花村祐二~断髪に散る~
耳に届く騒音で目が覚めた。 花村祐二は意識を取り戻すと同時に聞き捨てならない声を聞く。 「あ~、起きちゃったか」 根拠はない。だが耳に入ってきたその言葉は朦朧としていた意識を鮮明に浮かび上がらせるほどの恐怖心を五感に訴えかけてきた。 目の前に飛び込んできたのはまるで今からライブを始めるかのような人間の群れだった。冷静になって周囲を見回すと、飛び上がっている人間や肩車をしている人間も1人や2人ではない。黙って見守るというような貞淑なる雰囲気は一切見受けられない。 「な……んなんだ?」 今自分が居るのはさっきまで見ていた宣伝会場のステージの上に他ならない。なぜそんな場所にいるのか、それは観客席にいる西久保正則と島村清美の――2人並んでそっくりの、かわいそうなものを見るような――笑顔で思い出した。 「あいつらっ!」 一発世直しビンタでも食らわしてやろうと花村は全身に力を込めた。しかし椅子に座らされていた自分の体を持ち上げることができない。両手と、両足に強い反発を覚えて、花村は視線を下ろす。予想していなかった事態が目に飛び込んできて、思わず昭和の時代に流行ったような陳腐な台詞を叫んでしまう。 「な、な、なんじゃこりゃぁああああああああ!!」 両手両足が皮製のベルトで拘束されていた。しかも手首足首だけでなく、上腕部や腿までいくつものベルトで拘束されていて、自由に動かすことができるのは首から上だけであった。目を白黒させながら周囲を見回す。自分が居るのはどうやら宣伝会場の中央よりやや北寄りの場所であり、ちょうど自分と反対側には同じ椅子に座らされた水前寺邦博の姿があった。彼と自分の唯一の違いは拘束されているか否かだ。水前寺は同じように椅子に座っているものの、目を瞑り、微かな笑みを浮かべたまま腕を組んで悠然と深く腰掛けている。 「大丈夫?」 右後方から声がして、花村は振り返った。そこには浅羽直之の姿がある。先ほど聞いた声は浅羽のものだったのだ。反射的に逆方向に首を向けると伊里野加奈の姿もあった。 「どういうことだよこれっ! 浅羽っ! とりあえずこれ解けよ!」 ぎしぎしと音が鳴るのは花村を拘束する革ベルトだけでなく、彼の口から発せられる歯軋りの音でもある。 悲哀と驚愕に満ちた花村の叫びを聞いた浅羽は、とても悲しげな表情で、 「大丈夫、動かなければなんとかなるから」 と優しく花村に耳打ちする。 腹の底で冷気を感じる。 「な、何する気だ……お前ら、――やめろ! 離せーーーっ!」 花村の叫びは最もである。だがその花村の悲鳴を聞いても観客は嘲笑を見せるだけであり、解放してくれる気配など微塵も感じない。映画やドラマでよくあるシーンだ。哀れな被害者が拘束され、解放してくれと懇願するのに聴衆は見ているだけで何もしてくれない。かつての自分もまさに同じだった。「解放しちゃったらストーリー台無しじゃん」とつっこみまで入れていた。明日はわが身とは余りにも的確に自分の状況を表した言葉だった。 壇上では例の司会者アントニオが両手を叩いて会場内の注目を集める。手榴弾を片手に大声を張り上げる最中に花村の悲鳴が混じる。 「エー、チャレンジャーもそろったところでルールの説明を開始しまース!」 『――いいからほどけーっ!』 「今回の宣伝としては、ヘヤーカットがメインですが、どうやら浅羽ファミリーの技術は単なるカットには収まらないそうデース」 『――普通に切れーっ!』 「4人のバーバーとヘヤードレッサーが勝負には皆さんのアシストが必要デス! 彼らのカットを見て、会場の皆さんにはそれぞれ渡されたスイッチで得点をつけてもらい、そのトータルポイントで勝負を決するトいうことデスねーっ! さぁエブリワン! 手元にスイッチありますかーっ!?」 『――全員今すぐ帰れーっ!』 アントニオの叫びに会場の全員が高々とスイッチを掲げる。それを確認して喜色満面でアントニオは頷き、花村ににじり寄る。 「チャレンジャーハナムラ? ちょっとウルサイですヨー。ではスイッチの確認含めてリスナーにクエスチョン!」 アントニオの言葉に合わせるかのように会場のスピーカーがデレッ♪という効果音を発する。 「どうもチャレンジャーハナムラはリリースしてほしいそうなのですガ、彼をこのままテイクホームしてもいいものでしょうか? OKという方はスイッチの『甲』をタップしてくださイ! そしてNOと思う方は『乙』をタッププリーズ。ではスターット!」 両手を使って観客のみんなに開始を告げたアントニオの動きと同時に昼12時から開始する長寿番組の質問コーナーで流れる音楽が流れ、音楽に合わせてアントニオがコサックダンスを披露する。ラストのデンデンデンデン♪のタイミングに完璧に合わせて会場の目線が会場に掲げられた電光ボードに向けられる。 散髪椅子に縛り付けられた花村は一縷の望みを込めて、顔を上げる。 甲――210票。乙――2票。 「2票っ!?」 ガクリ、と縛り付けられたままの状態で花村が全身を脱力させる。