30分もない上に、移動時間を考えるとそう長くは作業を続けることはできそうになかった。
水前寺はどっかと机の前に座り込み、改めてメモを見た。
レールガン。
シャッフル。
ランディングポイント。
ブルズアイ方位270。
0.5NM。
美影。
それぞれが何を意味しているか、水前寺は1つを除いてある程度把握している。実際に合致しているかどうかは検証と、確認が必要だったが足がかりとしては十分だ。
当面の目標はランディングポイントだ。
確か何かの用語で「着陸地点」を指す言葉だったはずだ。 そしてそこに至るまでの道のりを示すのが『ブルズアイ方位270』『0.5NM』『美影』の3つのキーワード。 まずはランディングポイントにたどり着くために「美影」を特定する必要がある。

水前寺はコンビニで買ってきた園原市の広域マップ4セットすべてを机の上に広げた。地図は何枚かの縮尺ごとに分かれていて、水前寺はそのうち建物や施設の名前がわかる1/1500のものを取り出した。
ページを跨がなければならない箇所は複数あるマップを繋げて補い、必要な箇所を切り取って不要な地図は切った端から投げ捨てていく。壁にぶち当たって地面に落下したマップの端にはこう記述されている。
「園原市広域マップ6-3P政枝区~美影区」
1/1500の縮尺の地図が何枚も端と端を繋げられ、巨大な一枚の美影区マップになる。それを水前寺はホワイトボードに貼り付けた。貼り付けられた地図の前で水前寺はあごに手を添えてしばしうなる。
――「美影」はこの中にある。
記憶の中にある実際に現地を見たときの記憶を呼び起こし、先ほど付箋をつけた古地図との相違点を探る。
最新の地図には歪曲された部分がある。
以前にもこの歪曲部分を衝く事で園原基地の潜入に成功した。今回もその虚偽を見破るために必要となるのがこの古地図だ。美影区は殿山と鷹座山とに隣接した地域であり、殿山付近の稜線や谷や川や道を辿っていけばそこは美影区と繋がる。古地図は園原市の中心地までは届かずとも、美影区の地理情報の7割を網羅している。
後は自分の手足で現地を確認し、昔から変わらない部分と、変わった部分を調査すれば防諜戦略上の変更点が見えてくるのだ。園原基地から解放されてから今日までの間に行った「調査」が早速役に立つ時が来た。
現に70年前にあった川を下流に向けて辿っていくと、古地図にはあって現地を歩けば確かに存在し海まで繋がっているのに、最新の地図では他の河川に合流することで意図的に存在を消されている川がある。
川の中流付近には工場が建設されている。何を作っているのかまでは確認できなかったが、恐らく兵器開発や薬品の生産工場であり、川はその工業廃棄物を流すのに使われているのだろう。つまり下流からボートを使って辿れば生産工場に攻撃を加えることも占領することも可能だ。戦争ともなれば生産工場を抑えることは補給を断つ意味でも重要な戦略となりうる。それを防ぐための策なのだろう。
脳内マップと最新のマップの比較が終了する。
おもむろに水前寺は顔を上げて放り出していた赤のマジックで地図に丸をつけだした。
その数はどんどん増えていき、数が7を超えたところで水前寺は手を止めた。
水前寺が丸をつけた部分は公園であったり、名前が表記されていない建物だったり、ただの道だったり、駐車場だったりした。しかし水前寺にはその地図に表記されているものは額面通りの物ではないことを知っている。
そのまま赤マジックで丸の上にどんどん書き込んでいく。
「美影衛星管理施設」
「陸上自衛軍美影駐屯所」
「美影航空監視センター」
「自衛軍美影発令所」
「米空軍監査詰所美影支部」
「海上自衛軍物資管理倉庫美影港」
「園原基地美影工業棟」
最新の地図には載っていないが実在する軍が関与する施設だった。
美影の周辺で地図から除外されている軍が関わる施設はこれだけだ。一般の店舗や建物にカモフラージュしている施設も絶対にあるとは思うが、防諜上の対策がなされている軍事施設。今回はそこにターゲットを絞る。

