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聖域


考えすぎであるという感覚はもう捨てた。

一般生徒が夜の学校に侵入するという事例はそう多くはないと水前寺は思う。
ある意味で夜の学校と言うのは不可侵の聖域のようなものである。日中はあれほど野暮ったく、人がひしめき、騒々しい空間であるからこそそれらが止んだ夜の学校は異質化するのである。
学校がなぜああも大きく無駄な空間が多いのかと水前寺は考えたことがある。
ただの学習施設と考えるのならば実に学校は無駄が多い。まず廊下や階段だ。あんなに横広くしなくても人は往来できる。トイレも各階になど存在しなくていいし、用途不明の部屋まである。
おかしなものだと一時期悩んだ水前寺は学校と言うものに興味を持った。だが、夜の学校というものを7歳の時に目撃してその差異に水前寺は異常なまでの興味を抱いた。それはまさに自分が求める「どうしても知りたいこと」はここにあったのだと錯覚するほどのものだった。
普段100人以上の学生を収納している設備が夜になると同時にそのほぼ100%の人口が消失する。
見回りや監視の人間を除けばそこに存在するのは自分ひとりとなる。
広大な空間に自分ひとりだけ。星と月の光しか差し込まない廊下はいつもの何倍も大きく、長く見え、消防用の赤ランプはあの世の住人の眼のように見え、微かな物音は外世界の住人の足音であり、外から伝わる風の音は宇宙人の荒々しい呼吸だった。 教室の中には誰かが立っているような影が一瞬だけ見えては消えたし、廊下を挟んで反対側の階段で誰かが階段を駆け下りる音がしたかと思い、追いかけると下には誰もいない。ふと視線を上に向けると誰かがさっと頭をひっこめたり、何時間も使われていないはずの男子トイレの床が塗れており、水の後を辿った末の排水溝に詰まったあの長い髪はいったい――。

夜闇に響く重い金属音に思考が戻ってくる。
水前寺は音のした方向と脳内のマップを照らし合わせる。
何者かの目的地は水前寺と同じく核シェルターにあった。
ある意味それは当然のように今の水前寺は思う。
夜の学校は異質な空間だ。
だからこそ夜の学校に誰かが訪れるのは「何か明確な意思や目的」がそこに存在するからだ。
異質な空間に入り込むということは日常から離れた異質な考えが脳内を占めなければならない。

そこからは慎重さを50%程引き上げる。
自分の足跡を全て消しながらの移動は少々時間がかかるが、仕方がない。
侵入者は既にシェルターの中に足を踏み入れているようだ。
隔壁に人一人が通れるだけの隙間が開いていた。

物陰からシェルターに向けて足を上げたが、水前寺の脳裏にある考えがよぎり、その第一歩を足元に下ろす。
なぜシェルターが開く。
シェルターの解体と銘打ってもここは未だ軍の指揮下にある。発令所からの直回線で24時間監視体制にあったはずだ。現に1時間前に軍の連中の撤退後確認したときには隔壁は閉まっていたし、暗号コードもしっかりと起動していた。
なら考えられる可能性はおおまかに分けて3つ。

ひとつめ。
侵入者は軍の暗号コードを解析できるほどの技術者である。
この可能性は正直低い。軍の暗号コードの解析などスーパーコンピュータの演算能力でもない限り10分刻みで変化するアルゴリズムに対応などできないだろう。いくら小型化が進んでいるとはいえ、あんな馬鹿でかいものをこんな場面で運ぼうものなら注目してくださいと大声で叫んでいるようなものだ。だがもし他に方法があって、暗号解析が可能であるなら是非その方法を享受していただきたいものである。
さらなる可能性。侵入者は軍が保有する暗号キーのようなものを持っている。
これは先ほどの可能性に比べれば少しだけ可能性は上がる。軍内部の人間全てに渡しているはずはないが、上層部や部隊長などはそういったものを持っていても不思議ではない。だが、これには疑問が残る。
部隊長クラスの人間がここに来ている可能性は極端に下がる。遣り残したことがあるのならば部隊を引き連れて戻ってくるはずだし、部下に一任したとしてもあんな雑な侵入などやつらならしないだろう。それは上層部であっても同じはずだ。
最後の可能性。
侵入者が今日シェルターに訪れることを軍が把握していることだ。
あえてここでは侵入者は軍の関係者でないと仮定する。そうでなければ矛盾が山のように出るし、多岐に可能性が分かれすぎる。もし、侵入者が民間人であるならば、これが一番水前寺にとっては嬉しい知らせだ。民間人である自分にも可能性があるということなのだから。だがそれでも疑問は残る。
侵入者が来ることを軍が把握しているのならばその様子をモニタしている可能性がないのは妙だ。まず侵入者が何時に訪れるかがわからない。自分のように隔壁を無関係の人間が開けてしまうことを防ぐには現場の様子をモニタリングし、侵入者が現れると同時に隔壁のロック解除。この手順を踏む必要があるからだ。しかし昼間に一度と40分前にもう一度。随所に監視できそうなポイントには監視カメラも赤外線も飛んでないことは機器を使って調査済みだ。
軍はどうやって侵入者の侵入時刻を特定しているのか。
やはり可能性が高いのは2番か。いや、しかし。

考えても結論は出そうになかった。
思考を中止し、隔壁への移動を決める。周囲をうかがい、猫のような滑らかな動きで水前寺は隔壁までたどり着く。
案の定、隔壁に取り付けられたコンソールには強引に突破したような形跡はない。
気になったのはコンソールの文字列の中に「puppy」という単語が点滅していたことだ。
何かの暗号だろうが、水前寺にはその意味を理解することはできなかった。

入る前に再度点検する。
追跡者はいないか。足跡を残していないか。パンツポケットに入れられたICレコーダーのスイッチをONにする。脱出ルートを再度脳内で再生する。
胸に手を当てる。
胸ポケットには「園原電波新聞」の腕章がある。気のせいか少しだけ腕章が熱を持っているような気がする。しかしそれは自分の心臓がいつもより少しだけ熱を持っているだけだった。
部員の顔を思い出す。こぶしを胸の前で握りしめる。腕章を腕に通しはしない。
今はそのときではない。
呼吸を止めて1秒、2秒。

水前寺は暗闇の中に足を踏み入れた。


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