そんな花村を慮ってか、アントニオが同情に満ちた目で花村の肩に優しく手を置く。うな垂れた花村に向けられたアントニオの言葉は、深い慈愛に満ちた一言だった。 「モウ……イイデスヨネ……?」 「うるせぇぇぇぇぇぇえええええええええ!」 「ワオ! そんなビッグシャウトされたらワタシブルッちゃいマース! Oh~怖い怖い。サテ、スイッチの確認も済んだ所でルールの説明にバックですネー」 電光ボードに3つの枠が表示される。中身はまだ空白で、そこをアントニオが指し示す。 「ハイ! では今回の評価点は3つアリまース! まず1つめはコレ!」 デレッ♪ という音と同時に「result」と英語が表示される。 「ワンワードで説明すれバ、結果点ですネー。散髪ですかラ? 結果は大事!――ネ?」 「ネ? じゃねぇよ……浅羽、今から何する気だよお前ら……」 最早花村に大声で反対する声は上げることができない。力ない疑問を浅羽にぶつける。 浅羽はサッと目をそらし、 「――さ、散髪」 「目ぇ逸らしながら言うなっ!」 「デハ、次の評価ポイントはこれ!」 デレッ♪ という音と同時に「combination」と英語が表示される。 「2組のペアがそれぞれ協力してカットするわけですから当然その連携がインポータントになるわけデスね! これは夫婦であるペアレンツ浅羽に多少有利に働くかもしれませんガ、それ含めてのバトルですのでエブリワンには公平な採点をプリーズでス!」 「なぁ伊里野ぁ……俺たち友達だろ? 友達がこんな目に合ってるのになんで助けてくれねぇんだよぉ……」 花村は半分は演技だったが、半分は本気で泣きそうだった。ただの散髪だというのに全身を襲う嫌な予感が花村の弱い部分を覆っているのだ。 伊里野は花村の演技に翻弄され、どうしよう。という表情を浅羽に向ける。浅羽は無言で首を振る。伊里野は浅羽と花村を交互に見て、 「あのね花村。アラブの拷問よりは苦しくないから」 「なにそのフォローっ!? 全然フォローになってねぇし!? てか拷問て何! なんでそんな怖ぇ言葉使うの!? ちきしょお放せこらぁあああああ!!!」 ガタガタと花村が椅子を揺らす。 「エーっ花村ボーイのテンションもアップアップしてきた所で、最後の評価点ですネ」 デレッ♪ 「危険度デース」 アントニオの言葉と同時に「dangerous」という英語が表示される。会場がおおーと感嘆の声を漏らす。 「最後にとんでもねぇ爆弾置いてんじゃねぇぇえええ!!! 危険度ってなんだこらぁ! ふざけんな! てかテメェら少しは引けっ! んなやばそうなワード聞いて感心してんじゃねぇえええ!!!」 「花村」 「ひぐっ」 大声で叫んでいた花村が首を絞められた鶏のような悲鳴をあげる。彼の眼前には銃刀法も真っ青なコンバットナイフが掲げられている。刃渡りだけで20cmはゆうにあり、グリップにパラシュートコードがグルグルに巻きつけられた伊里野のナイフだった。伊里野はそれを緩やかな動きで上下させ、わざと花村に誇示するかのような仕草を見せる。 「動くとほんとに危ないから」 アントニオがそのナイフを指差しながら解説する。 「伊里野ガールは我がホームアメリケンで長いこと過ごしており、特殊な訓練を受けたこともあるスーパガール! そのナイフも長年愛用してきたマイナイフだそうで、今回はこれを使ってカットにチャレンジするのだそうです、ンー、なんてデンジャラス!!」 それで危険度かー、という緊張感のない声が会場の到るところで響いている。 おいいいいいいいと心の中で叫びながら、目の前にあるナイフが怖くて花村は悲鳴をあげることもできない。視界の隅では園原中学の愛する面々がおり、一同に両の手の平を合わせて南無阿弥陀仏を唱えている。 ――南無南無。 恐怖を超えて花村の芸人魂がつっこみの声を上げる。 「拝むなっ! 助けろよっ!!」 園原中学の面々は拝む手を止めて、打ち合わせたかのように右手だけを左右に振る。 ――無理無理。 「誰かぁぁあああああ!!」 「花村」 今度は浅羽だった。視界からナイフを消すように花村は首を巡らせる。 「そういうわけだからさ、あんま下手に動くと危ないよ。伊里野は散髪って初めてらしいから」 「初めてでんな危険なことさせんなっ! 練習とかするだろ普通っ!?」 「練習はしたらしいよ」 「なんで」 「リンゴ」 「なぜリンゴ!?」 「家にあったから」 「そういうことじゃなくてね!? ――け、結果は?」 「食べやすかった」 「ばっさり切れてんじゃねぇかっ!」 「あはは」 「あははじゃねぇ! お前実は楽しんでんだろっ!?」 「まぁ、そういうわけだから、気をつけてね」 散髪の準備が次々と整っていく。 花村の覚悟などまるでできないまま、開始のゴングが鳴る。 花村はその瞬間理解した。もう逃れることはできない。そう受け入れた瞬間に最後の言葉を呟く。 「天国が……呼んでる……」
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