この7つからブルズアイ方位270。距離0.5NM。
つまり7つの候補の軍事施設のどれかから地図上で270度の方角に0.5NM分進んだ先に目標はある。 ホワイトボードから地図を剥がして机の上に敷く。書き込まれた赤丸の1つにピンを刺し、ゴムひもをくくりつける。そのピンに重なるように方位磁石を載せた。
水前寺が剥がした地図にある施設は「海上自衛軍物資管理倉庫美影港」だ。
園原基地の敷地には海に面した部分があるため海路を使ったのではないかという推測があり、その近辺には海上自衛軍が足を踏み入れる輩を1度の短い口頭確認だけで迎撃する防衛体制がある。守備が厳重すぎることで話題になっているからこそ、ここが怪しいと踏んだのだ。
方位磁石で「美影港」から270度の方角にゴムひもを伸ばす。
距離は0.5NM。1ノーチカマイルは確か1852mだ。900mとちょっと。かなり近い。定規で正確な距離を測り、そこにもピンを刺してゴムひもを巻きつける。
ピンが指す場所を指をのけて見てみると、眉が自然と寄った。
ゴムひもが指した仮想ランディングポイントは、「長尾旅館」と書かれた建物だ。
陸地に囲まれたその建物は海にはまるで面しておらず、水前寺の予想していたような施設ではなかった。
さらに言えば、園原市に流れるこの長尾旅館の評価である。
その名を園原市の人間が聞けば、口を揃えて言うだろう。
「ああ、あのホラー老舗旅館?」
一言で長尾旅館を連想させるとしたらそれがすべてであり、一言で長尾旅館を表現するとしたら「古すぎて崩れないのが不思議な旅館」となる。
暴露戦争よりもその歴史は古いというのだから想像に難くない歴史の長さなのだが、驚くのはその長い時間の間に一度も改装していないという点にある。もちろん外壁の塗り替えや屋根瓦の張替えなどは行っているのだが、中身は創業当時のまま一度も手を加えていないらしい。それも客引き戦略と言いようはあるが、実際に利用した客は必ずあれはデマじゃないと口を揃え、最近では一種のホラー体験として利用する客も多いと聞く。
水前寺がもしレールガンのランディングポイントを決める立場になったとしても、ここは選ばない。
まず耐久性が圧倒的に不足している。ランディングポイントたる設備を作るだけでもかなりの改修工事が必要であるし、軍との密約を結んでいるのなら、むしろ満ち溢れる金で老朽の影など見えなくなるはずである。 それにあの100に近い齢であるにも関わらず大女将を断固として譲らない長尾あずみ老を説得して旅館に手を加えるなどまず誰にも不可能だろう。 ここは求める場所ではなかった。
赤丸で囲まれた「海上自衛軍物資管理倉庫美影港」に赤でバツをつける。
しかしこの行程は決して無駄ではなかった。
海路をイメージしていた水前寺だが、何も道は海だけではない。
地下だ。
人目につかないという意味でも範囲という概念で見るにしろ、地下という存在は非常に利便性が高い。
園原市は園原基地からの金を受け取りだしてから町中で工事が頻繁に行われている。
万が一地下トンネルのようなものを建設する必要があったとしても、その温床は十分に整っていたのだ。いや、むしろそのために園原基地は園原市に金を落としているのではないだろうか。

水前寺は思考の矛先をレールガンに変更することで再度情報整理を行った。
――レールガン。
初めは米空軍が実戦投入して久しい電磁投射砲とか電磁加速砲とか呼ばれる兵器を連想した。
しかし兵器としてその呼称が使われているわけではないことが伊里野と椎名の会話を思い起こせばわかる。
『4次が発令されたから授業が終わり次第レールガンを使えって』
伊里野は確かにそういった。
どこの世界に授業の終わりを待って発射する兵器があるというのか。伊里野の『4次』という言葉は恐らくDEFCONのことだろう。防衛体制が第5次待機から第4次待機に上昇したことを意味しているはずだ。確か4次は全パイロットや整備員の招集も含まれていたはずで、それに伊里野が該当していたということになる。
あの言葉で伊里野加奈という人間の素性が少しだけ想像から具体的な形を為した。
やはり兼ねてから考えていた通り、伊里野加奈は普通の学生などではなく軍人なのだろう。
それも特殊な任務を任されるような立場にある、もしくは彼女にしか整備できない兵器があるという立場にあるのだろう。だから事あるごとに園原基地からの招集がかかり彼女は早退する。
定期的に電話をかけていたのも任務に携わるような情報を聞いていたに違いない。
その伊里野はどういう理由があるのかはわからないが普通の中学生として登校している。そこにレールガンとは何かのヒントがあった。普通の中学生は当然ながら登校する。そして、
『授業が終わり次第下校する』
普通なら歩くか、自転車か、バスか、あるいは親の車を使って下校する。
そして伊里野の場合は、
『授業が終わり次第レールガンを使う』のだ。
名称から超高速でものを飛ばすものであることがわかる。そしてこの場合、飛ばすものとは実弾でも陽電子イオンでもなく人だ。つまり、水前寺の想像するレールガンとは超高速で移動する輸送機のようなものではないか。
それを使うことで迅速に基地に帰ることができるのではないか。
この発想を得ると同時にランディングポイントもこの想像を裏付けることになった。
「着陸地点」があるのなら「発射地点」があり、発射されたものは着陸するまで「移動」するのだ。
そしてその移動経路には園原基地も含まれている可能性が十分にある。
殿山の防空壕の入り口をどこも塞がれたことを知った今となっては、それが園原基地へと侵入する唯一の方法だった。

ふんと鼻息を盛大に吹き出す。
水前寺は立ち上がって次の地図に目を向ける。
地下トンネルのようなものがあると仮定すれば、ランディングポイントには必ず地下への入り口があるということになる。だがマンホールのような人の目が触れるところでは絶対にない。奴らの秘匿性の高さを考慮すると、それは必ず何かしらの施設の中にあり、特殊な方法でしか入ることができない場所にあるのだろう。
水前寺は自分の思考が正解を手繰り寄せているのを心のどこかで実感していた。
残りの候補は6つ。
たった6つだ。
調査を再開する。
時には田んぼ、時には道路のど真ん中、住宅にたどり着いたかと思えばそれは園原中学の理科教師の自宅だったりし、その都度脱力感は募るが、「自衛軍美影発令所」から270度、0.5NMにゴムひもを伸ばした時にそんなものはすべて吹き飛んだ。

水前寺は2つの悲鳴をあげた。
まず1つ目はゴムひもの先が示す場所が自分にとって懐かしい場所であったことと、妙に合点がいった喜びの悲鳴。そしてもう1つは全身で喜びを表現しながら立ち上がったときに見えた時計が9時30分を既に過ぎていることを水前寺に訴えていることに気づいた驚愕の悲鳴だ。
脳裏に浅羽くんの腐った魚を見るような目つきが浮かぶ。
目下水前寺は浅羽夕子に大任を投げつけた身である。当然ながらその水前寺の立場たるやカースト制も真っ青なほどの最下層民であり、加えてことの重要性をかんがみて、悲壮に満ち溢れた、動揺と困惑を全身から吐露するような呟きをこぼした。

「どうしよう……」


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